vol.1 医療という不思議な空間

服を脱ぎ、裸を見せ、さわらせる。
自分の身体に針が刺され、器具が取り付けられる。
自分だけの秘密をつぶさに話す。

私たちの日常において、こんなことが当たり前にできる相手、もしくは、こんなことをされても平気な相手はいるだろうか。
初対面の人に、このようなことができる人はまずいないだろう。初対面の人相手に、突然裸を見せ、自分の秘密を赤裸々に話したりしたら、警察に通報されかねない。

身体を見せたり、秘密を話したりすることができるようになるには、お互いが相手のことをよく知り、さらに想い合っていることが前提である。したがって、そうでない相手に、自分の身体や心のうちを開示すると、私たちは「変な感じ」を覚える。身体をさわらせたり、自分の心のうちを見せたりするには親密性が必要なのだ。

しかし、このようなことが、まったくの第三者相手にふつうに行われる場所が、私たちの日常に一つある。
それが医療現場だ。


医療現場で私たちは、自分たちのあたりまえをこともなげに、しかもことごとくと覆(くつがえ)す。


たいしたためらいもなく、服を脱ぎ、身体をさわらせる。よくわからない吸盤がいくつも身体に取り付けられても(心電図のことである)、静かにベッドに寝つづける。針が刺され得体のしれない液体が身体に注入されても(注射のことである)黙ってその痛みに耐える。誰にも話したことのない秘密をつぶさに打ち明ける(心理療法のことである)。


さらにおもしろいことに、このやりとりはひどく一方的である。自分の身体を見せたり、さわらせたり、プライベートを話したりする相手(医療者のことである)が、相手にさせたことと同じだけ身体を見せたり、さわらせたり、プライベートを話したりすることは決してない。


身体を晒(さら)したり、さわらせたり、心を打ち明けたりという関係性は、親密性のうえにはじめて成り立つ。そして、親密性は、互いの考えや感情を開示し合うという、双方向的のやりとりが、時間をかけて継続されることではじめて培われるものであろう。


ところが、医療現場においてそのようなあたりまえは一切通用しない。ここでは、そのような親密性は一切培われないまま、私たちは一方的に自分を開示し、そのことに対してなんとお金まで払い(診察代のことである)、さらに、そこには政府の補助(医療保険のことである)までついてくる。
親密な関係でしか許されないことが許され、しかもそのやりとりが常に一方通行という不思議な空間。それが医療現場だ。


この連載の目的は、そんな不思議な空間を居住地とする医療者がこの空間の中で何を感じ、何を考え、どう生活しているのかを描くことである。

文化人類学について

私がこのような問いを抱く理由は、私が文化人類学者であることにある。
文化人類学は平たくいうと、世界にあるさまざまな「文化」を研究する学問である。一般的なイメージは、アフリカの奥地に入り込み、そこに住む「未開の人々」と生活をともにし、その人たちの生活の様子を描くといったものだ。


したがって、私の研究フィールドの1つが「医療現場」というと驚かれることもある。「そんなところがフィールドになるのか」と。


確かに、最新の技術がそろい、専門知識を学んだ人々が集う、医療現場は「未開」とは一見程遠いように思える。


しかし、先述したように、医療現場では、日常生活ではありえないようなことが次々と許される「不思議な空間」なのである。


そんな「不思議な空間」を日常とする医療者はそこで何を見て、何を考えて、どうすごしているのだろうか?


文化人類学者として、ここがフィールドとならない理由を私は思いつかない。

きっかけ

患者としての体験談についてはすでに数多くの本が出版されている。また、医療者が現代医療の問題を語っている本も多くある。しかし、意外と少ないのは、医療者が医療現場で何を感じ、考えているのかを、医療者ではない人々に向かって語っている本だ。


そのような本が前2者に比べて圧倒的に少ないのは、医療現場に、個人的な感情を持ち込んだり、親密な関係性をつくったりしてはならないという、医療者と患者に共有された暗黙の了解が影響していると思われる。


「患者」は病院を出れば、「患者」でなくなることができる。しかし医療者はそれが仕事であるゆえに、公の場で「医療者」でなくなることは難しい。結果、現場で、感じていることを率直に話すことは難しいのだろう。


しかし、私は、医療をフィールドとする文化人類学者として、医療者のさまざまな声を聞く場面に恵まれた。あらゆるアドバイスに対して首を振り続ける患者が診察室を去った後、「一生懸命考えた方法をまったく受け入れてもらえないとこちらも傷つく」とぽつりとつぶやいた内科医、四肢が十分に動かず、認知症の親の入院中のケアがなっていないと息子にどなられ続け、「自分たちの努力はなんのためにあるのだろう」とやりきれない思いを吐露した看護師など、医療現場には「患者」の知らない声が存在する。


いくら医療現場から親密性が消去されているとはいえ、医療現場が、いのちをやりとりする場であることには変わりがない。だからこそ、「医療者」という役割の後ろ側にどんな「ひと」がいるのかを知ってみることは、それぞれのいのちを大切に扱うために、とても重要なことなのではないだろうか。そんな思いを抱きつつこの連載を開始してみようと思う。

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