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宗教から科学を独立させた人=近代合理主義を確立させた人

第13回講義課題について(20210728)
・はじめに
 皆さん、今晩は。担当の〇〇です。今回は、前回のキリスト教と自然科学・近代合理主義の関係を踏まえた上で、両者の関係についてのこれまでの一般的考え方とは違った、それとは別の角度からの考え方について学びました。前回、色々学んだ中で、特に、キリスト教における「神」「人間」「自然」の関係と自然科学の内実とが密接に関係していることを学びました。また、『西洋哲学史』「自然科学確立期の哲学」でベーコンが人間の理性を重視し、ガリレイが宗教と科学を分けて考え、ガリレイをある意味、「宗教から科学を独立させた人=近代合理主義を確立させた人」というふうに同書の著者である岩崎氏は、述べていましたが、実は、ガリレイは、根っからのカトリック信者で科学は、神を明らかにする為の手段として考えていた可能性があり、彼にとってはキリスト教と科学とは切っても切れない関係にあったことが明らかとなり、さらには、キリスト教の一面が近代合理主義そのものであるという見解について学びました。
・課題
 今回提示した資料等を使って、キリスト教と自然科学・近代合理主義の関係を中心に1000-1500字で纏め、最後にそれに対する皆さんの見解を述べて下さい。
 

<まとめ>
2021/7/28
・神の存在を白日にさらす。有名な科学者たち
キリスト今日の核心をなすもの
主観・客観問題
人間の自然支配は、比較的新しい考え方。
科学は普遍的で宗教的要素を含まないということが一般的に考えられているが、実は宗教からの視点で科学を探求していた時代がある。
・人間中心主義(理性中心主義・要素還元主義)
・近代合理主義
・人間を人間足らしめているのは理性である
・人格論(厳格な人格論/社会的人格論) 
A:人格を持つ、生存権がある。B:人格を持たない。生存権がない。もたない。
・生命倫理学(参考HP)
・要素還元主義・・・機械論 (人間を機械とみなす)
・CureからCareへ
・関係論 人間と自然へシフト  
・キリスト教 人間優位 自然よりも・・・
<見解>
 キリスト教というものは、個人的解釈として、弟子のパウロの脚本力・想像力を働かせてブーストさせ、その後、資本主義経済を巻き込みつつ、「愛」という名のもとに発展しつつある宗教であるといえるのではないか。というような、解釈をしている。多くの宗教は、価値を生み出す過程で、付随して貨幣や利益を得る仕組みとなっているが、物事は多面的であり、金銭的等の何かしらの利得を目的として、宗教を活用しているのではないかという疑いを持つことは容易である。例えば、新興宗教で地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教という旧宗教団体があったが、教祖の宗教観とは別に、信者を活用して終末思想・世紀末思想を絡めて、国家改革の目的から、革命的な活動/破壊的な活動していた点に多くの宗教モラルを逸脱した行為があったといえるのではないか。実際のところ、教祖であった浅原氏は死刑執行されている。これが、キリスト教的な発展をするには、パウロなるべく脚本家が誕生することで同宗教の再浮上が可能であるのではいかということは想像可能である。ところが、国は破壊活動防止法 の調査対象団体として指定したのみで、団体活動規制までは適用されていない。逆に言えば、再浮上の可能性は残されたままであることから、パウロの出現があるのかどうかが個人的には注視している。かつて、与論島に9カ月ほど居住したことがあるが、オウム真理教が土地を購入しようとした際に、釣りバカ日誌の作者が同教団への事実的な拠点を作らせないような活動をしたといううわさを仄聞したことがある。長崎の五島市に観光に行ったが、隠れキリシタンとして迫害された人々がいた歴史の島々であるが、そもそもキリスト教という虚構が江戸幕府(徳川家康)の国家統治の流れに馴染まなかった ことが原因であり、キリスト教という思想事態には、リスペクトをしていたと思慮している。キリスト教を利用して、世界覇権を企む諸外国から日本を守る結果が禁教という政策をしたと解釈している。
 近代合理主義を目指して自然科学者たちが、キリスト教に猛進しつつ、あるいは神をより理解しようとして自然科学を追求していったが、キリスト教的価値観から抜け出さなかった点にキリスト教を生み出したパウロの手腕が秀逸であったという証明ではないか。
以上(1,277文字)

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