人間中心設計は人間のエゴか?
▪️どこがエゴ?
最近たまに、「脱人間中心設計」とか「Planet-Centric Design」という言葉を見かけることがあります。ユーザーのニーズを優先するデザインは、ひたすら利便性を追求して環境負荷などのネガティブな面を無視している、つまり人間のエゴを助長しているとして反省する動きのようです。
しかし、人間中心設計が人間のエゴを満たすためのデザインであったことなど、そもそもあったでしょうか? そういうことを主張する人は、人間中心設計という言葉の上っ面だけを捉えて誤解しているか、あえてこじつけの問題提起をして自分の考えを新しく見せかけようとしているかのどちらかとしか、私には思えません。
▪️人間中心設計の本義
人間中心設計は、ユーザーの顕在的なニーズをそのまま実現するデザインではありません。そもそもユーザーニーズがそんなに単純に存在しているはずがないのです。たまたま顕在化しているニーズをそのまま仕様や機能に取り入れるだけのデザインに、何の創造性があるでしょうか。
人間中心設計は、人間がその人工物のユーザーとして持つ生活や仕事の文脈と使用環境、時には世代や個人の生活史までも踏まえて、多様なユーザーの課題に対する可能な限りの最適解を創造する営為だと思います。例えば環境を破壊してユーザーの生活を危うくしたり、将来に禍根を残す後ろめたさをユーザーに負わせたりするのは、そもそも最適解ではないわけです。「人間中心」をエゴとして否定するのは、デザインにインストールされるべき人間性(尊厳・温もり・うれしさ・寛容などなど)の否定だと私は思います。
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