生活が満たされると創作意欲が低下する問題

前回の記事で書いた旅行から帰ってきて1週間が経過しました。ふだんの日常に戻っているのですが、なぜかこの1週間はびっくりするくらい何も書く気にならず。。。今になっても取り立てて書こうということがないので、なんで旅行を境に創作意欲がこんなに低下したかと考えてみたいと思います。笑

今回の旅行では、会社のSNSもメールも全く見ないように過ごしたこともあり、完全に非日常の世界に没頭することができました。瀬戸内の美しい自然と、アートが与えてくれる圧倒的な体験にただ身を任せていると、自分の頭のなかにあった小さな心配事が些細なことに思えてきます。こんなどうでも良いことに、自分のメモリが消費されていたのかと。

東京にも非日常的な体験を提供してくれるところはたくさんありますが、ここまで徹底した思考のガベージコレクションは、やはり場所を変えなければできなかったんだと思います。自分の場合は普段からいろんなことが気になってしまう性格なので、思い出したくても日常を思い出せない仕掛けみたいなのが必要なんだと。

それで、とてもすっきりした状態で東京に戻ってきたのですが、旅行前のように「何かを書きたい!」という意欲というか、衝動が消え失せているわけです。下書きにはいくつか書きかけの題材もあるのですが、それを伸ばしていこうという気も起きない。

よく考えてみると私が記事を書きたくなるときって、頭の中によく分からないもやもやが溜まっていて、文章にしていくことで整理したい場合が多いんだと思います。だから記事もちょっと暗めの雰囲気になってしまうことが多いんですが。もともとそういう人なんですみません。それは直せないです。笑

文章に限らず、クリエイティブな作業って、何らかの渇望みたいなものがエネルギー源になりやすいような気がするんです。不便さを何とかしたいと思うからアイデアが生まれるし、ここにはない何かを見たいという願いが独創的な作品につながる。もっと根本的な話をすると、自らの欠落を埋めたいと必死でもがいている人って、人の心を揺さぶる何かを持っているような気がするんですよね。

もちろん日々何の不自由もなく、幸せに暮らせるのがいいに決まっていますが、残念ながらいつもそういうわけにはいかない。でも、クリエイティブという観点から見れば、それも悪いことばかりではないと思うのです。一人に起こる欠乏が、他の誰かを癒やしたり、感動させたりすることができるのですから。

ちょっと話が大きくなってしまいましたが、私の執筆意欲が低下したこととも関係がありそうなので深堀りしてみました。残念ながら私の記事で人を感動させたりはできないのですが笑、また日常の暮らしを続けているうちにいろいろと書きたくなると思います。まあ焦らずやっていこうと思いますので、引き続きどうぞよろしくお願いします!

サポートしてくれたら、私が美味しいものを食べます笑