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結局僕のnoteは誰のためにあるのか。1年半で257記事書いた今、考えてみた。

このnoteを書き初めて約1年と半年が経った。

257回もnoteを書いている。ちょっと待った。半端ない時間をnoteに費やしてる。

1noteあたりに書く時間は30分だったり3時間とか何日もかかったりとかバラバラだけど、

毎日の生活の中でnoteのトピックになりそうな事を常に探しているし思考にも常に気を付けているから人生のかなりの時間をnoteに費やしてる。

記事に値段をつける事はしていないからこれで収入を得てるわけでもないので続けなきゃいけない理由なんてない。

今でこそ読んでくれる人たちが毎日増えていってるけど、最初の半年間なんて全く誰にも読まれていなかったって言っても過言ではないくらいだった。

それでもこうやって限られた人生の時間をnoteを書くことに使ってるので、このnoteにどんな価値があって誰のためにあるものなのかを明確にしとこうと思う。

これは誰のためのnoteか

結論から言うと。

自分のためにnoteを書くことで読んでくれる人たちのためにもなってるから、このnoteに関わる全ての人ためのものだと思う。

ここで言う自分のためっていうのは、自慢話で承認欲求を満たしたり愚痴ばかりを書いてストレス発散のためにってことじゃない。

面白い事があったらそれについて書いたり、自分の思考を深めたり、学んだことのアウトプットする場所として使うことで自分のアップデートすることだ。

もちろん、読んでくれる人のためだけにあるって言ったら聞こえはいいかもしれないけど、

僕自身がnoteを書き続ける事でもっと魅力的で面白い存在になる事ができれば、内容もレベルアップしていってもっと面白いnoteを書けるようになる。

そうすれば読んでくれている人たちがさらに楽しんでくれる。

それって最高じゃないか。

つまり僕のnoteは、僕自身のために書き続けることでそれを読んでくれる人たちが一緒に楽しむ事ができるもの。僕を含めた僕のnoteに関わる全ての人のためにあるものだ。

最後に僕が今の時代におもうこと

今の時代を生きる中で僕が思うのは、自分のためにやってないんですっていうのは嘘でしかないってこと。

これだけインスタグラムなどのSNSでみんなが自分のことを発信するってことは、自分の存在価値を感じたい思いがそれだけ強いって事の証明だから。

周りの人のためにやってるって行動を結局は自分が気持ち良く感じてるからやってるってのが真実。

「いやいや、好きな仕事してるわけじゃないよ。」って人も多くいるとは思うけど、

その嫌な気持ちよりも、今もらえる給料を大事に思っていたり、辞めて他のことを始める恐怖を味わうよりは今のままの方が気持ちいいって心のどこかで思っているから今の自分なんだと思う。

だから誰かのためにやってるって言葉は結構浅いのかもしれないね。

誰かが喜ぶ姿を見たいから働く=誰かが喜ぶ姿を見た時に自分が気持ちいいから働く

これが本当の部分だと思う。

僕がフィリピンで貧困層の子どもたちのためのボランティアをしたのもきっとその行動が自分にとって価値を感じるもので気持ちよかったんだと思う。

なんかそうやって言ったら自己中心的でダサく聞こえちゃうかもしれないけど、それが綺麗事抜きで本当の部分だと思う。

僕も改めてこの部分を再確認しておくことで全ての選択が自分の意思で行われてて自分の責任である事を忘れずにいようと思う。

僕のために僕はこのnoteを書き続ける。そしてそれが読んでくれる人たちのためにもなる事を信じてる。

Be optimistic.

山崎壱成

毎日ストーリー更新しまくってる僕の野獣インスタ↓

https://www.instagram.com/p/BbJNfyVhAJF/

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