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コロナ禍、石垣りんの詩に寄せて

黄変米配給事件に寄せた石垣りんの心情に共感せずにはいられない。コロナ禍とワクチン配給はいつまで続くのだろうか。

この国の恥ずべき光栄を
無力だった国民の名において記憶しよう。

『石垣りん詩集』岩波文庫

いきどおる日の悲しみを
私たちはいくたび繰り返さなければならないのだろうか。

事件は違うし、まだ事件にもなっていないが、かつて同じようなことが起こり、同じような憤りをもって詩にのこした詩人がおりました。

以下全編引用させていただきます。気に入った方はどこかでお手にとって読まれて下さい。

日記より(というタイトル:磯谷注)

一九五四年七月二七日
これは歴史の上で何の特筆することもない
多くの人が黙って通りすぎた
さりげない一日である。

その日私たちは黄変米配給決定のことを知り
その日結核患者の都庁坐り込みを知る。

むしろや毛布を敷いた階段、廊下、庭いっぱいに横たわる患者ストの様相
 に
私は一度おおうた眼をかっきりと開いて見直す。

明日私たちの食膳に盛りこまれる毒性と
この夜を露にうたれる病者と
いずれしいたげられ、かえりみられぬ
弱い者のおなじ姿である。

空にはビキニ実験の余波がためらう夏の薄ぐもり
黄変米配給の決定は七月二四日であった、と
新聞記事にしては、いかにも残念な付けたりがある、

その間の三日よ
私はそれを忘れまい。

水がもれるように
秘密の謀りごとが、どこかを伝って流れ出た
この良心の潜伏期間に
わずかながら私たちの生きてゆく期待があるのだ。

親が子を道連れに死んだり
子が親をなぐり殺したり
毎夜のように運転手強盗事件が起り
三年前の殺人が発覚したり、する。
それら個々の罪科は明瞭であっても
五六、九五六トン
四八億円の毒米配給計画は
一国の政治で立派に通った。

この国の恥ずべき光栄を
無力だった国民の名において記憶しよう。

消毒液の匂いと、汗と、痰と、咳と
骨と皮と、貧乏と
それらひしめくむしろの上で
人ひとり死んだ日を記憶しよう。

黄変米配給の決定されたのは
残念ながら国民の知る三日前だった、と
いきどおる日の悲しみを
私たちはいくたび繰り返さなければならないだろうか。

黄変米はわずか二・五パーセントの混入率に
すぎない、
と政府はいう。

死んだ結核患者は
あり余る程いる人間のただ一人にすぎず
七月二七日はへんてつもない夏の一日である、
すべて、無害なことのように。

『石垣りん詩集』岩波文庫


石垣りん詩集 伊藤比呂美編 岩波文庫 

黄変米事件
結核患者座り込み事件

一定の人がコロナ禍が続いていると信じて、おそらくそれよりも多くの人がワクチン接種に問題を感じていない中、石垣りんのこの詩をコロナ禍に寄せて語るのは反感を呼ぶかもしれないが、どうか許してほしい。1954年にも、この政策を批判的に報じたのは朝日新聞だけだったとのこと。現在はもっとひどい状況かもしれないのだ。

ワクチン接種の先頭を走っていた国々の接種率が下がり、政策としても接種を中断しつつある国が増える中で、日本の止むことのないワクチン配給は異様です。世界の中で日本が取り残されつつあることを物語っているようにしか見えません。また接種間隔は何度も短くなり、消費期限も何度も延長されていることに違和感を感じたことはないでしょうか。
上記の詩はしいたげられ、かえりみられることのない無名の民を歌ったものですが、現在の日本は、国そのものが無名の国になりつつあるように見えます。

ワクチンの否定は、接種した人たちにとって、その判断への批判と感じることでしょう。人格を否定されたように感じる方もおられると思います。しかしながら、ことは重大であり、この流れのままでは危ないのです。政策が変わる見通しが当分ない以上、ワクチン配給を終わらせるのは無名の民の判断です。少しでも疑念が生じている人は、コロナワクチンについて、ワクチン後遺症について、あらためて調べてみて下さい。

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