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小林紀晴『写真学生』漫画版

半分個人的な読書日記です。なんの結論もありません。。。

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『写真学生』原作=小林紀晴 漫画=長浜敏海 集英社 2002

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原作者の同名小説があるらしい。ぜんぜん知らなかった。
それもそのはず。私は小林紀晴についてろくに知らない。唯一知っているのは『Tokyo Generation』。発売と同時に買った。文人たちの東京。それもかつての東京を、現在の東京の写真と言葉で現出させるというコンセプトだった。そしてそこに中原中也も取り上げられていることを書評で知った。

中也について調べていた時期があったので、私はこのコンセプトに惹かれた。中也の過ごした東京が、モノクロームの写真とともに現れてくると期待した。
正直なところ期待はずれの本であったが、中也をこのように取り上げた本がなかったのでうれしくはあった。そして小林紀晴という人間が心に残った。なにせ1999年に中也という存在を感じようとする人間は珍しかったから。かくいう私自身も忘れ始めた頃だったので、あらためて思い出させられたのだった。

そしていつの間にか、、、二十年の時の中で、、、紀晴と中也の存在が混濁して、東京を徘徊する青春像の象徴となっていたようだ。
『写真学生』を古本屋のワゴンで見つけて手に取った時、若かりし紀晴や中也が、東京で煩悶しながら春とは無縁に蠢いている、そんな空気が私を覆った。中也については詳しいけれど、紀晴についてはろくに知らないのに、勝手にイメージを作り上げてしまっていたのだ。

帰ってからすぐに読んだ。困ったことにかつて同様に期待はずれだった。『Tokyo Generation』を読んだ時と同じだった。作品が悪いというよりも、私の期待が微妙にずれているのだろう。もっと青春群像劇かと思っていたのに、一人称の自伝エッセイの色が濃いことにちょっと不満を感じてしまった。小林秀雄とか富永太郎といったクセの強い人物。大岡昇平のような未熟な人物。そういうキャラクターがしつこく描かれるのを待ちわびながら読んでしまった(笑)
要するに、紀晴の自伝の中に中也の東京青春群像劇を期待している自分に気がついたのだった。

Wikipediaで調べたところ、小林紀晴は1968年の早生まれなので私より三学年年長だ。紀晴は当時杉並区に住み、私は同じ頃にその北にある豊島区に住んでいた。どうやら紀晴の青春は中也ではなくて、私自身に重ね合わせるのが正しい認識のようだ(笑)。捏造気味の自分史認識に修正を迫られたのだった。

話は変わるが、時々入ってくる企業メールに「〇〇工業新聞」という業界紙がある。
知人が主催する小さな音楽会でそこの社員さんと名刺交換して以来送られてくるようになった。どうも紀晴が写真学校を卒業して就職したところのようだ。
メールの中身は読んだことがないので社名も忘れていたが、先日メール削除する時に字面が短期記憶にとどまっていたようで、紀晴のことを調べている時に思い出した。

それが感慨深いというわけではないが、同時期にやってくると気になるものだ。
小林紀晴の存在が20余年を経て大きくなっている。

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小林紀晴(きせい) 長浜敏海(としみ)『ビジネスジャンプ愛蔵版 写真学生』集英社 2002 :https://amzn.to/3Mil3K1
 (初出 ビジネスジャンプ2001〜2002 連載)
原作単行本 https://amzn.to/39WMR8x
原作文庫本 https://amzn.to/3NkrD34

『Tokyo Generation』:https://amzn.to/3yzccQi

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#読書日記

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