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リスク化される世界 果てしない比較考量

美馬達哉『リスク化される身体』青土社 2012

リスクという概念が社会に確立され、それがいつの間にか医療に潜り込み、身体はリスク評価の俎上のものとなった。
リスクを避けるために人はあらたなリスクを犯しているのではないか?

この本が2012年に医者によって書かれていることに驚かされた。

p62より引用〉
リスクが過大な恐怖を込めて表現され、健康増進の効果が強力に宣伝されたとき、消費者である個人は弱い立場に置かれることになる。つまり、リスク化される身体が無制限な消費文化にさらされれば、選択の自由にもとづくはずの個人の意思決定が容易に一方向に誘導されてしまう危険がある。また、消費文化だけではなく、国家の政策にもとづいてリスクの過度な強調やリスクの否定がおこなわれる場合もある。こうしたリスクへの恐怖によって生み出される社会情動と統治の関係については、リスクパニックを論じる次章で分析することしよう。
〈引用終わり

p76〜では、マーク・シーゲル『偽りの警告〜恐怖という流行病についての真実』(未邦訳)の著作を引用しながら、「9.11以降、アメリカはリスクに怯える社会となった。新型インフルエンザ他、様々な病気の恐怖に怯える社会になっている」と論じている。

私は知らなかったのだが、アメリカでは以前からパンデミックの煽りが政府主導でなされていることに国民が気づいていたらしい。具体的には豚インフルエンザ、鳥インフルエンザ、新型インフルエンザだ。(マーク・シーゲルがこれらについて何冊も書いているようだが邦訳は無い。残念。コロナ前に美馬の本を読んでおくべきだった。)

日本でも新型インフルエンザのときは政府主導の警告を感じたが、気にしなければ気にならないレベルだったのと、たいして流行しなかったので、予想がはずれたくらいのことと思っていた。しかしながらそれはつまりパンデミック恐怖煽りの始まりだったようだ。

コロナパンデミックも人がバタバタと倒れることはなかったが、PCR検査が持ち込まれ、数字だけとはいえ可視化された。あれでみんな恐怖をつのらせてしまった、と誰もが思っているだろう。なにしろいまだにコロナがどんな病気なのか正確に把握している人はいないし、気にしている人もいない。公式な見解も聞かない。調べている専門家もいないのだろう。なんのこっちゃ?なレベルだ。

高血圧、高脂血症なども血液検査というありふれた簡易な検査方法がなければ可視化されなかったのと同じだ。とくに高血圧は、血圧計が工業製品として生産が簡単だったこともあり、業界をまたいでお金を生んだ。そうやって血圧は人々の健康指針となっていった。

個人的には、高血圧、高脂血症などは医療界からの煽りの方が気になっていたが、これらもよくよく考えれば政府主導、資本家主導だったのだろう。今はそう思う。

これからまたいろいろやってくるようだ。
本当に怖いものなのかどうか?
回避する方法は妥当か?
どこへ向かっているのか?
おのおのしっかり見据えていって下さい。


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