クララとお日さま

先週の高橋源一郎さんの飛ぶ教室でも紹介されていましたが、ようやく図書館にリクエストした本が手元に届き、楽しく読みました。源一郎さんが「クララの一途な宗教にも似た思い」などと言われており、やはり一途な思いはそれだけで周りを感動させるのよねえという思いと、世の中はそんなことじゃあ生きていけないってのが本当のところだろうって思いが交錯。そのころ私は職場でいやなことがあって、やっぱり自分ってまだまだ青い、社会で働いている男たちは別に真実なんか求めてないし、それを求めるのは青臭い女だけかも、真実には興味がないって、ソ連の秘密警察も言っていたではないか。自分も男社会で働くならば、自分の正義は置いとけって話か、それができないのなら男社会で生きていくなってことかなあと思っていたところだったので、なんだか心が洗われるような、いや、逆に一途だからこそ、本当のことを知って、クララに対する切ない思いが募るっていうか。この先はまだ読んでいない人はネタバレになります。ふんふんと読んでいたのだけれど、衝撃を受けたのは、クララはお友だちじゃなくて、ジョジー(変換すると、女児になります)の身代わりとして生きていくことを求められていたっていう。父親の「本物じゃなくてもいいのか」っていう、なんだかえっえって感じでした。そしてクララは当然生き物じゃないから、言われたことを淡々と受け止めるんですよねえ。これ、機械じゃなくて底辺の人たちのことかいと。なんだか突然切なくなるお話でした。

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