コロナ禍、石垣りんの詩に寄せて
黄変米配給事件に寄せた石垣りんの心情に共感せずにはいられない。コロナ禍とワクチン配給はいつまで続くのだろうか。
事件は違うし、まだ事件にもなっていないが、かつて同じようなことが起こり、同じような憤りをもって詩にのこした詩人がおりました。
以下全編引用させていただきます。気に入った方はどこかでお手にとって読まれて下さい。
黄変米事件
結核患者座り込み事件
一定の人がコロナ禍が続いていると信じて、おそらくそれよりも多くの人がワクチン接種に問題を感じていない中、石垣りんのこの詩をコロナ禍に寄せて語るのは反感を呼ぶかもしれないが、どうか許してほしい。1954年にも、この政策を批判的に報じたのは朝日新聞だけだったとのこと。現在はもっとひどい状況かもしれないのだ。
ワクチン接種の先頭を走っていた国々の接種率が下がり、政策としても接種を中断しつつある国が増える中で、日本の止むことのないワクチン配給は異様です。世界の中で日本が取り残されつつあることを物語っているようにしか見えません。また接種間隔は何度も短くなり、消費期限も何度も延長されていることに違和感を感じたことはないでしょうか。
上記の詩はしいたげられ、かえりみられることのない無名の民を歌ったものですが、現在の日本は、国そのものが無名の国になりつつあるように見えます。
ワクチンの否定は、接種した人たちにとって、その判断への批判と感じることでしょう。人格を否定されたように感じる方もおられると思います。しかしながら、ことは重大であり、この流れのままでは危ないのです。政策が変わる見通しが当分ない以上、ワクチン配給を終わらせるのは無名の民の判断です。少しでも疑念が生じている人は、コロナワクチンについて、ワクチン後遺症について、あらためて調べてみて下さい。
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