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高専中退。

先月のことですが46年ぶりに訪問しました。ある意味わたしの原点。高専辞めなかったらどうなってたんだろうか。思い出的にはいいものは何もないけど、ここには感謝しかないのです

私は中学を卒業して高専に入学しました。愛知県豊田市にある、国立豊田工業高等専門学校です。学科は電気工学科です。でも5ヶ月で退学しました。

当時は「このままここにいてはいけない」と思ったのです。もちろんこういうのはタラレバの典型例で、この判断が正しかったかどうかはわかりません。ここまでの人生で唯一、母親に泣かれたことだけですかね。

でもまあ結果的には、ここまでどうにかなってはいる(と自分では思っている)ので、いいのではないかと。

正門
増改築は行われていないようでほとんど当時のまま
吹奏楽部でパーカッションやってまして、なぜか毎朝30分このグランドでサッカーやる部でした。基本全寮制なんです
私が暮らした立志寮。1、2年生で4人部屋でした。301号室だったかな
女子寮ができてるみたいです。私の頃は女子は通学のみだったので、1学年200人中なんと2名だけでした
玄関です。何故かここは全く記憶にないです
301号室。訪れたのは平日の朝8時半くらいで、ちょうど授業に行く直前の時間帯
敷地内には先生の宿舎がありましたが、現在は使われていないようです
土日には月に1,2回は自宅に帰ることも多く、このバス停からもうここには帰ってきたくないなあと思いながらバスを待ちました


当時はコンピュータ系のエンジニアになりたかったんです。でも違うと思った、違うと思わせてくれたのは豊田高専のおかげです。本質的には理系なんですが文系に進んで、メディアの仕事をするんだと確信させてくれました。

辞めたことは後悔どころか正解だったと思っています。何よりも流されない、自分の意志を貫くことを体得したと思っています。あとは決断の速さですね。

退学後には誰とも連絡を取っていないので、みんながどうしているのかは全くわかりません。もう訪れることはないですが、記憶の上書きはこれで完了しました。

やっぱり、ありがとうという気持ちでいっぱいです。

【公開後に追記】現在の豊田高専がどういう学校なのかは私にはわかりません。この記事で言いたことは私には合わなかったということだけです。時代はすっかり変わりましたし、ロボコンなんかを見ていても高専は楽しそうな気がします。

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