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"当たり前"を再確認する日

5月5日、こどもの日。

部活の直属の先輩が、病によってこの世を去ってから1年が経った。
物心ついてから初めて身近な人間を亡くした日。
喪服も持ち合わせておらず、お葬式やお通夜の作法もままならず、はじめは「どこからかひょいっと現れるのではないか」と、その事実を受け入れきれぬままに日々が過ぎていたように思う。

最近は全然明るい文章を書けていないし、こういうパーソナルで人を選ぶ内容を公開してよいものなのか悩んだけれど、訃報を受けから感じたことをずっと誰かに聞いてほしいと考えていたこと、また、文字に起こして整理し、読み返すことが私にとっての戒めであることから、このnoteに書き記していくことにする。

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まず、やはりその存在の大事さに気づくのは失ってからなのだと、身をもって感じさせられた。

私が実質的にお世話になっていた先輩は2人。
ひとりは亡くなり、ひとりは就職のため実家へ。病にたおれた彼女については、復帰後また部活に参加する予定だった。
このふたりから、活動に関する競技規定や動作、基本のすべてを学んだ。先輩方を無しにしては今の私はない。感謝しかない。

お二方が入院もしくは卒業をする際、私は部活を包括する団体の責任者の任を引き継いだ。正直なところ、さまざまな要因が重なったがゆえに、ワンマンで運営している部分が多くあることは確かだった。だからこそ、先輩が戻ってくれば、現状を鑑みたアドバイスを受けつつ活動ができると勝手に思い込んでいた。

しかし、頼りにしていたお二方はもう大学にはいない。

私は相談するのが本当に苦手だ。ひとりで考えすぎるなといろんな人に言われてきたはずが、活動の主体である後輩たちに対して「ワンマンでの運営が苦しい、助けてほしい」「部活に行くのが辛い」と叫び、頼ることが出来なかった。

気心の知れた先輩が、彼女が近くにいれば、と何度も考えた。

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次に、たくさんの後悔と悲しみが押し寄せてきた。

彼女を時々無下に扱ってしまったこと。
今振り返ればあれは確実に体調の異変だったと思えることに、当時気づけなかったこと。
3月のお見舞いの予定がうまく噛み合わず、会って話ができる機会を失ったこと。
亡くなる前日まで連絡をしていたことによって感じる、生きていたという事実。

打つ瀬のような感情に、時々呑まれている。今でも、時々。

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そして、友人の重要性を改めて痛感した。
感情を直接伝えるのが下手で決して器用ではない私が、お通夜までにやらねばならないことを淡々とこなせたのは、紛れもなく同期のおかげだった。余計なことは口にせずにすっと集まって、決め事をして、当日はちゃんとお別れをすることができた。

お別れのときに初めてみた同期の涙。何だかんだ頼れる人や相談できる人はちゃんといて、あとは私が勇気を出せばいいということ。
「先輩、ありがとうございます。仲間、大事にしますよ。」と言いたい。

日々の隙間で時折思い出す、先輩の確かな”不在”を通して感じたことは、全て当たり前のこと。そういうことはすぐに忘れてしまう。
だから5月5日は、こどもの健康と幸せを願う日であり、また誰かにとっての普通の日であり、誕生日であり、自身にとって”当たり前”を再確認する日。

今日この日、部活や研究をもっとやりたいと言っていた先輩の生きたかった1年を、私は生き抜いた。
私はよわっちくてどんくさくて、彼女のような熱意も、まっすぐさも、眩しいくらいの天真爛漫さも持ち合わせていないけれど、十二分にもがきながら、苦しみながら、自分なりに幸せに生きようと思う。

あなたの安らかな眠りと、どこかで見てくれていることを心から願って。

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