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えむずぃーだおとワタクシ⑯

メリークリスマス!

今日のメインテーマは実はこの ↑ 写真です (^^♪
……というのは冗談ですが、いそいがデザインしたえむぞーくんを、友人が可愛いぬいぐるみにしてくれました!

いそいがぬいぐるみを作ったのははるか昔。
それももっと大きなサイズでした。
こんな小さなの(全長14cmぐらい)はとても作れません。
スゴイですね!

誰かが絵を描き、別の誰かがぬいぐるみにする。
それぞれの得意分野を集結。
これこそコラボですね。

MZOには会えませんから、代わりにえむぞーくんにビールとジャーキー、そして好物らしいポテチをプレゼント。

袋の中にはカップ麺も入っています!
(映ってないけど)

さて、新しい記事が出たタイミングですが、実は前の記事が自分の琴線に触れて思い出したことがありまして。
直接MZDAO記事に関係するわけではないのですが、私の仕事で起きたことを(身バレしないように)内容を変えてお話したいと思います。

それは……

何かの技術の喪失は他人事じゃない

ということ。

MZDAOとワタクシ16 by いそいぼう

あまり詳しくは書けないのですが、最近、私の仕事の現場で、職務に必要なものがメーカーで製造をやめた、という報せが届きました。

それは上の5コマ漫画の中には描いていませんが、日本の伝統産業に関わるもので、ものすごい技術の持ち主が作っていたものだったのです。
結局、跡継ぎが見つからず、廃業を決めたとのこと。

ものすごくショックでした。
それがないと、ある仕事がとてもやりづらくなってしまうからです。

それを友達に話した時、その友達はあっさりと

「まぁ、仕方ないんじゃない? 流行るものもあれば廃れるものもある。なくなっていくものには当然その理由があるんだよ」

と言ったのです。

その意見自体、私は決して間違っているとは思いません。
伝統技術というものには、確かにそういう側面があります。

しかし、技術というものは単独で存在しているものでしょうか?

私が今回ここでお話したいポイントは、そこです。

日本の伝統工芸は徹底して分業制でした。
それによって今、さまざまな分野で存続の危機が叫ばれているのです。

あるひとつの技術が絶えてしまうことが、そこで終わらないのです。

ある技術の保持者が奇跡的に後継者を得て未来に技術の命を繋いでも、その技術を発揮するために必要なもの(用具、素材……)の生産者が廃業してしまえば、結果的に連鎖廃業へと追い込まれてしまいます。
代案を探せばいいじゃないか、と、簡単には言えません。

職人の仕事などは、数日、数か月、数年程度で代わりのものが見つかるわけではないからです。

しかも、高い技術が生み出した利便性というものは、時として、本来の目的以外の分野でも活躍するもの。

ある伝統技術が、医療の最先端の現場で役立つ、などということもフィクションではないかもしれないのです。

何が言いたいかというと、先達が連綿と受け継いできたものを、自分に直接関係なさそうに見えるからといっておろそかにはできないのではないか、ということです。

人類は横(同世代)だけでなく縦(時間の流れ上)でも繋がりがあり、決して単独ではない。

合理、不合理だけを見ていては、そういうことも見失いがちだな……と、ふと思ったのでした……


思わず長々と語ってしまいましたが、お読みいただき、ありがとうございました。

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