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「アート思考」と「煎茶」考察④   ー美意識を鍛えよう!対話しながら鑑賞しよう!

いつの間にか、前回投稿してから結構時間が経ってしまいました。
前回書いたものを読み直すと、かなり単純なことを主張していますね。

つまり、
「アート思考の根本となる『美意識』を鍛えるために、美術館に行きましょう!」と。

さらには、
「名品・名画を愛してやまない友人や先生と一緒に美術館に行って、その人たちの言葉にならない興奮の声を聴きましょう、すると、その作品に対してこちらも心ひらいてくるにちがいありません」と。

今回は、『美意識』の鍛え方について、引き続き書き連ねていこうと思います。今回紹介する『美意識』の鍛え方は、

「対話型鑑賞」です。

一枚の絵を見ながら、その絵に描かれていることに関して、
数人で、何でもいいので意見を出し合って語りあっていくというものです。
その中に全体の話題をリードしていく人がいるほうがいいでしょう。

私どもの煎茶の稽古や茶会では、
この「対話型鑑賞」を以前から(「対話型鑑賞」という言葉を知る以前から)やっています。
対話しながら絵画を読み解いていくことこそが、
煎茶を飲みながら人が集う「座」に他ならないと考えているからです。

私どもの稽古場で行われている対話型鑑賞がどのようなものか、
実例を上げてお話しします。まずはこの絵をご覧ください。

2020年4月「垂桃圖」

「これは何が描かれていますか?」
というこちらの質問から話は始まります。
見えていることを何でもいいのでも皆さんに口に出していただきます。

「上から下に枝が伸びてますよね。」
「しだれてますね」

「枝の先には細い葉がついているように思います、黒一色だから自信ないですけど」
「私も葉っぱが、シュッシュッっと出ているように思います」

「葉っぱだけじゃないんじゃないですか?」

「そうですよね、ポンポンポンと、塊のような部分もありますね」
「何だろう、花びら?」
「ああ、なるほど、画面中央にある塊がわかりやすいですかね、
おしべ?めしべ?何か出てます(笑)」
「あ、ほんとだ、全然見えてなかった」

「枝に葉っぱと花びらが描かれているんですね!」

こんな具合です。
何人かで話していると、だんだんとイメージが共有されながら、
何が描かれているか、わかってきます。

こちらから質問します。
「ではな何の花でしょうか?」

「えー!?」
「何ですかね・・・?」
「桜!」

こちらが聞きます。
「どうしてそう思いますか?」

「いや、なんとなく・・・・」

ここで、私は、スマホやタブレットで調べてみていただくこともあります。
「桜」と検索していただいて、本当に画像で出て来る「桜」とこの絵が似ているかどうか。

「桜じゃないみたいです」
「桜って葉っぱと花とが同時に出てないですもんね」
「うん。しかも桜餅についてる葉ってこんなんじゃないです」

「ではこの花は何でしょう、枝につく花、検索してみてください、あるいは記憶をたどってください」
とこちらが聞きます。

こういう作業はとても面白いもので、
いろいろとみなさん、検索されますが、意見がまとまってきます。

「桃じゃないですか!!」

そう、桃なのです。

そこでスマホをしまっていただいて、再び絵だけを見ることになります。
墨一色の絵です。墨の絵を見ながら、色をイメージしていただきます。
恐らくみなさんの頭の中では、それぞれ違う桃として色づけられていることでしょう。

「桃」という共通見解ができたところで、
さらにこちらから質問していくことになります。

「先ほど皆さんがネット検索して見ていた桃と、
この絵の桃と、違う点を挙げてください」

「え?」

だいたい戸惑われます。
戸惑われながら、さまざまなご意見が出てきます。
こちらとしては、絶対にご意見は否定しません。
すべて正しいです、
ただ、この絵の解釈上、面白いな、重要だな、とこちらが思うものを拾わせていただきます。
さらにこちらから
「ではもう一度ネット検索して桃の画像を見てみましょうか」
と言って、ネットに上がっているさまざまな桃の花の画像を見ていただきます。

比較しながら、また意見を出していただきます。

「あ!ほとんどの桃の画像は枝が上向きだ!」
「だけどこの絵は枝が下に向いている!」

面白い意見が出てきます。

「この絵、花の量が少ない!」
「ほんとだ!花、散っている途中じゃないですか?」
「花びらが何枚か落ちちゃってるものと、花が開き切ってるものと。」
「つぼみはないから、やっぱり開き切って散っていっているようですね。」

もう一度スマホをしまっていただき、
絵画だけを見ていただきます。

こちらで皆さんの意見をまとめます。
「下向きの枝に開き切っていたり、花弁がもうすでに落ち始めている桃の花。皆さんから出てきた意見を総合するとそういうことになりますね」

ここで「対話型鑑賞」稽古は終わりません。
まだまだ続きます。

こちらからの質問。
「そんな桃の花の絵、どんな感想を持ちますか?どんなことでも、主観でどうぞ」

「花びらが落ちるのもきれいですね、私は描かれてませんけど、ひらひら落ちていく花びらを想像してきれいだなって思いました」
「私は、むしろ、花が少なくて、花びらが落ちていってしまっているのもあって、悲しい感じがします。」
「枝も下向きですから、なんかネガティブですね」
「桃って普通、上に向かってる枝が多いですもんね」

「なんかそういわれればこの絵、全体が凄く悲しく見えてきました」
「私もです、最初、桃だとわかって想像で色付けしたときは、きれいだなって思いましたけど、今は凄く寂しく見えています」

私はこれが対話型鑑賞の醍醐味だと思っています。
つまり、対話を重ねていくうちに、絵が何なのかわかっていって、
さらにはイメージ、受け取り方がどんどん変化していくこと。

でもこれはもっと対話をすすめていくと、
「花が散るということは、ここから葉が茂っていって、夏になっていく、
ここからまた別の生命力が出て来ることになるので、ある意味では『再生』を感じます」
こんな意見が出てきてもおかしくはなくて、
そうするとまたこの絵の印象は悲しい「滅び」のイメージから
明るさへと向かう「再生」のイメージへと変わっていくことになります。

ここまで来ると、書かれている文字を読んで、
そこには「落花は泥となり、次の生命の肥料となるのだ」という詩が書かれていることを紹介します。


長々とここまで、
台詞を連ねて書いてきました、
読みにくかった方もおられると思います、
ここまで読んでいただき恐縮です。

対話型鑑賞とはこのような感じです。
それをつかんでいただきたかったわけです。

対話するということは、
自分も何か発言しなければならないわけで、
発言しなければならないということは、
積極的に絵画を、自分自身で見なければならないのです。

発言するために自分の眼で絵を見る、
自分の眼でとらえた情報や感情を言葉にする。
受け身的に人の解釈を聞いてうなずくだけではなく、
能動的に絵画に関わろうとする姿勢が、
「美意識」を鍛えてくれることになります。

また、他人の意見に刺激されて、
絵画が自分の目に映る、その映り方が変わってくる、
イメージの転換遊びがやはり「美意識」を鍛えてくれるわけです。


このように能動的に作品に関わり、
イメージを変えたり、膨らませたりしながら、
さらにお煎茶を飲む。
これが煎茶の稽古なのです。

絵画を解釈した「結果」がだいじなのではありません。
絵画を解釈していく「過程」が面白く、かつトレーニングになっているのです。


さて、今回はこの辺りで終わりにします。
正直、こちらも日に日に新しい情報が入ってきて、
私の考えもどんどん進まざるをえず、
しかも最近clubhouseなんていう新しい媒体もできて、
そちらでしゃべることもあって、聞くこともいっぱいあって・・・。

日々目まぐるしく進みますね、
そのなかで、できるだけまとめながら、こちらのnoteも更新していこうと思っています。

次回も引き続き、「『アート思考』と『煎茶』」を考察しますが、
今までの私のこのnoteでの記述を強く揺さぶる記事が2月23日火曜日の朝日新聞朝刊に出ていましたので、次回はその紹介から始めたいと思っています。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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