2022年の目標など

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

新年ということで、なにか、目標とか書き残しておこうかなあ、と。あとで振り返って答え合わせできますしね。ひとつのガイドレールというかんじで。

目標は率直にいって「群像新人文学賞を取ること」です。あとで初詣行ったとき、絵馬に残してこよう。

いま、新潮新人賞と文藝賞にむけての作品を書いてる、というより、直してるんですけど、正直こっちは、無理かな、と思ってる。下読みくださった方には申し訳ないのですが…。
新潮のほうは、ある新しい書き方に取り組んでるんですが、自分にとっては新しいだけに、通用するのかしないのか皆目見当がつかない。あと、プロの下読みの目から見れば、ぜんぜん「新しくない」ということもありえる。正しそうな修正はぎりぎりまで入れますが、足掻くという言葉のほうが適切な有様で、順当にいけば一次落ちという戦況です。
文藝のほうは、プロの添削のかたに「冗長すぎる。この物語は半分の分量で書けるよ」と言われたので、がんばって減らしています。いま277枚が219枚になったとこです。しかし、半分は先が長いなー…。というか、贅肉だけじゃなくて筋肉も削ってしまっているような印象を受けており、こっちもまあ一次落ちなんじゃないか、と思ってます。

「新しさの達成」も「冗長さの解消」も、たぶん3月末の時点では達成できない。けど、その経験を生かし、いちばんいい作品を群像に送りたい、というのが、今年の目標かなあ。

3月末に新潮と文藝に出し終えたあとは、とりあえず200枚のを3作品ぐらい書こうと思ってます。で、そのなかでいちばんいい作品を群像に送る。

目標、とはいっても、「取るための作品」を書いたりはしないです。公募に出しはじめて今年で8年目なので、材料はいろいろあり、狙えばそれなりのものは書けるのかもしれないけど、あんまりそういうのはしっくりこない。
よくある話題として「プロットは書くべきかどうか」というのがありますよね。正解はどっちかわからない、というより、ひとによって(目指す方向性によって)違うと思うんですが、私は「プロットは書かない」派です。
それは、ひとつに、小説は無意識で書くことが大事だと思うから。小説、とりわけ純文学は、いかに自分らしい言葉を書けるかが大事だと思うんですが、そのためには無意識というか、無我夢中で書くのが近道かな、と思ってます。
もうひとつ、プロットは書かないほうが楽しいから。たとえば旅に出るとき、地図を持たないって、すごく豊かなことだと思うんです。プロットを作らずに小説を書くのは、その地図を持たない旅に似てる気がして、たのしい。あの、しらない路地を見つけるように、しらない言葉や表現を見つける瞬間に、書く意味があるような気がします。

「取るための作品」というのではないけれど、今年試みたいことはいくつかあります。

まず「よく調べた作品」を今年は書きたいです。たっぷりの知識に裏付けされてる作品というのは、それだけで価値がある。もうすぐ発表になる芥川賞にノミネートされてる作品のひとつ「我が友、スミス」もそんなかんじだったと思う。これまでは自分の持ち物で書いてただけで知識による強化というのをさぼってきたきらいがあるので、今年はちゃんと調べた作品を書きたい。

それから「密度のある作品」。「良作はきまって密度が高い」と先日ある方がおっしゃっていて、私も全面的に同意します。文藝に向けて試みてることでもあるけれど、最初は長めに書いて、削ることで密度を高めるという書き方をしたい。

「もののあはれ」っていうのもやってみたいです。昨年文芸誌で読んだことがある内容なんですけど、ものの描写によって意味を持たせるというか、たぶんよく言われる「説明よりも描写」にちかい行為なんだと思う。情景描写というのは好きなので、そのなかで物語をつくるというのをやってみたい(やりすぎると冗長になりそうではあるけど)。

「なにをしたかではなくなにをしようとしたか」というのを大事にしたい。前回の芥川賞の選評だったと思うのですが、新人賞では、「なにをしたかではなくなにをしようとしたか」が大事らしいです。小説を書くまえに「なにをやろうとしているのか」たくらんで、わるい小説を書いてみたい。

あとは「にゃんしーらしい小説を書くこと」ですかね。基本にして究極にして、すごく難しいことだと思ってます。たとえ一次落ちでも、小説のなかでにゃんしーがにゃんしーであれば、それで構わない。目標と矛盾しているようではありますが。結果よりも経過を大事にすることで、ふしぎと結果が満たされることもあるはずです。

そんなかんじで、がんばります。賞を取るうえで、いちばんだいじなことって、なんなんでしょうか。8年目にして、私は、「通れと強く念じること」かなと思ってます。8年目でそれかい!という答えではある。でも、私は「文芸」の「芸」は「芸術」の「芸」かと思ってたんですが、最近は「芸能」の「芸」なんじゃないかと思ったりもします。だって「芸術」というほど立派なものではないと思うし。そのかわり「芸能」というのはなによりも「心」がだいじな営為だと思うので、今年はそれを大事にして、いい1年を過ごそうと思います。

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