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私が一番好きなボカロ曲のお話

はじめに

 初めまして、いそろくと申します。私は、2013年に初めてボカロ曲に触れ、波はあれど今までずっとボカロが好きです。
 しかし、約10年の間「これがボカロで一番好きな曲」と自信をもって言える曲がありませんでした。
 この記事では、一番好きな曲に出会った話やどこが好きなのかをだらだらと述べる自分語りとなっておりますので、見なくても大丈夫です。

一番好きな曲

『本当は演奏家たちとともに』

 私が一番好きな曲は、FRENZ 2019という映像作品上映イベントでMVおよび楽曲が公開され、2019年9月15日にニコニコ動画に投稿された『本当は演奏家たちとともに』という曲です。(YouTubeでは翌日の16日に投稿)

Music: imie / ばらっげ
Lyrics: ばらっげ
Movie: 黒鷹


FRENZとは

FRENZは主に個人や少人数で制作・活動する作家による、
Friends(仲間達)とFrenzy(熱狂)するための映像上映イベントです。

FRENZ 2019公式サイト

 『本当は演奏家たちとともに』はFRENZというイベントで発表されました。黒鷹さんがMVを作成し、楽曲をばらっげさんとimieさんが作り上げられました。
 私はこのイベントに参加しておらず、現場の空気感等は分かりません。ですが、MVの構成や表現は素人目でもとても完成度が高いと感じたので、イベントではとても盛り上がったのではないかと思います。正直、イベントに参加してなかったのが後悔です…


出会い

 私がこの曲に出会ったのは「Kiite Cafe」でボカロを聴いている時でした。Kiite Cafeは、24時間ニコニコ動画に投稿されているボカロ曲がずっと流れており、ユーザの好きを共有することができるWebサイトです。詳しくはギザさんの記事がわかりやすいので、是非ご一読ください。


 出会いの経緯に戻ります。2022年の4月17日に何気なくCafeでボカロを聴いていました。そのとき『本当は演奏家たちとともに』が流れました。すでにこの曲は、Kiite Cafeの常連(通称:Cafe民)からの支持が強く、多くの方が反応していました。私の第一印象は「泣きそうになる曲…でもこんなにも好かれている曲なのに1万再生いってないんだ」でした。とてもありきたりな感想で、最初は聞き流していました。


 しかし数日後、プレイリストの周回をしているときに衝撃が走りました。


「なんて…良い曲なんだ…」

 Cafeで聴いていたことによって、若干客観的に曲を聴いていたのだと思います。ですが、時間を空けて一人で聴くことにより主観的に聴くことができました。
 はっきり言って、このとき何が良くてどこを好きになったのか覚えていません。が、ボカロ曲に理由なく心を揺さぶられたのは初めてでした。


好きな理由

 出会いから時間が経った今考える『本当は演奏家たちとともに』の好きな理由を挙げていきます。

1. かつて、仲間と頂上を目指していたミュージシャンの歌詞

 好きな理由を述べるために、歌詞を深堀りします。
 ※あくまでも私の解釈なので、間違ってても悪しからず。

1-1. 歌詞の解釈

ああ、長いもので 笑いあった時間と、過去 紡いだ音 薄れてゆくよ
ああ、夢見ていた頂上への旅は
いま日々とともに一人旅になって
動き出した時の流れ そばにあった声たちは
分かれ道の向う側
聞こえないよ 聞こえないよ
投げかけた過去の唄は 相応しい伴奏があった
自分の音に紛れた今
聞こえないよ 聞こえないよ

一番の歌詞

 仲間と音楽の頂上を目指していたけれど、気づいたら自分一人だけの旅になっていた。頂上を目指していたときは、仲間と笑い合い、楽しく音を紡いでいた。ずっと時間が止まっていて欲しかった。

 しかし、仲間たちは音楽以外の道を選び、時間も動き出してしまった。

 いま日々とともに、仲間たちと紡いだ音の記憶が薄くなっていった。仲間の音を求め、自分で再現しようとするも、あの時と同じ音はでない。
 あの時の音は、仲間だった彼じゃなければ出せない。
 自分というフィルターを通した音では、あの時と同じ音は聞こえない…


ああ、力をかけ 生み出していく音は また、自分だけの 空気をまとい
ああ、世に出てゆく独りよがりの声 いま日増しにまた強くなってゆくよ
止まらない時の流れ 聞こえてたはずの音は 記憶の中に残るだけ
聞こえないよ 聞こえないよ
目指してた夢の分だけ 鳴らしてたはずの音が 少しづつ減っていくだけ
聞こえないよ 聞こえないよ Wow…

二番の歌詞

 自分の力をいくら注いでも、作った音は自分の色が強くでてしまい、仲間が伴奏した音を再現することができない。
 自分が発表した曲は、かつての仲間を追い求めるがあまり、周囲からの意見を跳ね除け、独りよがりになっている。時間が経つにつれ、より仲間の音は遠くなる。
 仲間と紡いでいた音は、時間とともに「鮮明な音」ではなく「曖昧な記憶」になっていく。そして、その記憶も薄くなり、似たような音も出せなくなっている…


戻らない時の流れ そばにあった声たちは 今だに行方知らずで
聞こえないよ 聞こえないよ
投げかけた過去の唄も 今はカバーでしかないよ あの時と同じ音は
聞こえないよ 聞こえないよ Wow…

三番の歌詞

 時間は巻き戻らない。
 かつての仲間の行方も仲間たちと紡いだ音も行方知らず…
 過去、仲間と歌った唄も、今は「本物」ではなく「模倣」でしかなくなってしまった。あの時、仲間と紡いだ音は聞こえない。
 本当は仲間(演奏家)たちとともに、音楽の道に進みたかった…


1-2. 歌詞の考察

 この歌詞は、かなり自己中心的に受け取れます
 相手の気持ちを考えず、独りよがりにかつての音を模索し、再現しようとしている。全ては自分自身の夢見ていた頂上の景色を見たいがため。
 一時期は仲間全員で頂上を目指していた。しかし時間が経ち、それぞれの道に進むようになった。でも、自分は音楽の頂上を諦めきれず、仲間の幻影を追ってしまう。あの時紡いだ音が最高の音であることを疑わずに。

 一方で、ミュージシャンをVOCALOIDに置き換えることもできると思います。(ここで言うVOCALOIDは数多の合成音声を含む広義的な意味)
 一緒に音を紡いできたボカロPだった彼は別の道に進み、機械であるVOCALOIDの自分は一人歌う。かつての歌声は彼と歌ってきたからこそ生まれたもの。機械である自分は過去を求め彼の曲を歌うが、全てカバーでしかなく、模倣になってしまう。
 一体のVOCALOIDは、彼と音楽を作りたかった想いを持ちながら、記憶データの風化を止めることができず、ただいたずらに日々を重ねる。

1-3. 歌詞のここが好き

 だらだらと私の解釈&考察を垂れ流しましたが、結局理由等を述べてない…スイマセン…
 私が歌詞で好きなのは『投げかけた過去の唄も 今はカバーでしかないよ あの時と同じ音は 聞こえないよ』です。
 考察の部分では記述していませんが、このフレーズは「経験したことは絶対に再現することはできない」と言っていると思います。経験とは、五感で構成されています。加えて、感情や場の流れもあります。経験した記憶は、同じ五感でも曖昧なものになってしまい、当時と全く同じ感情で辿ることはできない。そして、同じ場を作れるわけでもない。そして風化していく。以上のことを強調していると、私は感じました。
 この歌詞が好きな理由は、人間の不完全さ・弱さに対して、一種の諦観じみた感情を感じ取ったからです。私は他人に対して期待を持たないようにしています。正しく人間に諦観しているからです。自分自身で思っているよりも私は色んな能力が低いですし、他人に対しても期待を寄せすぎて細かいところで失望する要因を作ってしまいがちです。それが、私の心の負担になってしまいます。したがって、この歌詞に対して強い共感を得たので好きです。
 私は「保身と諦め」で動いています(ここだけ見るとクズ人間で草)。私は、精神的に弱いので全てに対してハードルを下げ、求められているハードルギリギリの高さで飛び越える方法かハードルを潜る方法を常に探しています。そして、歌詞のように過去の栄光に縋りがちです。縋っているのに「結局は今は無理なんだろうけどね」という考えになりやすいです。私自身がこんな思考なので、勝手に歌詞に共感して好きなったという訳です。
 以上が私の好きな歌詞についてですが、ばらっげさん的には違うメッセージを伝えたかったかもしれません。ですが、私はこの感情を大切にしたいと思います。


2. サウンド

 この曲の好きな理由の二つ目は「サウンド」です。
 涙腺を刺激するようなサウンドが大好きです。特に好きな理由は「歌詞単体では過去に固執しているように聞こえるが、サウンドが加わると『鎮魂歌』に聞こえる」ことです。
 理由1で述べたように、私はこの曲の歌詞に対して「自己中心的」と書きました。ですが、サウンドによって「過去に想いを馳せ、かつての演奏家たちに祈りを捧げる歌」に聞こえるんです。最初の方の印象は『鎮魂歌』でした。サウンドの魔力って本当にすごい。 歌詞を読んだ今でも『鎮魂歌』という印象は変わっていません。

 歌詞の考察で記述した「VOCALOIDに置き換えることもできる」はサウンドの印象からでした。VOCALOIDが、今まで関わってきた演奏家たち(ボカロPたち)への感謝や演奏家たちと一緒に曲を作っていたあの時のことを謳っている。そんな風に感じたのです。
 以上の理由から、歌詞ではネガティブな考察をしましたが、結局のところ根底には『愛』があるんだなとサウンドを聴いて感じました。好きです。


3. 『VOCALOIDと歌ってみた』

 この曲の好きな理由の三つ目は、ばらっげさんの声も入っていることです。
 ボカロ曲に人間の声を入れるな派閥がいるのはわかりますが、私はVOCALOIDと歌っている曲が大好きです。嫌悪感は全く感じません。

 歌詞の考察で二通りの考えを述べました。ミュージシャン目線とVOCALOID目線です。この考えは、サウンドも一つの理由ですが最たる理由は『VOCALOIDと歌ってみた』です。
 二つの声があるから、二つの解釈がある。単純ですが、これが私に刺さりました。二つの声は、二つの想いなのです。その想いの強さが私の心に響き、好きになりました。ボカロ曲だからこそ生み出せるVOCALOIDとボカロPとの関係が、本当に愛おしくて大好きです。


4. MusicVideo

 この曲の好きな理由の四つ目はMusicVideoです。
 初めに述べましたが、この曲はFRENZという映像作品上映イベントで、黒鷹さんが映像を作成し発表された曲です。映像主体のイベントなので、映像は物凄くて大好きです。
 歌詞を表示する光源オブジェクトの質感や表現、寂しさを演出している空間、一つの部屋から宇宙まで広がるようなプロジェクターの演出。何もかもが好きです。
 最後の「無数の星に浮かぶ初音ミク」の場面に関して感じたことがあります。この星たちは、演奏家たちなのではないでしょうか。星たちの中心に初音ミクが居る。初音ミクは、間違いなく現在のボカロ文化の中心です。そして、VOCALOIDが流行るきっかけでもあります。そんな存在が中心にいて、そこから数えきれないほどの演奏家(ボカロP)が生まれた。安直ですが、このようなことを感じ、考えました。
 また、初音ミクの顔が黒く塗りつぶされていました。これは、人によって初音ミクに対するイメージがあるので、あえて顔や表情を見せないために塗りつぶしたのかなと思いました。
 映像には終始感動しっぱなしでした。こんな表現があるんだなと…。視覚情報は、本当に重要な要素であると改めて感じました。

星は初音ミクを中心に回る


おわりに

 長々と拙い文章を読んでくださりありがとうございます。以上が、私のボカロ曲で一番好きな『本当は演奏家たちとともに』という曲について、改めて好きな理由を考えた記事になります。
 結論として、私はこの曲から「愛や想いをかつての演奏家たちに捧げる『鎮魂歌』」というメッセージを感じて大好きになったのです。
 私はこの曲に出会えて本当に良かったと思います。自信を持って自分の好きを言えるのは、とても幸せなことだと感じます。

 結びに、『本当は演奏家たちとともに』を創ってくださったばらっげさん、imieさん、黒鷹さん本当にありがとうございます。あなた方のおかげで私は救われました。本当に、本当にありがとうございます。
 この曲が今後も多くの人の心に届くことを願っております。


余談

 7月30日に開催されたボカクラ「ミクストリームvol.1」にて、DJをしていたギザさんに最後の最後の曲として『本当は演奏家たちとともに』を流されました。泣きました。私はこんなにもこの曲が好きなんだと再確認しました。人はデカい音でボカロ1選を聞くと泣きます。


追記(2024/2/13)

 以前ウィリアムさんからこんなツイートがありました。

 この考察について自分なりに考えてみました。
 初音ミクの死として『初音ミクの消失』が浮かびます。この曲は、初音ミクがアナタと別れる瞬間、データが消える数ミリ秒で歌いきる歌だと私は解釈しています。
 『初音ミクの消失』がゴミ箱に入れられてしまい、データが削除される瞬間を歌った曲ならば、『本当は演奏家たちとともに』はずっと放置されているパソコンが風化して、ソフトウェアとしての初音ミクを起動できなくなることを歌った曲なのではないでしょうか。

 『本当は演奏家たちとともに』は「歌っている自分がある人やモノに送る鎮魂歌」と私は考えています。
 魂を鎮める対象は自分自身でもいいと思います。風化していく中、「まだ、私はここに留まっていたい。まだあの人の帰りを待っていたい。」とソフトウェアという魂がパソコンから出ていかないように鎮める歌を最後に歌い消えていく………そんな風に私は考えました。

 『本当は演奏家たちとともに』が初音ミクの死を歌っているという解釈も素晴らしいと感じたので、追記させていただきました。ウィリアムEB.さんありがとうございました。

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