顔の傷跡でからかわれた私が不登校にならずにすんだ訳
突然ですが私は鼻の真下に傷があります。そこまで大きなく、通りすがりの人が振り向くほど目立つわけではないですが、人によっては気付くようです。
「もし気にしてたら悪いんだけど、『みつくち』で産まれた?」と聞かれたことも何度かあります。
詳しいことは知らないのですが、調べたところによると、みつくちの正式名称は口唇裂。
鼻の下と上唇が裂け目でつながってしまうような状態で、その形がうさぎの口元ににていることから「兎唇」と呼ばれたり、あるいは「みつくち」といわれたりもするそうです。(いま「みつくち」は差別語として使われなくなっているようです。)
口唇裂で生まれる赤ちゃんは意外と多く、400-600人に1人くらい。昔は治す方法もなく差別的な扱いを受けた人もいたようですが、いまは手術で治すことができ、傷跡もほとんど残らないとのこと。
さて、私の鼻の下の傷なのですが、いまも縦に線が入り、少し盛り上がっています。なので人によっては口唇裂の手術跡に見えるのかもしれません。
ですがこれは手術後ではないのです。
この傷痕は、私が3歳の頃、玄関から落ちて怪我をしたことがきっかけでできました。
母親が父親に「まほちゃん見ててね」と声をかけて外に出たにもかかわらず、「うん」と返事をした父親は、私ではなく巨人戦を<観て>しまい、その間に1人で歩き回った私は、玄関から墜落したのです。どういう落ち方をしたのか知らないのですが、その時に鼻の下が縦に裂けました。
母親はあわてて私を小児科に連れて行ました。
担当した小児科医からは、「傷は残らないから大丈夫」と言われ安心して家に帰ったですが、しばらくしてテープをとってみると、傷口が盛り上がって痕になっています。
女の子の顔に傷が残ってしまったと、白髪がほんとうに増えるレベルで母は悩んだそうです。
もし私が気にしだしたら、整形手術で治してもらおうと思っていたそうですが、幸い私がそれほど気にするそぶりもなく生活していたので、それに救われたと母は話します。
さて、なぜ私は顔の傷跡を気にせず生活をすることができたのか。
それは私の心が強いからでも、「見た目なんて関係ない!」というゆるぎない信念を幼少期の頃から持っていたからでもありません。
どちらかというと私は信じられないことを言われると、びっくりしてうまく反論できず、その言葉をいつまでも引きずってしまったり、時には動悸がしたりすることもある人間です。
そんな弱い私がなぜ傷跡を気にせず生きてこれたのか。それには大きな理由がありました。
からかわれた登下校
小学校に入ると私は近所の1学年上の女の子から、傷のことをからかわれるようになりました。
その子が何をしたかというと、自分の鼻の下を指さし、それを上下に動かして、笑いながら「じーこー、じーこー」と私に向かって言うのです。
なぜこんな言い方を思いついたのかよくわかりません。(こういう時の子どもの発想はある意味残酷です。 )
でもとにかく、これは周りの子たちにウケたらしく、それを見ていた登下校が一緒の子たちも、その真似をし出しました。しかも片道2.5キロだったから結構長い…。
そして遂にそれは、クラスの男の子達にも伝染し、私は集団でそれをされる立場になってしまったのです。
当然私の心はざわざわし、それを言われるたびに、みぞおちのあたりがしめつけられるような気持ちなりました。
でもみんな面白がっているので、その雰囲気を壊すわけにはいきません。私は一緒に笑いました。そして時には、そう言ってくる子を笑って追いかけたりもしました。
言ってる子はなんの悪気もないんですよね。でもこういうことがエスカレートしていじめになるのかな、とも思います。(というか、あの時点でいじめであったのかもしれません。)
社会が私を守ってくれた
ところがそのからかいは、ある日を境に一切なくなりました。そして「じーこー、じーこー」の発案者である上級生の女の子からは、「ごめんね」と書いた手紙まで渡されたのです。
なぜこんなことが起ったのか。
実はその悪ふざけを一緒に見ていた、同じく一学年上のアイちゃんという女の子が、「ああやって、みんなで人の傷をからかうのはよくないんじゃないか」と、学級会でそのことをとりあげてくれたのです。
そしてアイちゃんの問題提起は、私のクラスの担任に伝えられたのでしょう。今度は担任の先生が、私の知らない場所で、男の子たちを注意してくれていました。
アイちゃんとは家族ぐるみの付き合いで、よくお互いの家に遊びに行きあう中でした。アイちゃんはどちらかというとおとなしく、しかもものすごくあがり症で、テストになると緊張して鉛筆を持つ手が震えたり、シャープペンの芯が入らなくなったりする女の子です。
そんなアイちゃんが学級会で手を挙げ、私のことを問題提起するのはものすごく勇気がいったと思います。でももしあの時アイちゃんが勇気を出してとりあげてくれなかったら、あのからかいはもっといろんな人に広がったでしょう。
そしてそれは、そのうち深刻ないじめになり、私は不登校になっていたかもしれません。
でも私の知らないところで友達が、担任の先生が、そして親が私を守ってくれていました。こうして社会が守ってくれたからこそ、顔の傷を気にせず生きてこれたのだと私は思っています。
でも今でも思うんです。
もしあのとき、アイちゃんがいっしょになって私をからかっていたら、
もし担任が「いじめられる方にも問題がある」と、とりあわなかったら、
もし親が「もっと強くなりなさい」と私にいっていたら、
学級会でとりあげたくれたアイちゃんまで、一緒にいじめられるようなことになっていたら―
きっと私はほんとうは嫌ななのに、いっしょにおもしろがっているふりをし続けたと思います。
そして大きくなったとき、「この傷のせいで人生がうまくいかない」と傷を呪い、「あんたが巨人に夢中になっていたから私はこんなに苦しんでいる!」と父親に罵声のひとつやふたつ浴びせていたかもしれません。
ですが、家と学校という小さな小さな、でも私にとっては巨大な社会が私を守ってくれたおかげで、友人の小さな勇気が、私をくるむベールを紡ぎ出してくれたおかげ、私はそういう人生を歩まずに済みました。
顔のあれこれを気にする人たち
そして20歳をすぎたくらいからでしょうか。私は、顔のあれこれを、ひどく気にする人にしばしば出会うようになりました。
その「あれこれ」とは、大きめのほくろとか、あごの形とかそういったものです。私からするとそれは非常にささいなことで、なぜそんなに気になるのかがわかりません。
正直、「それが気になるなら、私の鼻の下の傷の方がよっぽど目立つような...」と感じることもありました。
ですがそのことがきっかけで、「なぜ私は気にせずに生きてこられたのか」を振り返ることになったのです。
あくまで私の体験を踏まえた解釈でしかありませんが、顔に限らず、自分の身体のどこかをいたく気にしてしまう人たちは、気になってしまう部分について、強烈につらい思い出があるのではと想像します。
でもそのときに、「辛い気持ちになるのは当然である」と、「からかってくるあちらが悪い」、そういう言葉で真剣に守られる機会がなく、いろいろな事情でその気持ちを一人で抱えてきてしまったのではないでしょうか。
「学校に行かなくていい、逃げろ」というけれど
新学期が始まるこの時期になると、こういう言葉がいろいろなところでよくみられるようになります。それはとても素敵なことだと思います。
でも、あの時の私の周りにこのような言葉があったとしても、私はこの言葉に反応できたのかよくわかりません。
多分できなかったと思います。
なぜならあの時の私の中には、「今の状態が辛い」とか、「学校に行くのが嫌だ」とか、「これはいじめかもしれない」とか、そういう言葉がなかったから。
朝になるとお腹が痛くなかったり、なんか嫌な感じがするだけだったから。
だから私は今日このツイートを見たとき、救われた気持ちになりました。
不登校に関する大人の言葉をみると、本人に向けてのアドバイスがあまりにも多いです。でもその前にー
「そういうのを見たら勇気を出して止めよう」
そういうアドバイスがなぜ先に立たないんだろうと思います。
たぶんそれは、大人自身が、いじめのようなことは大人になっても沢山あることを知っているからだと思います。
声を上げて事を荒立てるより、見過ごしてしまった方が、波風立たずにうまくいくことを知っているからだと思います。
それに加え、いじめられている子がいたら、周りの友達が止めに入って、それでいじめが止まるなんてことは夢物語。
そう思っているからだと思います。
確かにこういう現実は確固として存在していると思います。私も大人になってこういう現実をたくさん見てきました。
でも小学校低学年の私は、そんな夢物語に守ってもらえました。言葉がなかった私は、言葉を使って私を守ってくれる人たちに助けてもらえました。だから不登校にならずに済みました。
私はすごく運が良かったと思います。恵まれていたと思います。
でもこの話を、運が良かったで終わらせていいのかな。
世界がどこでもこういうカタチであった方がみんな幸せじゃないのかな?
そう思います。
だから8月31日の夜に私もこう言いたいのです。
いじめられている子どもに「逃げろ」というその前に、いじめている人に「それをやめろ」と言ってほしい。
そして私もその強さを持てる人間でありたいと思います。
10代の悩んでる君へ
最後に、10代の悩んでる君へ、というハッシュタグに仲間入りさせてもらったので、何か言おうかと考えたのですが、あまり言葉がみつかりません。
それでも今の私が何かを言えるとしたら、こんなことだと思います。
小学校低学年の私は自分を守る言葉を持っていませんでした。でも周りにいる人の言葉が私を守ってくれました。
日本語には50音しかありません。でもそれしかないのに、そこから生まれる言葉は無限です。
これを読んでくれている10代のみんなは、不協和音のように組み合わされた言葉でからだがいっぱいになっているかもしれません。
でも人を陥れる言葉の組み合わせもあれば、救ってくれる言葉もあります。
だから人と話すのが辛かったら図書館に行ってたくさんの本を読んでみてください。漫画だってもちろん大丈夫。
その中から、自分を穏やかにしてくれる言葉を少しずつでいいから身体の中に貯めて行ってください。
そうやって言葉を貯めておくと、自分を押しつぶすような言葉に囲まれても、その言葉たちが、身体の中から自分を守ってくれます。
言葉のなかった私に言葉を与えてくれたのは、小学校ときは遺跡の本、中学の時は星空の本、そして決定的な言葉を与えてくれたのは文化人類学という学問でした。
私にとってはそれだったけど、音楽とか、景色とか、何気ない会話の一言の中に、みんなを守ってくれる言葉はたくさんあるはずです。その言葉に耳を澄ませてみてください。それを探しに行ってみてください。