本当に井岡選手はタトゥーを隠さなければならなかったのか?
ボクシングの井岡選手が4階級制覇の偉業を成し遂げた。
僕はLIVEで見ていなかったけれど、凄いことだと思うしおめでたい。
おめでたいんだけど、この試合の裏には井岡選手が入れているタトゥーについて少なからず問題があったようだ。
まず、JBC(一般財団法人日本ボクシングコミッション)の規則では、タトゥーが入っていると試合どころかプロテストも受けれないらしい。
(念の為JBCの公式サイトを見たが規則は掲載されていなかった)
そんな中、井岡選手はタトゥーを入れたのだけれど、今回の試合にあたってJBCからタトゥーを消すか隠すように要請されたという。
【タトゥー消し 井岡一翔に要請】https://t.co/HOrJ56oEqm
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) June 18, 2019
WBO世界スーパーフライ級王座決定戦に臨む井岡一翔に、「物言い」。JBCの規則では、体にタトゥー、入れ墨があると、試合どころかプロテストを受けることもできないという。
さて、このニュースを受けて様々な意見が飛び交っているが、僕個人としての意見を述べて行きたいと思う。
タトゥーを隠すべきか隠さず出場するべきか
これについては、僕個人の気持ちとしては、タトゥーを隠さずに出場して欲しかった。隠さずに出場して試合に勝利して欲しかったと思っている。
だけど井岡選手の立場になって考えると簡単にそうはいかないのも頷ける。大切な試合をタトゥーで台無しにされたらそれこそ元も子もない。
もちろん井岡選手にとってタトゥーは意味のあるものだとは思うけど、ボクシングの試合と比べた場合、ボクシングの方が圧倒的に大事だろうしJBCから隠せと言われるなら仕方がないのかもしれない。
試合にしても、本人一人の頑張りだけではなくジムやトレーナー、家族など実に多くの人がサポートしてくれている訳で、それをタトゥーで台無しにするわけにもいかないという責任もあるだろう。
だから、単純に「タトゥー出したっていいやん!」っていう井岡選手一人の気分ではどうにもならないし、そんな単純な問題でもないのだ。
また、もしJBCの規則でタトゥーを入れている選手は試合に出場できないというものが存在するなら、それをわかった上でのタトゥーなので規則であれば従うしかないというの本意ではないが、本筋だろう。
学校の厳しい規則について不平不満を言う高校生がよくいるが、僕からすれば、そんなこと入学する前からわかってるんだから入学してから文句を言うなよ、と言いたい。もし本当に規則に不満があるなら、然るべき手順で校則を変えれるように行動すればいいのだ。
じゃあ、今回の一件は仕方なかったのか?というと必ずしもそうではないとも思っている。
なぜJBCはタトゥーを隠させたのか?
JBCの役員であるお偉いさん方は、世間体を気にするのだ。まだまだタトゥーに偏見の多い日本では、タトゥーを隠さずに試合するだけでJBCに内外部から色んなクレームや意見などが飛び込んで来るのだろう。
そんな声を無視して突っぱねて、タトゥーを隠さずに試合をさせるだけの度胸とタトゥーに対する気持ちが無いのだと思う。
政治家と同じように、面倒ごとは避けた方がいい。ということ。
ちなみに、JBCの役員名簿をスクショしてきたので見て欲しい。
ざっと見てもらえばわかるように、いかにも世間体を気にしそうで、頭の固いご老人ばかりなんだろうな、ということは容易に想像できる。
なのでこんな人たちが、タトゥーをOKにしてわざわざ面倒くさいことに巻き込まれにいくとは思えないのだ。(そもそもこの面子に疑問を感じるが)
これは決してボクシング業界だけの話ではなくて、今の日本の風潮を見事に現している。
世間体を気にし、八方美人で、他人のことなのに無責任に口を挟む。
どうだろうか?思い当たる節はないだろうか?
外国人はOKで日本人はNG?
試合を見た人、試合結果を見た人はわかると思うが、相手のアストン・パリクテ選手(フィリピン)は、まあ、見事にガッツリとタトゥーが入っている。
この構図だけを見ると、やはり、外国人選手はタトゥーOKなのに、何で日本人選手はNGなんだよ!となる。誰が見てもわかる簡単すぎる矛盾というか区別というか差別というか・・・なんというかスッキリしない。
同じリングで同じ条件、拳と拳を交わして戦うのにタトゥーが有るか無いかなんて本当にどうでもいいし、全く関係の無いことだと思う。
今回はタトゥーが入ってようが強い、勝てることを証明してくれた井岡選手だけど、もし負けていたら、、、なんてことを考えると恐ろしい。
それこそタトゥーアンチによる集団リンチが起こっていただろう。
まとめ
今回はたまたまボクシンだったが、他のスポーツでも外国人はOKで日本人はNGということが殆どなのではないだろうか。
この偏見とも取れる方針?規則?の根源にあるのは、やはり世間体を気にしすぎる、というところにあると思っている。
今の日本を、日本人を如実に現している。
政治家は世間体を気にして思い切った施策ができない。
企業も世間体を気にして面白いことができない。
マスメディアも世間体とスポンサーを気にして自由な発言ができない。
世間体を気にするから、タトゥーを入れられない。
世間体を気にするから、家族がタトゥーを入れることに反対する。
窮屈じゃないか?そんな生き方してて楽しいですか?
と、問いたい。
タトゥーが有るとか無いとか、性別がどうとか、肌の色がどうとか、国籍がどうとか、そんなこと関係なく一人の人間を一つの個性として見れる社会になればいいなと思う。
だからこれからも僕は、僕にできること、タトゥーの偏見を少しでも無くせるように発信していきたいと思う。
まとまりの無い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。
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