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turn your wounds into wisdom

"turn your wounds into wisdom"
これは、Oprah Winfrey(オプラ・ウィンフリー)さんが言った言葉。

そのとおりだと思う。
しかし、そう簡単ではない。だからこそこの言葉がよく引用されるのだろう。

wounds、傷
その正体をみずから明らかにできるのか。すべきなのか。

時間が経って自分を振り返り、あとからwisdomになっていたと気がつくのではないか。
はたして意図してこの転換ができるものか。おそらくはできないだろう。

苦しいさなか、もがき動くことによって、ひとは知識を得る。動いた結果、また新たな結果が生まれ、知識を得る。もしかするとそれもまたwoundsとなるかもしれない。それでも新たな知識を得る。ここで言えるのは、動き続けることによって、知識が知識を生んでいくのだ。

当初のwoundsの正体を明らかにすることはたいして重要ではないのかもしれない。それが何なのか明らかにならなくても、また状況が改善しなくても、さらに矛盾をはらんでいても、もがき動くことこそが重要だということだ。動くことをやめてはならない。そこに留まってはならない。

woundsを抱えたとき、私たちはなかなか前へはすすめない。何故自分が?と自分を問い詰める。自分以外が悪いと誰かのせいにする。そして内向きになり、woundsそのものに心を奪われてしまう。この引力からなんとかして自分を解き放たなければならないのだ。

とにかく動き、知識を生み出し、また動かなければならない。身動きが取れなくなったとき、近くにきっかけを与えてくれる何かがあるといいのだが。人は孤立してはならないのだ。孤立を生まない社会は作れるのか。

woundsがwisdomになっていたと後で気がついたとき、私たちははじめてその過ごした時間の意味を知る。その時間が重要なのは言うまでもない。私たちには時間が必要なのだ。物理的な時間はもちろんだが、根源的な時間をどのように得るか。

しかし、そこに到達できない人も多いと思う。人間の根源的なものは、この時間の中にあるように思う。

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