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「王友」第九號 編輯後記

「王友」第九號の編輯にたづさわつて、一番嬉

しかつたのは、大分新らしい寄稿者がふえたこ

とゝ内容のよしあしは別として、眞面目な努力

になる作品が寄せられたことである。XYZ氏

の「軍縮問題の回顧と一九三五年への展望」、

大石敬事氏の「ハーデ―のウエセックスノーベ

ルス斷片」等は、原稿紙六十枚以上の力作で、

専問家的批評眼から觀れば、種いろ議論の餘地

もあらうが、吾われ門外漢にとつては、相當敎

へられるところが多い。

 村上藤太氏の燐光のやうにギラギラと蒼白く

銳い神經を打ち込んだ短歌は、本誌の一異彩で

あつたが、本號からは同氏を中心として「王友

歌壇」が生れ、迷汀、一掬、不二、九人像、き

そく、凍魚氏等多くの優秀なる俳人陣を敷い

て、「王友」文藝の王座を占めつゝある「王友

俳壇」の牙城に迫らんとする意氣は大いに壯と

したい。村上氏は又「初島紀行」に於て、觀察

の非凡と、表現の特異とを明示して、その散文

的才能の豐富さを立證してゐる。

 石川蘇春氏の「プシユキンの抒情詩から」

は、譯筆の觸感がやわらかく、藝術的香氣の高

い、好もしき小品である。前號の「外國語漫

談」も微笑ましき好随筆だつたが、この人は

「王友」の良き寄稿家として推賞したい。又毛

内氏の「新丸子生活點描」はすつきりと氣持の

よい筆觸である。この新人の將來を樂しみた

い。

 「立山から針の木へ」の筆者國安院氏は、前

々號にも「尾瀨沼紀行」を寄せられたが、流石

にいろんな山嶽を抜渉してゐる人だけあつて、

爭はれぬ眞實味が溢れてゐる。ハイキング流行

の折柄でもあり、肩のこらないこの種の記事も

歡迎したい。

 本野黙阿彌氏の「伊達姿野球佛」は筆者の本

名を明かしたら、あゝ成程と合點せられるだら

うが、この人はあり餘るほどの才筆を持ち乍

ら、いつも書くものが輕妙すぎて讀者に重んじ

られず損をしてゐる。もつと内容の深いものを

書いたら喃と惜しくてたまらない。

 靑嵐莊主人の紀行文「樺太ところどころ」は

例によつて珍重すべき力篇と思ふが、老氏獨特

の原稿締切不嚴守主義を嚴守して、最後の編輯

會議にさへ猶ほ原稿が間に合はないやうな狀態

なので、讀まずに賞めるのも氣がとがめるか

ら、遺憾乍ら割愛することにした。

 靑嵐莊老氏の惡癖を矯正するために、茶斷

ち、鹽斷ちして、神に祈りたい心地がする

者、只に僕ひとりではあるまいと思ふのであ

る。

 (菊池)

(「王友」第九號 
     昭和九年十二月二十日発行 より)


#王友 #旧王子製紙 #昭和九年



           紙の博物館 図書室 所蔵



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