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「王友」第十三號 編輯後記

◇子供くさい神經質さだと笑はれるかも

知れないが、編輯者といふものは、自分

達のつくつた雜誌の評判を大いに氣にす

るのである。

前號の「王友」に對する諸方面の批評を

綜合すると、お世辭を相當割引しても、

大體に於て好評であつた。點をつければ

八點といふところである。只一部の人か

ら同人雜誌臭いとの非難を受けたが、こ

れは肯綮に値する言葉で、その點が編輯

者のみそでもあつたのである。全く、前

號には編輯者の體臭が到るところに滲み

出てゐるし、又餘りに書き過ぎてもゐ

る。これは好んでさうしたので、これに

よつて、寄稿家諸氏への一種の刺戟をつ

くり、多種多樣の原稿を動員するの意圖

に出たもので、謂はば呼び水の役をした

譯である。これは、原稿締切日繰下げ實

行と相呼應して、果然好結果を得、本號

の如く、實に「王友」未曾有の大盛況を

招來することゝなつたのである。

◇本號に寄せられた原稿は、原稿紙にし

て千三百枚を突破し、數に於て記錄破り

であるばかりでなく、その質に見ても非

常に充實したもので、これを「中央公

論」とか「改造」とかの一流綜合雜誌に比

較しても、決して遜色はないものと確信

する。而も僕等が聲を大きくして天下に

誇り得るのは、これらの原稿には一枚も

金錢で贖つたものがないことである。殆

んどその全部が純粹の趣味的作品であつ

て、原稿生活者の書いたものにありがち

な、ペン摺れがない點である。僕だちは

これら珠玉のごとき原稿の山を前にし

て、心身共に張り切つて編輯に從つた

が、この喜びは何ものにもたとへ難いの

である。

◇目次を瞥見せられても分る通り、本號

は執筆家の顔ぶれに相當の變化がある

し、從つてその内容にも、夫ぞれ特異的

個性が發露されてゐる。この萬華鏡にも

似た數多くの作品を一いち取り上げて、

思ふ存分讃辭を呈したいのであるが、何

分にもこの限られた紙面では、つくすべ

もないから割愛することゝして、何れも

激職にある方がたが、斯くも「王友」に關

心を寄せられ、日頃の風懐を托された、

御好意に對し、又煩雜な事務的御依賴の

度ごとに、何から何まで御配慮に預つた

工場雜誌委員の諸氏に厚くお禮を申上ぐ

ると共に、大膨張の一途にあるわが「王

友」のために、今後共一層の御助力を願

ふ次第である。

◇次ぎに、本號に寄せられた作品のうち

で、締切日と印刷の關係上、遺憾ながら

次號へ廻したものがある。これは何れ筆

者に御通知して御諒解を得るつもりであ

るから、惡しからず御容赦願ひたい。

◇それから「王友賞」のことであるが、

目次裏の「王友賞に就て」及び巻末の投票

規定にはいかにも固苦しいことが書いて

あるやうであるが、これはあながちさう

六づかしくお考へにならずに、諸氏の好

尚に從ひ最も印象の深いものを、氣輕に

ご推薦くださればよいのである。

◇猶ほ本號で僕が最も自慢したいのは、

同人筑紫武雄君を煩はして、數多くのカ

ツトを新作して貰つたことである。由來

カツト作家は甚だ惠まれざる立場にあつ

て、いかにも注目の圏外にあるかのやう

であるが、その重要性は言ふ迄もなく貴

重なものである。本號の場合は、恰も新

聞少說の挿繪と同じく、一いち原稿に合

せて描いてもらつたもので、これには同

君の並なみならぬ努力が拂はれてゐるの

である。諸家の光輝ある作品は、これら

清新なるカツトとの全きコンビによつて

光芒千里を照らすのである。(菊池)


(「王友」第十三號 
   昭和十二年三月十五日發行より)


#王友 #旧王子製紙 #編集後記


           紙の博物館 図書室 所蔵

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