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「台与」と「豊」と神功皇后

私は九州にあった邪馬台国は、ヤマト王権の神功皇后・武内宿禰によって滅ぼされたのではないかと思っています。

その論拠の詳細については、これらの記事をご覧ください。

一応、簡単におさらいしておきます。

武内宿禰は日本海側神功皇后は琵琶湖の豪族・息長氏の人物です。当時のヤマト王権は、山陰や吉備、河内といった周辺の豪族が集まった連合国家だったようです。そのなかにあって、彼ら二人は、琵琶湖を通じた日本海側ルートの勢力を代表していると思われます。

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当時、大陸からの文物の流通が貴重であったことを考えると、このことは大変重要です。また、邪馬台国のような国が、魏の許しを得て九州北部に陣取ったとしたら、ヤマト王権にとって、目の上のたんこぶのような存在だったことでしょう。

ヤマト王権からしたら、邪馬台国を滅ぼす理由があったと思われるのです。

ここで注目したいのが、魏志倭人伝に出てくる卑弥呼の後継者・台与(とよ)という人物です。台与については、ウィキペディアから引用させていただきます。

臺與(台与、とよ、235年 - 没年不明)あるいは壹與(壱与、いよ)は、日本の弥生時代3世紀に『三国志 (歴史書)』、魏志倭人伝中の邪馬台国を都とした倭の女王卑弥呼の宗女にして、卑弥呼の跡を13歳で継いだとされる女性である。魏志倭人伝中では「壹與」であるが、後代の書である『梁書倭国伝』『北史倭国伝』では「臺與」と記述されている。
※ウィキペディア「台与」より引用

仮にヤマト王権からやってきた神功皇后・武内宿禰が、魏から「親魏倭王」の称号を得ている「卑弥呼」を殺害し、邪馬台国を滅ぼしてしまったら、どうなるでしょう?当然ですが、魏を敵に回すことになります。そうなると、敵が大きくなってしまうため厄介です。

そうだとしたら、邪馬台国を滅ぼした神功皇后・武内宿禰としては、事を穏便に済ませたかったはずです。そこで神功皇后を卑弥呼の後継者「台与(とよ)」として、魏に報告したとしても、何ら不思議ではないと思います。

そして、この「とよ」には、ほかにも少し気になることがあります。

伊勢神宮は、内宮に祀られている天照大神で有名ですが、外宮に祀られているのが豊受大神(とようけおおかみ)です。天照大神が太陽神(陽=男性神)であると考えれば、豊受大神は陰の女性神と考えられます。
※天照大神を「女性神」とするのは、記紀による持統朝の正統化だと思います。詳しくはこちらの記事をご覧ください。

しかし、この豊受大神は、もともと伊勢に祀られていた神様ではありません。「元伊勢」とも呼ばれる籠神社(このじんじゃ)のHPには、以下の通り書かれています。

神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮の地眞名井原に匏宮(よさのみや)と申して豊受大神をお祀りして来ました。その御縁故によって第十代崇神天皇の御代に天照大神が倭国笠縫邑からお遷りになり、天照大神と豊受大神を吉佐宮(よさのみや)という宮号で四年間ご一緒にお祀り申し上げました。その後天照大神は第十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は第二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢にお遷りになりました。その故事により当社は伊勢神宮内宮の元宮、更に外宮の元宮という意味で「元伊勢」と呼ばれております
籠神社HP「御由緒」より引用

つまり豊受大神は、元々、籠神社の奥宮で祀られていたのです。そして、のちに伊勢神宮に移されて、今日に至ったということです。

その「元伊勢」である籠神社は、日本海側の宮津市に位置しています。

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こうしてみてみると、籠神社(豊受大神)は、ヤマト王権における神功皇后&武内宿禰(琵琶湖&日本海)ルート上にあることが分かります。こうした点で、神功皇后と豊受大神(とよ)が重なってみえてくるのです。

さらに九州をめぐる問題は、これで終わらなかった可能性があります。

ヤマト王権からみた場合、大陸への航路は神功皇后&武内宿禰の「日本海側ルート」だけではありません

瀬戸内海から河内に入る「瀬戸内海側ルート」もあります。連合国家的な特色があったと思われるヤマト王権内には、瀬戸内海側勢力もあったはずです。

そんな彼らからすると、魏の後ろ盾をもらった「日本海側ルート」の神功皇后&武内宿禰が、逆に脅威に映ったことでしょう。

結果、神功皇后&武内宿禰勢力は、徐々に九州北部から南に押しやられ、のちに応神天皇(神武天皇)の血筋に繋がる勢力を作ったのではないでしょうか。

神武天皇は、九州南部の日向(宮崎)で生まれ育ちました。その彼が、のちに大和の地で饒速日命(にぎはやひのみこと)の部下である長髄彦(ながすねひこ)と対峙したとき、饒速日命と同じく「天つ神の子である証拠」を見せたといいます。

その神武天皇の正統性は、元々、彼の血筋の源流ヤマト王権(神功皇后&武内宿禰)にあったからではないでしょうか。

そう考えてみると、神武天皇の祖母にあたる「豊玉姫(とよたまひめ)」も気になるところです。

いずれにしても、記紀(古事記&日本書紀)の記述を鵜呑みにして、日本の成り立ちを考えるべきではなく、もう少しツッコんだ考察をしながら、日本という国を考えてみたいと思うのでした。


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