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「アート思考」と「煎茶」考察①    -大学入試と野村克也監督-

タイトルとサブタイトルを書いてみて、
自分でも何の話だ、と、ツッコミたくなってしまいましたが、
これでいきたいと思います(笑)

まずは大学入試の話から。
ご承知のように、大学入試において、
今年から、かつての「センター試験」は「共通テスト」に移行しました。
国語の問題を解いてみたのですが、
「なんだかんだ言って変わってない。」
という感想を持ちました。

われわれの受験生時代からの現代文カリスマ講師、
出口汪先生は、ご自身のYouTubeチャンネルでこうおっしゃっています。

 共通テストは、センター試験と同様、
 「論理力を捕まえる」、「客観的に根拠を捉えて分析する」
 ための能力を試す問題として踏襲された。
 (https://www.youtube.com/watch?v=luY5O17YAGY)

それぞれの教科で、これ以外の能力を鍛えなければならない部分もあると思いますが、自分自身を振り返ってみても、大学入試全体を通して学んだのは、まさしくここに出て来る「客観的視点」「分析力」「論理的思考」だったのではないかと思っています。
もちろん大学入試ですから、身に付けたのはこれらの「初級レベル」です。

・「客観的視点」
・「分析力」
・「論理的思考」

これはいわば
「サイエンス思考」です。

これから私が述べていこうとする
「アート思考」と対極にある思考方法として
捉えておきたいと思います。

逆に「アート思考」を
「サイエンス思考」と対置させておくと、

「アート思考」は、
・「主観的視点」
・「全体・総合力」
・「直観的感性」

とまとめられるでしょうか。
このまとめ方は、
『13歳からのアート思考』末永幸歩 2020年2月19日 ダイヤモンド社 pp.13 と、
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』 山口周 2017年7月20日 株式会社光文社 pp.17とをもとに、
わたしなりにまとめなおしています。

「アート思考」と「サイエンス思考」を捉えるにあたって、
私の大好きな、そして本当にいつも肝に銘じておかなければならない話として考えている教訓譚をここから少々書き綴ります。

それが、
プロ野球、ヤクルト・阪神・楽天を率いた名将・野村克也監督のエピソードです。(私自身は野村監督の大ファンです!)

野村監督、ヤクルト時代、1993年6月9日、ヤクルト・巨人戦の話です。

ヤクルトの先発は当時新人の伊藤智仁選手(当時)。キャッチャーはもちろん名捕手古田敦也選手(当時)。バッテリーは巨人打線を9回まで0点に抑え、スコアは9回途中まで「0-0」の緊迫した試合。そして何より、伊藤投手は9回途中までに巨人打線から奪三振16を記録していました。1試合で奪三振16というのは、1試合での最多奪三振記録に並んだ数字です。つまり、伊藤智仁選手は試合終了までにあと1つ三振を奪えば、新記録樹立、という段階に来ていたのです。

9回。迎えるバッターは当時、安打製造機と言われた篠塚和典選手(当時)。篠塚選手がテンポの速い伊藤投手の間合いを嫌い、2度タイムを取ります。その後の初球。
古田捕手は外角低めのストレートを要求。
しかし実際には真ん中高めにストレートが来る、
すると・・・、
篠塚選手の振ったバットは、ボールを真芯でとらえ、打球はスタンドへ、サヨナラホームラン。ゲームセット。

伊藤投手は奪三振新記録の樹立とともに、その日の勝ちを逃すのです。

後に、古田捕手はこの場面に関して振り返っています。
「9年間、野村監督とご一緒した中で、5本の指に入るくらい怒られた」と。

何が野村監督の逆鱗に触れたのか、
これも古田捕手が語っています。

 古田捕手は、この場面、篠塚選手への初球、
 伊藤投手の最大の特徴、スライダーの切れがなくなってきたと見抜き、
 ストレートを要求。結果、ストレートが打たれる、
  
 これに対して野村監督の怒りの内容は、
 
 大記録がかかるこの場面、
 バッターは、ベテランで名実ともに兼ねそろえた安打製造機・篠塚選手、
 篠塚選手が考えることは何か、
 「自分のプライドにかけてでも、
      自分の打席で奪三振記録樹立だけは避けたい」
   つまり、
     ヒットを打つ、ホームランを打つ、
 さらに言えば、ゴロでアウトになろうが、フライでアウトになろうが、
 とにかく三振だけはしたくない、ボールを前に飛ばしたい、
  カウントが悪くなると、三振する確率が上がってくるから、
 早めに打っておかなくてならない、
 早いカウントの内から、ストライクゾーンに来ればバットを振る、
 これがバッター篠塚選手の心理、

 そうです、
 篠塚選手は、ストレートでもスライダーでも関係ないのです、
 ストライクが来たらバットを振って当てようとする、
 ボールがきたら手を出さない、
 ストライクかボールかがポイントだったのです、
 
 この篠塚選手の心理を読めなかったことが、野村監督怒り原因でした。


このエピソード、
先にも述べたように私は大好きなのですが、
1つにはあの名捕手古田選手もこのような判断ミスがあり、
それがのちの大捕手古田選手を作るのだ、という、
ミスによる経験の大事さを教えてくれています、

また、
思考のスタートポイントほど大切なものはない、
ということも教えてくれます、
「スライダーかストレートか」が思考の始まりではもうその時点で負けが決まっていて、
「ボールかストライクか」が思考の始まりであるべきだったのです。

そして、私がここで何よりも述べたいのが、
野村監督のこの思考方法です。
私はこれこそが、「アート思考」だ、
と言いたいのです。

逆に言うと、
この時の古田捕手の判断は、
「サイエンス思考」として完璧ではないでしょうか。

「客観的視点」で伊藤投手のボールを「分析」し、
スライダーの切れが悪くなっている、
だから初球、ストレートを、ストライクゾーンに投げるべき、
という「論理」展開する。

これに対する野村監督の思考は、

「主観的視点」でバッター篠塚選手の心の中を「直観的」に感じとり、
1球をどうするかではなく、むしろ初球は外して勝負せず、後々勝負する、
という、篠塚選手との勝負「全体」を思考しています。

もちろん、
野村監督の頭の中は、古田捕手と同じような論理展開、
つまり、「サイエンス思考」もあったでしょう、
しかし、試合という、スピーディーに状況が流動し、
選手の心理状態や投げてみないとどうなるかわからない不確実で複雑な環境の中では、
主観的、直観的に、全体的に相手の心を読んで判断するという、
「アート思考」が有効だったわけなのです。

ちなみにこのエピソードは以下の動画で、古田捕手引退後2014年に、古田捕手本人が語っています。というか、野村監督以外の当事者全員が出てきます。
https://www.dailymotion.com/video/x1eg1zw


「アート思考」と言いながら、
ほぼ野球のエピソードを語ってきました、
野球のお好きでない方、すいませんでした。
我慢して読んでいただいてありがとうございました。


さて、「アート思考」の話です。

冒頭で述べましたように、
私たちは、「受験勉強」を通して、
徹底的に「客観的視点」「分析力」「論理的思考」
つまり「サイエンス思考」を鍛え上げます。

私は何も「サイエンス思考」は必要ない、
と言おうとしているのではありません、
むしろ、徹底的に「サイエンス思考」は鍛えるべきだと考えています。
受験時代にその初級編を、大学生時代にその中級編から上級編を、
兎にも角にも鍛え上げるべきだという立場です。
レポート作成、プレゼン、論文制作を通して、しっかりと身に付けるべきです。

ちなみに先ほどエピソードをご紹介した野村監督は、
データに基づいた細部にわたる「客観的」「分析」を、
「論理的」に思考して、野球のゲーム展開をするやり方を
誰よりもミーティングを重ねて選手に教え込むことで有名です。

徹底的な論理的思考力、
「サイエンス思考」は全ての基礎になっているのです。

しかし、それだけではどうしようもないのが、現代という社会ではないでしょうか。

つまり、
先ほど述べたヤクルト・巨人戦のように、
現代は、様々な要素が複雑に絡み、しかも物凄いスピードでめまぐるしく状況が変化しています、
このことに関しては、2020年、2021年というコロナ禍という世界の中で、
世界中の人たち全員が実感したのではないでしょうか。

この流動する状況下で生存していくためには、
この流動する世界の中で、「主観的に」「直観的に」「全体的に」考える、
「アート思考」でなければ太刀打ちできないことが、
先述のヤクルト・巨人戦のエピソードからお分かりいただけると思います。

繰り返しますが、もちろん、
「サイエンス思考」を否定するのではありません、
「サイエンス思考」を前提とした「アート思考」が重要だ、と言いたいのです。

コロナ禍で、我々が政府をはじめ、行政に求めたことは何か、
それは、科学的根拠(サイエンスで得られた裏付け)による、
素早く先まで見据えた(全体的にとらえた)判断、であるように思います。

「サイエンス思考」を軸に、
「アート思考」をその都度スピードを持って展開し方向性を示せること、
これこそがとくにこのコロナ禍、そしてwithコロナ時代、コロナ後を生きる、我々に求められているのです。


我々の問題点は、この時代の中で、
・サイエンス思考すら徹底できていない事
・サイエンス思考こそが目的だと思っていること
・サイエンス思考は前提であり、アート思考を鍛えなければいけないということ


今回はこの辺りで締めたいと思います。
今回は、「アート思考」をこれから語っていく上での、
問題意識の共有を目指しました。

「サイエンス思考」に凝り固まる現状から
「アート思考」へと踏み入れるには何が必要なのか、
その中で「煎茶」の役割は何なのか、
「超茶会」や「オンライン茶会」はどういう位置付けになるのか。

そのあたり、次回以降で考察していくことにします。
長文を最後までお読みいただきありがとうございました。

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