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「脳の闇」がひも解く「いらち」な性格

中野信子著 「脳の闇」(新潮新書)
著者の中野さんは、ご存知の方も多いと思うが、脳や心理学をテーマとした研究や執筆活動をされていて、最近ではテレビのバラエティー番組でもご活躍されている。

apple books の購入履歴をみれば、昨年の12月にこの本に出会っているが、どのような経緯でこの本に辿り着いたかのは定かではない。
ただ、今から思えばその理由は明白である。
それは、自分の嫌な一面である「いらち」とどのように付き合うか?
その解決の糸口を心理学的な書物に求めたからである。

この本は、なにも「いらち」を解明するためのものではなく、「脳」の中で起きている様々な現象を脳科学的な観点から分析をし、具体的な例をあげて解説しているものである。

中野さんご自身が「バカに読めない本」と、あとがきで記されているように、このバカ(私自身)にはとても難解な1冊であった。専門用語も多く、1回読んだだけではなかなか理解どころか、その単語すら記憶として脳に引っかかることすらない内容でもある。

ただ、バカはバカなりに、気になる章を繰り返し読み進めると、腑に落ちる内容やフレーズが脳の片隅に引っかかるようになってくる。

そして最終的には、自分の「いらち」のメカニズムの解明の手掛かりになり、また「いらち」との付き合い方を指南してくれる一冊となった。


いらち

「いらち」とは、大阪・兵庫を中心とした近畿地方でよく使われる人の性格を表すことば。かわいく言えば「せっかち」ということばが近いのだろうか。要するに、イライラしやすく、短気で怒りっぽい人のこと。
多少の「いらち」加減であれば、「あんた、ほんまいらちやな~」と、性格・個性の一部として肯定されることが殆どであると、私は認識している。

兵庫県尼崎で生まれ育った私も、ご多分に漏れずこの「いらち」気質を持ち合わせている。

いらちハラスメント

性格・個性の一部として市民権を得ている「いらち」も、あるレベルを超えるとそうは言っていられなくなる。
私事ではあるが、悲しいことにこれまでならコントロールできてたと思っていた「いらち」加減が、最近は顕著に顔や態度、時には言葉に出て来てしまうようになってしまった。
それはあたかも「出物腫れ物ところ嫌わず」の如く、お店の人のちょっとした接客態度だったり、運転マナーや公の場のマナーであったり、そして身内に対しても・・・。

あるレベルを超え、周囲の人に不快感を与えるようになったら、それはもはや性格・個性の一部としての許される「いらち」ではなく、パワハラやカスハラ同様に「害」であり、「いらちハラスメント」と言っても過言ではない。

ではなぜ、最近この「いらち」がコントロールできなくなりつつあるのか?自分なりに幾つかの観点から解明を試みた。

更年期障害といらち

「いらち」の原因を色々と調べていった結果、その可能性のひとつとして、いわゆる更年期障害というのに出くわした。
その症状として、倦怠感、発汗、ほてり、そして「イライラ」というのは、よく知られていることだと思うが、以外に知られていないのが、男性にも更年期障害があるという事実。

更年期障害の要因としては、加齢によるあるホルモンバランスの変化(減少)が関係するらしく、私も血液検査によれば治療するレベルではないが、そのホルモンが減っているとの結果。まぁ、これは加齢なのでどうしよもないのだが・・・。

この検査結果はあくまでも1つの可能性として、このイライラ感の増幅、すなわち度を超えた「いらち」は、果たして更年期障害だけが原因なのだろうか?
実はそうでもないようで、その糸口とでも言うべきものをこの著書に見つけることができた。

正義中毒 「正しさハラスメント」

これは、この「脳の闇」の中の第3章に出てくるフレーズ。
詳細は割愛するが、著者はこの章の中で、誰もが認める「正しさ」という空気のような何かがあり、それを逸脱した人を叩く行為について、その時の脳のメカニズムについて言及している。

「逸脱した人を叩く行為」とは、簡単に言えば、ゴミのポイ捨てをした人に注意をするという事で、その人がゴミを拾ってゴミ箱に入れてくれたとしたら、注意した人の脳の苦痛は解消されて満足感を得るらしい。
今から思えば、きっとコロナ禍のマスク警察も同じようなことだと思います。
そしてこの満足感は、脳科学的には、快楽物質のドーパミンが分泌されるからと説明ができることであると。

ここで言う「正しさ」とは、言い換えれば道徳、倫理観、一般常識のようなもので、それは歴史や文化、価値観によっても異なり、日本人がもっているそれは特異なものだと著者は言う。
そしてこの章を読み進めていって気づいたこと。
それは、私のもっている「正しさ」は、ある意味、中毒レベルではないか?ということ。

本人としては、せめてその予備軍ぐらいであって欲しいのだが、私もまさに「正義中毒」なのだろう。

「どうでもいい」という距離感

この章の終わりに著者は、こんな「正義中毒」の解決の糸口として、「どうでもいい」という距離感をもつこと、と導いてくれている。

一見、投げやりのようにとられかねないが、自分が気になった逸脱行為は、所詮は他人様の行動であり人生であり、そこに自分の正義を以って他人に指図したりする権利はないということ。

自分の「いらち」の裏にあるモヤモヤした得たいの知れないものが、実はこの「正義中毒」であると名医に診断されたようで、「脳の闇」を処方された今、今後は過度に他人を干渉することなく、適切な距離感を見極めながら、自身の「いらち」と付き合っていけそうな気がする。

この1冊を処方された結果、「いらち」の沸点を少しは引きあがることができるのだろうか?

自分自身にこうご期待!


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