イソヒヨドリが落ちてきた日
「あー……そうか。息子よ、覚えてるか? あれ、ちょうど去年の今日やわ」
朝、目が覚めてカーテンを開け、洗濯物を干すために二階のベランダに出る。そして不意に、今日って六月五日だった。と気がついたのだ。
今日は、一年前ここに『あの子』が落ちていた日。
唐突だが、皆さんは『イソヒヨドリ』という野鳥をご存じだろうか。
青い身体に赤いお腹。とてもきれいな声でさえずる可愛い鳥です。
その名の通り、ヒヨドリに似ています。
磯に住んでるはずの鳥ですが、最近では住宅地でもよく見かけるそうな。
我が家は山の天辺にあり、一つしかない生活道路が塞がると、完全に孤立してしまう、そんな所に建っています。
そんな環境を嫌がって、何かあっては次の配達に困るから、と本来なら配達圏の筈なのに、宅配ピザすら来てくれない。そんなリスキーな場所。
そう言うと「ぽつんと―――」という某テレビ番組に取り上げられるような場所を思い浮かべる方もいるかもしれません。街までバスで一時間、しかも、朝晩二便だけ……とか。
しかしながら、約九百世帯が並ぶ、いわゆる新興住宅地。バスも一応通っていて、一時間に一本あります。
この時期になると、ごみ捨て場の前で、
「ねぇ、奥さん。〇〇さんちの屋根の中に、熊蜂が巣をつくったんですって」
「じゃあ、屋根壊さないといけないじゃない。うちも昨年屋根の中に―――」
「熊蜂は木酢液がいいんですって。ペットボトルに入れてつるして置いておくだけでいいんですって」
なんていう日常会話が、今日はいいお天気ですねー、なんて話と一緒に出来てしまう、そんな不思議な場所だったりします。
そんな場所でのある日の朝。
洗濯物を干すために、ベランダに出て見つけた、黒く、どこかしら、しっとり濡れた感じの塊。
……うわー、ゴミやん。嫌な感じや。どこから飛んできたんやろ。
そう思って拾った瞬間、気付く温もり。
「うわぁ、これ生きとる! また鳥や!」
そう、思わず叫ぶ。そして「また」という言葉通りに思いだす、一昨年の春。
同じところに、同じ形で落ちてきた、巣立ちビナの哀れな末路―――。
カラスの餌になるために、連れていかれたあの巣立ちビナ。
あの時、感じた無力感。
幾晩も悪い夢として見るほどに、トラウマとなったその記憶。
『巣立ったばかりのヒナたちは、しばらくの間、親鳥と行動しながら飛び方やエサのとり方を身につけていきます。
そんなとき、まだ上手に飛べないヒナが、地面に降りていることがあります。……<中略>……手を出さず、その場を離れてそっと見守ってください』 ―――日本野鳥の会 野鳥の子育て応援ページより抜粋
そうです。
野鳥は保護しちゃいかんのです。こんな山奥の環境に身を置いて、それを知らない訳はなく、隠れる場所を作ってやっただけでとどめ、見守るだけにしようと決めた、一昨年の春。
けれど、それを守ったがために、私自身にえぐい記憶が刻まれて―――。
「なんや、なんや、どないしたん?」
巣立ちビナを手に包み、立ち尽くして途方に暮れる私の背中に、我が息子の声が飛ぶ。
「どないしよう。雛、また、落ちてきてしもてる」
『巣立ちビナの親鳥は、近くにいて見守っています。巣に戻すことが出来れば巣に、出来なければ、ちかくの茂みに隠して様子を見ましょう』
日本野鳥の会、その他諸々野鳥を保護しちゃあかんよ、という喚起HPによくある文言が頭のなかをぐるぐるめぐる。
とはいうものの、巣は屋根の上に鎮座する。この間ローンの支払いを終えたばかりのソーラーパネルの奥深く。人の手で戻せる場所にはない。
そして、庭の草むらは、お隣さんと斜向かいさんが飼う猫様のパトロール巡回路でもあったりする。
ベランダに放置――が、あかんのは、一昨年すでに経験済みだ。
どうやら、ちゃんと巣立ったというよりも、ちょい跳ね、が出来るようになった途端に落ちた、と見えて、跳ねる気配も羽ばたく気配も全くない。
今日は金曜。私はこの後仕事がある。
医者に連れてく時間はない。どこか隠せる場所……を探す間もない。
そして、世間はコロナで自粛。
休校中の息子は家にずっといる―――。
「……あかんと分かっているけれど、私の心のメンテナンスだ。息子よ、こいつは一旦、保護しよう」
「……おかん、それ、大丈夫か?」
捕まるんじゃないか、もしくは罰金?
そんな不安げな顔をしている息子。だがしかし、一日一旦保護するだけで罪になるのか。国土は狭いが、日本は、そんなに狭量な国でもないだろう―――。
色んな思考が錯綜したけれど、何より今、私には時間がない。
コロナ自粛で自宅待機で、家庭に縛り付けられている子供たち。その親は皆、口とおしりがもれなくついた可愛い我が子に与えるために、ホットケーキミックスと、日持ちする乾麺を大量にご所望なのだった。
それらが毎日毎日山と運ばれる流通経路の真ん中にある、とあるスーパーの食品倉庫に勤める私は、それらを格納するために、日々フォークリフトに乗らねばならない。
「息子。お前はこの後も、勉強なんてしないだろう。十時になったらペットショップが営業を始める。金は預ける。ミルワームを買って来て、この鳥に与えてやるがいい」
その言葉とお金を残して、私は一人、倉庫に向けて旅立った。
幸いなことに、息子は自転車に乗れるだけの能力はある。馬力もある。昔自転車乗りだったという、私の仲良しに頂いた、格好良く性能の高い自転車も持っている。
ただ、ちょっと頭の容量だけは、他家の子よりも不安があったりするのだが……。
案の定、息子は自慢の脚力を生かし、十キロ先のペットショップをすっ飛ばし、二十キロも先にあるペットショップ(注1)にまで、ミルワームを買いに行ってくれたのだった。
(注1)言わずもがな、往復40㎞。
……良い子なのだよ。心根は。
インターネットで調べたところ、その雛の名前はイソヒヨドリ。
他にもやっぱり保護した方がいたらしく、飼育に関して色々記載がありました。
長く保護するつもりもない。親鳥も様子を見ているようだ。だとしたら、どうにかして親の元に帰してやりたい。
最長一週間で、親元に帰す予定で始まった保護生活。缶詰になったミルワームも、生ミルワーム (注2) も安くはない。
注2)生=ばっちり生きてます……。
ソーラーパネルのローン支払いは昨年終わりを告げたと言えど、まだ住宅ローンを抱えた安月給。口とおしりのついた生物を育てる余裕は、息子以外にないのが実情。
家族を巻き込み、あれやこれやと、試行錯誤し、猫からもカラスからも隠れられる巣のようなものを作ってみたり、窓から出入りできるようにできないだろうかと棚を制作してみたり。
親鳥も、やっぱり気にしているようで、家の中から聞こえるさえずりに、耳を傾け、家の周りを飛んでいる。
早く親元に帰してやらねば、と気持は焦る一方だった。
しかし、ヒヨ子、と名付けたイソヒヨドリはしれっとした顔をして、お腹がすくと鳴き叫んでミルワームをねだり、いつの間にか飛べない羽をバタバタさせて、跳ねまわるようになっていた。
親鳥の姿が見えて、すわ、今か。と外に出しても戻ってくるわ、きょろりとした目でこちらを見つめて、澄ました顔で人間観察してくるわ。
『人懐こい』と言われるように、イソヒヨドリは人間をあまり怖がらない。くちばしに見立てた割り箸で何の苦労もなく食べる食べる、食べまくる。
いつからか、親もそれでいいと思ったらしく、エサはその人間に貰いなさい、と言わんばかりの態度で家の中を覗くだけになってしまった
人間に慣れたらだめだ、と思って、触る事だけはしなかった。
手を出したのは、親に帰そうとした時に、樋の上やベランダに出す時ぐらいで、それも手袋を忘れないように気を付けた。
鳥専門の獣医師に、診察を受けに行ったこともある。
結果は良好。どこも悪い所はなく、体重も順調に増えているようだった。
「できるだけ早く、親もとに戻してあげてくださいね。台風が来てるみたいだから、その後でいいけど」
そう言われたのは六月の中旬。
気持ちは焦る。しかし、その後も次々に来る大型台風―――。
気付いたら、すっかり七月になっていた―――。
そして、心の準備が欲しい『その日』はいつも突然訪れる。
七月五日の朝早く。
ありがたいことに、人手が足りてお休みだった日曜日。
ヒヨ子は相変わらず、元気だった。
ミルワームも買いためたものがまだまだあった。
いろんなことがあったけど、そろそろ日よりもいい頃だろう。
この次に来る大型台風、それが過ぎたらヒヨ子を放そう。
そんな風に思ったその日。
ヒヨ子はいきなり旅立った。
バタバタと羽をばたつかせ、開けた窓から、あっという間に飛び出したのだ。
「あ」
親子そろって、ヒヨ子が空を飛ぶのを見ていた
隣の家の屋根にとまり、自分の住処だった場所を確かめるように、じっとこちらを見つめていた。
その時。
兄妹だろうか、幼いイソヒヨドリを二羽ともなって、ヒヨ子をまるで迎えに来たよ、というように親鳥たちが舞い降りてきた。
「……なんか、いいなぁ」
息子が言った。
「親子やね。いいね」
私も言う。
「ヒヨ子ー、大丈夫か?」
そう問いかけた私の方へ、呼ばれた、と勘違いしたヒヨ子は、ぴょんぴょん、と跳ねて来ようとする。
すると。
親が、兄妹が、警戒音を出してそれを止めたのだ
「すごいなぁ。ヒヨ子止まった」
感心したように、息子が言う。そして。
「なんか、いろいろ心配したけど、大丈夫そうやん。このまま野生に戻れそう」
そう、続けた。
一番、ヒヨ子の育成に尽力した息子が、そう言ったのだ。
嫌だなぁ。なんか寂しくなるなぁ。
そんな風に思っていた私は、息子のその一言で目が覚めた。
そうだ。ヒヨ子は野の鳥で、あれは、果てしない空を飛ぶための翼だ。
そして、息子もまた、いつかここから巣立っていく―――。
息子と私の関係を知る、総ての人から親離れを心配されるほど、私になついている我が子も、獣医師に驚かれたほどに人懐こかったヒヨ子と同じで、きっと、あっさり巣立っていくのだろう。
いつも、寂しがるのは、残された方。
残されて、寂しがって泣くよりは、自分の為に充実した時間を。
食アレで、何も食べられなかった息子の為に一日中、台所に立ち続けた日々の中、封印していた私の夢。
忘れようと思っていた。
なかったことにしよう、とすら思った。
―――でも、もう一度、追いかけていいのかもしれないな。
「なぁ、息子。お母さん、漫画はもう手がアレで無理だと思う。けど、パソコンやったら叩けるからな。頭の中のお話……小説にしてみようかな」
ヒヨ子が飛んだその姿を見送りながら、私も、もう一度挑んでみようかな、そう思った。
「……ええんちゃう? 書けたら、僕にも読ませてな」
ヒヨ子が飛び去った、私と同じ方を見て、息子がぽつんと応えてくれた。
頑張ってみよう。
一人でも、読んでくれる人がいるなら書いてみよう。
そう決めたのは、その、七月五日の事だった。
五十野日夜子。
もう、お分かりだろうけど、この名はヒヨ子に貰った勇気だ。
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