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文楽と煎茶 -ふたつの大坂文化から考えるーその2(如翺)

今月のはじめに文楽太夫の竹本織太夫師匠とオンライントークイベントをさせていただいて、その時に考えたことを書かせていただいております。その二回目です。

前回の最後に、織太夫師匠が「自分の役目は神棚に祭られて手を出しにくくなってしまった『おはぎ(=文楽)』をちゃぶ台に下ろすこと」とおっしゃっていたことを書かせていただきました。「ユネスコ無形文化遺産」などというように高尚化され権威化されてしまった文楽を手に取りやすい場所に戻す、いわば上から下への運動に熱をいれるのだ、と。

その話を私が引き取って、
「今、文楽に必要な運動が上から下への運動だとすれば、
今、煎茶に必要なことは奥から手前への平行移動だ。」
と申し上げました。今回はそのあたりから話を始めて行こうと思います。

平行移動。

この言葉を私が使った意図はこうです。
「和建築の中の『床の間』という少しだけ高くなった奥行きのある空間の、
奥にある手の届かない、奥にありすぎて多くの人にとって全く関係のない、それどころか知ることのない世界に、『煎茶』という茶文化は押し込まれてしまっている。それをぐっと手前に出してくる必要がある」
私はこう考えるわけです。

「煎茶」という茶文化は、
長い中国の歴史の中で、
知識人たちが「文房(ぶんぼう)」という空間で楽しんだ趣味です。
「文房」はこれまで私は「書斎」と説明してきましたが、
これからは「リモート環境が整った書斎」とでも説明しようかと思っています。

つまり、
自分の家の中にあり、本があり音楽も聴けて、
壁には好きな画や写真がかかっていて、
自分の仕事にも趣味にも使えるパソコンがあって、
かつリモートで他人と繋がれる機能も備わっている。
お茶とかコーヒーとか
あるいはこの数か月流行っているオンライン飲み用の
お酒だって持ち込める、そんな空間です。

中国の知識人たちの「文房」は、
本が置かれ、琴(きん)などの楽器も弾けて、
書画を壁に掛けたりもできて、
文房具があって、(観賞用の文房具と実用の文房具の両方)仕事もでき、
趣味で詩を書いたり画を描いたり書を楽しんだりできる、
さらには、お茶やお酒も飲めて、友人を招くこともできる、
そんな場所なのです。

独楽3 (1)

この画像は一茶庵の「文房」を撮ったものです。
大きな机があって、ここで本を読むことも、巻物を広げることも、
画を描くことも筆を取って何か書くこともできます。
机と椅子の後ろは書棚で、本が平積みされています。平積みするのが中国文化圏風です。本の背を見せるのはヨーロッパ式です。
壁には書がかかっています、画がかかっていることもあります。

私が「平行移動」の比喩で申し上げたかったのは、
この書画の掛けられ方です。
つまり、ご覧のように「文房」には「床の間」はありません。
壁があるだけです。壁に書や画が掛けられているのです。

「床の間」という空間は日本特有の空間で、
少し立ち上げて、さらに奥行きを作った箱のような空間です。
ここに掛けられた掛け軸や、置かれたものは、
我々よりも一段高いところに位置し、奥にある神秘化されたものとなるのです。「床の間には上がってはいけない」「床の間にあるものに対しては一礼をする」これが日本で育まれてきたルールです。

ところが「文房」には「床の間」はなく、
何かを特別に一段高く奥にある神格化された存在をまつる空間はありません。この空間に置かれるもの、掛けられるものは、全て、そこに同座する私たちと同等なのです。

この関係性を、「煎茶」という茶文化とそこにいる現代の私たちが取り戻すことが必要だと私は考えています。

「煎茶」文化は幕末頃に「流派」が出来てきて、
「茶道」化が進み、「茶道」の亜流としての「煎茶道」が成立していきました。
「茶道」で「床の間」に掛けられ置かれたものを崇めるのは当然です。
そこには我々には行きつくことのできない高僧たちの「悟り」があるわけですから。

しかし、「文房」の文化「煎茶」では、
自分が尊敬しつつも、楽しみ、交遊するためのものが掛けられているわけで、高僧たちの「悟り」が掛けられているわけではありません。
それなのに「煎茶」文化自体を何か神秘化しようとして床の間の奥の方に閉じ込めてしまった、そうすることで権威化して、「煎茶」という文化を残してきたわけです。

しかし、結局それは「茶道」と「煎茶」の最大の違いともいえる部分、
つまり、「床の間」の奥にある神秘的世界と交わるための茶なのか、
それとも「壁」に同等にいる時代を越えた友人と交遊するための茶なのか、
その違いを壊してしまったのです。

和空間の「床の間」の奥の方に追いやって、そうすることで自らの首を絞め見えなくさせてしまった「煎茶」文化を、
文房の「壁」に引き戻し、いかに楽しく交遊できる形にするか、これがまずは今の煎茶が考えなければならない課題だと思っています。

これが、前回から出した「平行移動」の意味です。

さて、今回はこのあたりで終わらせていただきたいと思います。
次回はもう少し、「平行移動」を掘り下げたいと思います。
「平行移動」=「ペットボトルのお茶ように安易に簡易化することではない」、というあたりを書いていこうと思います。
安易にしすぎることで深みがなくなってはいけませんので。
触れることができ、しかも奥深いもの、が「煎茶」だと思っています。
(「文楽」だってそうだと思います。)

「壁」に掛けられた我々と同等のものたちと、どういう関係を結んでいくのか、これは恐らく、ガラス越しではなく美術とどう交わるか、
という問題も含んでいるようです。

次回は、このトークショーの時に
織太夫師匠が最初の画像に映っている床の間にかかった掛け軸を見て
どういうことをおっしゃったか、を交えながら、書いていこうと思います。
織太夫師匠は無意識だったでしょうが、
この掛け軸を見て、師匠がされた反応が本当に煎茶的で、驚きました。

次回はこのあたりから紐解いていくことにいたします。
今回、あまり織太夫師匠のことを書いていなくて恐縮です。
次はそのあたりから・・・。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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「煎茶」という茶の世界。それは自らたのしむ「自娯(じご)」の世界、文芸と芸術に集う「文人(ぶんじん)」たちの世界です。令和というこの時代に、文芸や芸術を通して、過去の人たちの知の集積と、現代の私たちと、未来世界とを繋げるような「煎茶」文化を提案していければと思っています。