京都という黒歴史メーカー

高校を卒業し、大学に入るタイミングで、
多くの田舎者たちが地元を離れることだろう。

いきなりだけど、彼や彼女らにアドバイス。
絶対に「京都」には来ないほうがいい。
田舎者が京都に来たら、間違いなく「黒歴史」になる。

日本で都会はといえば、東京を中心とした関東圏とされている。
かつて大森靖子は歌った。
「アンダーグラウンドは東京にしかないんだよ」
でも京都で青春を過ごした身からすれば、
東京はオンザグラウンドに見える。
めちゃくちゃ地に足が着いてる。

京都はそんなんじゃなかった。
容赦ないアンダーグラウンドそのものだった。
田舎から出てきて何も知らない若者がその空気を吸ったらどうなるか。
言うまでもない、「黒歴史メーカー」と化すのだ。

初めて借りた部屋は、大学から山を挟んだところにある、
ほんの3Fぐらいの小さなマンション(アパート?)だった。
ちなみに大学までは、山を迂回するか、山を越えることになる。
南のキャンパスで一限があるときは南に迂回するし、
北のキャンパスで一限があるときは北に迂回する。
ときどき、山を越えることもあった。
よく分からない洋館が坂の途中にある、すごく急な坂。
立ちこぎでも登り切れないし、登り切ると足がプルプルになる。
でもそこから見下ろした京都らしい碁盤目状の町はきれいだったし、
そこに向かって自転車をノーブレーキで下るのも楽しかった。
マンションの1Fには暴力団が住んでいて、怖かった。
マンションの屋上にはテラスハウスがあり、管理人さんが住んでいた。
部屋は9畳ぐらいで、広いけれどキッチンとかが一体化した
完全なワンルームマンションだったから、
ベッドとか机とかを置くとすぐに狭くなった。

さて、新生活である。
田舎者が京都に出てくると、お店とか雑貨屋のお洒落さにびびる。
田舎者御用達の京都のお店を3つ挙げるとすれば、
「ネオマート」「ビレバン」「イノブン」
ではないか。
この3店舗はいずれも京都の北山通りにある。
この北山通りというのが曲者で、お洒落なサブカルタウンではあるのだが、
田舎者がここに入ると、無事には帰ってこれない。
すごい黒歴史なものをたくさん買い込んでしまうのだ。

まず玄関に石を敷いた。
今思えば何を考えているのか分からないけれど、
当時はそれがお洒落だと思ったのだ。
ホームセンターで石を買ったら、量が多すぎて、
玄関どころか部屋の半分が石で埋まった。
ドアを開けて部屋に入ろうとすると、まず石が何個か零れ落ちる。
それを拾っていると「何をしているんだろう?」という気持ちに
陥ることがあった。

それからイノブンで竹を買って玄関にかざった。
らせん状の形をしたやたらおしゃれな竹だ。
うまく飾ればおしゃれになったのかもしれないが、
センスが壊滅的になかったので、
どう見ても「正月が終わっても門松を片付けてないズボラな人」だった。

イノブンでリンゴの形をしたライトを買った。
これはかわいくて、かなりのお気に入りだった。
段ボールで樹木のようなものを作って、その先にリンゴ型ライトを吊るし、
悦に入っていると、三日目ぐらいに落下して割れた。
しかしここでめげないのがサブカル男子。
ライトのうち電灯だけを再利用して、段ボールのなかに埋め込み、
手製のライトに再生させたのだ。
なお、電灯は白熱球だったのですごく熱くなり、
しばらく点けていると段ボールから煙が出始めたので(アロマかな?)
それ以降使うことはなかった…。

天井から吊るすロールカーテンのようなものを自作し、
ベッドのうえに飾った。
眠るとき、窓から差し込んでくる街路灯がロールカーテンを照らし、
アラビアのロレンスみたいな気持ちにさせてくれるのである。
ファビュラスだった。
しかし、カーテンはそこそこの重みがあったものを画鋲で止めていたので、
しばらく経つと画鋲が落下し、すやすや眠っている僕を襲った。
さながら「暗殺されるアラビアのロレンス」であった。

お洒落な家具もいろいろ揃えた。
お気に入りのひとつが超小型洗濯機だ。
当時のマンションには洗濯機置き場がなく、
洗濯するには屋上にあるコインランドリーを使う必要があったのだが、
ミニマムな洗濯機にほれ込み、買って部屋のなかに置いたのである。
ハイアールのもっとも小型な洗濯機で、ピンクで可愛かった。
見た目はお洒落だったが、給水栓を繋ぐ場所がなかったため、
風呂の残り湯を洗面器で汲んで洗濯機を回す必要があり、
全然お洒落ではなかった。
そのうえ振動がものすごかったので、下階のヤクザに
「お前んとこ、洗濯機置いてないか?」と凄まれたことがあった。
「置いてないですよ」というと話は終わった。それでええんかい。

当時好きだった浜崎あゆみのCDやらレコードを壁に飾り、
ダイソーの蔦みたいなやつで装飾したら、アマゾネスみたいになった。
布団をまるめてソファみたいにしたが、
ただの「布団をちゃんと片付けないズボラ」でしかなかった。
ベッドと壁の間に隙間を作ってそこを本棚みたいにしたが、
眠っている間に落下し、出られず一限に遅刻したこともあった。
「スノッブ」という名前の美容院に行ってた。

京都のアンダーグラウンドに憧れた田舎者の暮らしは
どんどん間違った方向に進んでいった。

大学の友人を集めて「プリン会」を開催したことがあった。
みんなに手製のプリンをふるまったのである。
しかし砂糖の分量について、100ml=100gで計算してしまい、
めちゃくちゃ甘いプリンになった。
友人のほとんどが食べ残すなか、後輩の女の子が
「これおいしいよー」と全員分のプリンを食べてくれた。
のちに初めての彼女となる。これはちょっといい話。

自炊はほとんどしなかった。
最寄りのコンビニを「僕の冷蔵庫」と呼んでいて、
朝・昼・晩のごはんともにそこを利用することが多かった。
だいたいパジャマみたいなだらしない恰好で訪れることが多かったのだが、
そこでバイトしていた子が当時好きだった子の友人であったらしく、
「にゃんしーさん、毎日パジャマで来て、のり弁買っていくよ」
みたいな噂が広まって、フラれたりした。これはだめな話。

そういえばコンビニまでは、桜並木の下を5分ほど歩くのだが、
その間に自作の詩を朗読することがよくあった。
これは黒歴史オブ黒歴史という気がする。

紅葉で有名な寺院が近くにあったので、秋には観光客でにぎわった。
近所のおばさんがたこやきなんかの出店を出していた。
僕は感心して、
「紅葉のシーズンを利用して出店を出すなんて、センスがいいですね。こういうところが、人生の成功と失敗を分けるんでしょうね」
みたいな、意識の高いことを話しかけたことがある。
おばさんはポツリと、
「成功する人間は、こんなところでたこやき作ったりしてないと思うけどな」
と呟いた。せやな…。

思えば何をしてもダメだった。
げに京都はおそろしい。
田舎の粗野な青年をサブカルクソナイーブ野郎に変えてしまう、
危険なアンダーグラウンドだ。
初めて借りたあの部屋は、その象徴のようだった。
アンダーグラウンドなんて、全然いいものじゃない。
なかにはセンスのいいひともいるけれど、
ほとんどの人間は土にまみれてセンスが死ぬ。
土葬である。
京都は土地のそこかしこを掘れば、過去の遺物がいろいろ出てくるらしい。
たぶんサブカルクソナイーブ野郎の骨も、山ほど出てくると思う。

当時住んでいた部屋の近くに女子高があった。
サブカルクソナイーブ野郎らしく異性に奥手だったので、
あんまり意識したことはないが。
いまの妻が、そこに通っていたのだということを後に知った。
当時に会ったことはないので、そういうロマンスの話ではない。

妻は京都育ち京都生まれの、真性京都人間だった。
その後の付き合いを通じ
「若くから京都で育った人間のセンスはここまで秀でるものなのか」
と何度も感じることがあった。
例えば自動車で長距離移動するとき、
音楽の選曲なんかは完全に妻に任せている。
「さよならポニーテール」とか「メテオール」なんかの
あんまりメジャーではないけどツボを押さえたセンスのいい音楽を
いつも流してくれる。
僕に選曲を任したら最後、いきなりブランキーの「悪いひとたち」だ。
いや、ブランキーがセンス悪いわけでは決してないが。
ただ「悪いひとたち」は合コンで禁じられた曲のなかでは
ワーストオブワーストだろう。
一度だけした合コンの話は、もう辛くなってきたので、しない。

京都が悪い街というわけでは決してない。
過去からの歴史と、未来に向けての発展が混じった、
芸術的に素晴らしく充実したセンスのいい街だ。
それゆえに、田舎から出てきた若者を惑わせてしまう、
おそろしい街でもある。

ときどき京都に帰ると、あの頃の黒歴史が隠れていて、
「うわあ」という気持ちになることがよくある。
いつか笑える日が来ればいいのだが、
この記事を書いていても全く笑える気がしないので、
それはまだだいぶ、先のことらしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?