自分は人をバカにしないと強く決めたらいい

これは、辻仁成さんが言ったことば。
SNSで見つけたものだが、気になっている。
自身の息子へのメッセージのようだ。

これの全文は以下。

息子よ。
批判されたら、意識されてるんだな、と思え。
悪口言われたら、この構ってちゃんめ、と笑え。
陰口言われたら、面と向かって言えないんだな、と思え。
自分のストレスを他人に押しつけて
スッキリしたいやつらの踏み台になるな。
自分は人をバカにしない、と
強く決めたらいい。

彼はこの他にもたくさんメッセージを発信している。
自身の息子へのメッセージとしながらも、実際は生きにくい社会全体へのメッセージであると思える。
社会には自身が理解できないことも含め矛盾もたくさんあるが、それでもバランスをとりながら世界は存在している。
そのなかで孤である人間はバランスがとれない。
「部分と全体」と捉えると、全体のバランスのコントラストとして部分はアンバランスである。部分である孤は常に不安定なのだ。バランスをとるには全体でなければならないからこそ、孤ではアンバランスなのだ。
そしてバランスをとるためには、弧と弧がつながらなければならない。


私たちは様々なフィードバックを得ながら存在している。そうやって存在せざるを得ない。
周囲からは様々なことが聞こえてくる。
何か発信すると、エコーが聞こえるように何らかのフィードバックを得ることができる。あるいは否応なしに得てしまうともいえる。そしてそれは、直接的であったり間接的であったりする。
メンタルにダイレクトに響くのは、実は直接ではなくて間接的なフィードバックである。そこには自身の勝手な解釈が入るからだ。
我々は、バランスをとる以前に、外部からのフィードバックに対して解釈をしようとする。その解釈に囚われてしまい、またバランスを崩す。
辻さんは、「強く決めたらいい」と言った。
「強く」これこそが重要である。簡単にはできないとわかっているからこそ「強く」と言ったのだ。
アンバランスの上で自身を保つにはこれしかないのだろう。

我々は周囲から影響を受けながら存在している。
周囲に流されながら生きることは簡単だが、自分を見失い、結果存在意義を失う。アイデンティティを失うことは、実は容易なのだ。
自分が自分であるためには、「強く」あらねばならないのだ。
そして、「強く」あることこそが、人類の未来を形作るのではないか。
他者を理解し尊重しつつ自身を強く持つ。
迎合するのではなく、尊敬と自分自身であることのバランスをとる。
これこそが多様性の理解と需要。
アイデンティティを手放してはならない。
それこそがより善い未来を創る。
実際は決して容易ではない。
孤である「部分」はあくまで「部分」であるからだ。「部分」である限り「全体」は見えない。
それは、危ういタイトロープの上を歩くようだ。
人類が成長するためには、人々は繋がりつづけなければならない。


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