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老子の思想を纏めて、それに対する自分の見解を記載する。

人間と哲学の知 第11回講義課題(2021_1223)
*はじめに
皆さん、今日は。担当の〇〇です。今日は老子の思想について学びましたが、今回の課題は(1)老子の思想を纏めて、それに対する自分の見解を書いていただくか[孔子の思想と比較して纏めても良い]、(2)孔子の考える知のあり方と老子のそれとを比較して纏めて頂き、それに対する自分の見解を書いていただくか、のどちらかの方法で書いてください。
*締め切り
12月30日(木)PM8:00

(1)文字数1000~1500字。

(2)講義で使用した資料か或はその資料と同等の信憑性のある資料に基づいて書くこと。

(3)出典は必ず挙げること。

(4)唯纏めるのではなく、最後に自分の見解も書くこと

(5)担当の指示する日時に提出すること。

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2021/12/23

老子の思想を纏めて、それに対する自分の見解を記載する。

<老子の思想>

老子の思想の根底にあるのは、冷徹な自然哲学である。神の存在を信じなかった。生命・物質も等しく<道>の所産と考えた。<知>の限界を悟ることこそ、真の認識への第一歩となる。無為という概念を生み出し、<道>を認識し、<道>の働きと一体化することである。法則を把握して、法則を徹底的に利用することとした。老子の学びは、知的エリートを対象とするものであった。<徳>とは、まっすぐな心を表す言葉であったが、老子は、人格的品性の意味を加えた。陰陽二気の説を一歩進め、対立物の相互転化の法則を見出した。老子の生きた時代は戦乱の時代であった。人間の生死について諦めの時代でもあり、その中でも人間のありかたや生き方を考えることに注力した。人間が存在しなくなっても、自然は残ることから、自然に腰を据えた生き方だけが人間に究極的な安らかさを保証すると考えた。老子によれば、人工呼吸器で延命することは、自然に抵抗するものであるという思想をもっているとされる。

 

<自分の見解>

 老子にとって人間はどのような存在であったのか。また、老子は自分自身のことをどのように認識していたのだろうか。また、自然と老子の<道>という概念の間にどのような関係があったのだろうか。人間には限界があり、<道>に近づくことしかできず、人間は自然の一部ではあるものの、自然を超越することは無理であるという方向性なのだろう。<道>に固執するあまり、自然から逸脱するものについては、その活用(人工的な技術)でたとえ救われるとしても、死の淵にあっても延命措置などを受け入れないという姿勢をもっているとすれば、それは、自然から頂いた命を捨てる行為でもあり、その行為自体は愚かなものではないかと私は考える。例えば、コロナへの対処としてRNAワクチンを現代人の多くが摂取している状況は、老子にとっては人間の遺伝子を直接書き換える行為であることから、それらは<道>から外れる行為とされるのだろう。コロナも自然の一部とすれば、甘んじて人類は死を選び、自然だけが残る世界が<道>の世界なのだろう。宇宙的な時間軸からすれば、人類の一時の延命措置にしか過ぎないという思想なのだろう。

 結局のところ、すべての人間・個人は早かれ遅かれ自然に帰ることになり、生命がこの世にある瞬間は、<徳><知><無知>などを意識して生きよということなのだろう。本能のままに生きるのではなく、欲を制限して生きよというような思想なのだろう。酒もたばこも女もたしなまないなんて、灰色の世界にしか思えない。

(約1,055文字)

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