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芥川賞候補作ぜんぶ読みました(23年上)

2020年下半期から「芥川賞候補作をぜんぶ読んで予想する」企画をかってにやってるのですが、今回もやります。

今回の候補作は、公式サイトによるとこちら。

石田夏穂(2回目の候補)『我が手の太陽』群像5月号
市川沙央(1回目の候補)『ハンチバック』文學界5月号
児玉雨子(1回目の候補)『##NAME##』文藝夏季号
千葉雅也(3回目の候補)『エレクトリック』新潮2月号
乗代雄介(4回目の候補)『それは誠』文學界6月号

知るひとぞ知るこのサイトも詳しいです。

千葉雅也と乗代雄介がベテラン枠ですね。文學界新人賞からスライドしてきた市川沙央が新人枠。ふだん作詞家をされている児玉雨子が外来枠。

…というぐあいに、ベテラン枠・新人枠・外来枠に分かれることが多いようです。ベテラン枠は5回ぐらい候補になれば、もう候補にはしてもらえなくなります。芥川賞も新人賞なので。新人枠は、上期であれば文學界新人賞・群像新人文学賞から、下期であれば文藝賞・すばる文学賞・新潮新人賞からだいたいひとりは選ばれます。ほか、ふだん作家をされていない方の枠みたいなのがあって、小説というものの懐の深さを感じたりします。

これを7月19日(水)の16:00から、小川洋子・奥泉光・川上弘美・島田雅彦・平野啓一郎・堀江敏幸・松浦寿輝・山田詠美・吉田修一という9人の名だたる選考委員が選ぶわけです。選ぶ場面はブラックボックスですが、掲示に貼り出されるところと、受賞者の記者会見はYouTubeとかニコニコ動画で配信されるので、全作品読んだ人にとっては、ドキドキする瞬間だったりします。

というわけで、読者にとってもちょっとイベントじみた芥川賞ですが、第169回である今回は、なかなかの当たり年なんじゃないかなと思います。というのはあんまり奇をてらった作品がない。どれも読みやすい。なので、ふだん純文学を読まない人にとっても、入りやすい回だと思うので、さすがに今から掲載号の文芸誌を手に入れるのはむずかしいかもしれませんが、すべて単行本化されるはずなので、受賞作発表後でも読んでみてください。

ではさっそく、予想です。

本命:千葉雅也『エレクトリック』
対抗:児玉雨子『##NAME##』
大穴:乗代雄介『それは誠』

今回はわかりやすく千葉雅也の単独受賞だと思うのですが、どうでしょう。児玉雨子もよかったけど、千葉雅也がすごすぎて、差がつくんじゃないかと思っています。ただこのぐらい完成度が高いとほかに票が逃げる可能性もあり(くりかえし、芥川賞は新人賞ですし)、乗代雄介は私はよかったと思わないのですが、「読めてない何かがある」と思わせる作品ではあったので、受賞はありえるかもしれません。

読んだ順にコメントしていきます。

市川沙央『ハンチバック』

「ハンチバック」という聞きなれない言葉がタイトルですが「せむし」「猫背」の人を意味するそうです。ミオチュブラー・ミオパチー(筋力が低下する難病)の方が主人公で、作者自身ミオパチーということなので、「純文学とは私小説のことですよ」という山崎豊子の言葉を借りれば、まっとうな純文学ということになるかと思います。難病の方から見た、健常者や社会への鬱屈が、サブカルや性を通して描かれている、というのも、主体の属性が変わることこそあれ書かれ方としては王道だと思います。素材としては、芥川賞が好みそうだと思うのですが、私は冒頭から「あれ?」と思ってしまいました。冒頭、htmlタグフォーマットでサブカルのウェブサイトによくあるような体験談が書かれるのですが、このサブカルのえぐり方が浅い気がしました。サブカルを書くなら「読者よりちょっと詳しい」ラインを攻めないとニヤリとさせることができないじゃないですか。その点、日比野コレコ「ビューティフルからビューティフルへ」は上手かったと思うんですが。一人称なので、「この主人公はサブカルに詳しくないから、このぐらいしか書けないはず」主張は理屈としてはわかりますが、だからといって読んだときの不満がイクスキューズされるわけではない。ふつうに「サブカルは書かないほうがよかったんじゃないかな…」と思いました。となると表題でありテーマの「ハンチバック」にどのぐらい感情移入できるかが鍵になると思うのですが、最初から最後まで、火が点いたような感触がありませんでした。たぶん、作者がそれを意図しなかったからだと思います。今回の5作の候補のなかで、ほかの作品にはこの「火が点く」瞬間がありましたし、複数回それを起こせる佳作もありました。この種のマイノリティ性にあらかじめ興味がある、火が点いている読者なら、のめりこめるとは思いますが、そこを読者の属性に頼るのは、ある種の甘えであるように思いました。それと、本作は結末が「賛否両論」と話題になっていました。が、実のところ「賛」の反応はあんまり見なかったというか、いうならば「否」または「賛否両論」のふたつに反応が別れたように思いました。「賛否両論」自体がひとつのポジティブな反応なわけです。たとえば帯に「選考会で大議論を産んだ」などと書けば、それで引き込める、そういうコマーシャルな価値はあっても、文学的な価値でいえば、結末はどちらかというとミステイクだったように思います。かといって、結末を抜けばよくなったかといえば、むしろ議論を呼ばないぶんおとなしく収まってしまうと思うので、そこに頼らざるをえないあたり、私は受賞は難しいと思いました。

児玉雨子『##NAME##』

すごいへんなタイトル。。でもタイトルで謎かけをすることができるし、それがちゃんと消化されるので、いいタイトルだと思います。私は読書中、ちょっと息継ぎをすることがあるのですが、この作品は200枚ぐらい一気に読み通せてしまったので、吸引力のある作品だと思います。展開がうまいですよね。前半は、書かれ方がシンプルすぎるし、これといって効果のない、たとえば伏線を設計してる舞台裏を見せられているような感触があり、「よくある女の子がかわいそうな目にあう話とか、なにものにもなれない・なりたくないテンプレなのでは…」という不安がよぎりましたが、後半にかけては書かれているものに独自性が現れ、「ここにしかない作品」として充実感とともに読み終えることができました。名前にまつわる「ゆき」と「みさ」の関係がすばらしいですね。少女ふたりの関係を描いたものとしては名作「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」が頭をよぎるぐらいよかったです。前半は自分のなかで補完をしながら読んだので、その点で技巧としては不足を感じたりもしましたけれど、面白さとしては不足のない、逸品を読んだ感触でした。

千葉雅也『エレクトリック』

あきれました。「千葉雅也まじ大人気ねえ」って思いました。このひと、もう芥川賞にならぶレベルの人ちゃうやん…。力量のケタが違います。新人の作品はものによっては読者の手助けを要することがあるのですが、この作品はそれがない。千葉雅也に任せてぞんぶんに作中世界に浸ることができる。冒頭の1ページを触っただけでそれが分かる。ほかの作品はある程度読み飛ばしても作品の価値を損なわずに読めるのですが、千葉雅也の作品密度はそれを許さない。すべての文章、もしかすると句読点にすら意味があるから。できれば芥川賞を取ってもらって、たくさんのひとに「なにが起こるわけでもないゆたかな世界」を味わってほしいなあと思いました。ただこのぐらい巧いと、新人賞にそぐわないという判断で、落とされることもあるかもしれません。それにしたって、作品の文学的価値を損なうものではまるでないはずです。

乗代雄介『それは誠』

文芸誌の表紙に「著者の最高傑作」と書いてあって、すごく嫌な予感がしてしまいました。そういうことは書かん方がいいと思うで…。その予感は、おそらく当たりました。乗代雄介の作品は、デビュー作のほか、直近2回の芥川賞候補作を読んだことがあります。毎回手札を変えてくるというか、いつも新人みたいにフレッシュな作品を書かれる点は長所と思います。が、それでも、前回、前々回と比べ、今回の作品がいちばんよくないように思いました。芥川賞は足し算なので、だからといってマイナス評価されることはないと思いますが。まず、文体がよくないです。乗代雄介は、どこかかっこつけてしまう悪癖があるように感じているのですが、それを文体でやっちゃってる。見方によっては「ホールデンみたいな口語文体」みたいに受け取ることもできますが、和製ホールデンなんてかっこわるいに決まってる。かっこつけるのはかっこよくない。この文体が280枚に渡って続くので、読むモチベーションを取りづらいものがありました。題材も高校の修学旅行という、ありふれたもので、そんなものを面白くするのは、きらきらの青春小説ならともかく、純文学では難しいのではないか。「新選組で好きな人は?」「あの」「あのちゃんは新選組じゃないよ」というくだりとか、全然ダメじゃないかなあ。とにかく文体が肌にあわず、いちばんちゃんと読めてない可能性があるのがこの作品なので、また乗代雄介の実力自体は思い知ってるので、もしなにか私の取りこぼした魅力があり、それを誰かに見いだされるのだとすれば、選考会がいちばん楽しみな作品ではあります。

石田夏穂『我が手の太陽』

溶接工を主人公に据えたプロレタリア文学、だと思います。「我が友、スミス」のコメディタッチなイメージがあったので、「石田夏穂、こんなのも書くんだ?」とびっくり。でも、この作風はあってない気がする。あんまりにふつうすぎて。「~スミス」のぶっ飛んだ感じが頭にあるだけに、拍子抜けしました。プロレタリア文学にしては、文体が軽すぎる。ある内容に合う文体はひとつしかないと聞いたことがあります。この溶接工の声を表現できる文体はこんなに軽いものではない気がする。そのあたりは、砂川文次あたりと比べてしまいます。「純文学は私小説」という側面にかんがみれば、このぐらい外の視点で書いてしまうと、純文学たりえない気がする。そう思う理由のうちメジャーなものは、やっぱり文体のかみ合わなさだと思うのです。作品としても、なにか特別なものを見出せる要素がなかったので、良作だとは思いますが、逆にいえばお行儀がよすぎるため、5作並べたときに頭抜ける要素に乏しいかなと思いました。

というわけで予想記事でした。めっちゃ書いたな!誰か読むんだろうか。。よかったらご笑覧ください。そしてあなたも予想してみてください。

書評家の豊崎由美さんのYouTubeでも予想はされるはずですし、毎回たのしみにしている大滝瓶太さんたちの有料配信では数時間にわたってじっくり語られ勉強になるので、ぜひぜひそちらも楽しんでみてください。ほか、いろんな方が予想されているはずです。私もそちらを観たり読んだりするのが楽しみです。

大滝瓶太さんたちの有料配信はこちら。

7月19日、たのしみにしてます。

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