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風の詩学 竪琴と螺旋 Modern LiteraturePoetry

気づいた点は以下である。

「竪琴」はギリシャ神話の昔から宇宙の体系的調和の象徴である。一方「螺旋」は混在する多様な存在
が互いの関係を見出しながら実現されていく生成的な調和を表象している。
自らを取り囲むものとの「見えざる関係」を最も本質的に表象するのが風であるとされている。

その中で、アメリカのシンガーソングライター、ボブ・ディラン(75)がノーベル文学賞を受賞した。
ミュージシャンとしては初となる快挙で、スウェーデンのストックホルムにある選考委員会はその理由を
「アメリカ伝統音楽にのせて 新しい詩の表現を創造した」とされている。

「第4の境界」(の幻想)とは、《人間は、人間が作り出した機械とは別の存在である。》とする幻想である。
自分たちが特別と意識することは、幻想ですらあるとする境界について論じられている。

風という観点や「竪琴」「螺旋」などは、初見の概念であり、理解するのに苦慮している。
その中で、ボブが新しい詩の表現を創造されるなかにも、それらの概念が関連していることが
おぼろげながら認識できた。
他方、第4の境界という概念からは、幻想というキーワードが与えられ、風の詩学自体を
幻想と捉えるものであるのかどうか、非連続の感覚とするものかどうかについても
しっくりこない感覚を有している。

以上

以下 メモ
13448196_16_ishikawa_ryuji.pdf

本論は、風の詩学として 21 世紀における螺旋の修辞をアメリカの詩人 Burt Porter の詩を通じて検証する。風の詩学とは、風にかかわる言説を体系的に分析することであり、今回はその中で「竪琴」と「螺旋」という二つの対立項のうち後者に焦点を当てた考察である。「竪琴」はギリシャ神話の昔から宇宙の体系的調和の象徴である。一方「螺旋」は混在する多様な存在が互いの関係を見出しながら実現されていく生成的な調和を表象している。特に 20 世紀以降、世界の多元化に符合するように「螺旋」は顕著にたち現れる。この体系的調和から生成的調和へ向かう表象の変遷は、自らを取り囲む空間の内なる原理を積極的に創造する意識への移行と連動していると仮定できる。この自らを取り囲むものとの「見えざる関係」を最も本質的に表象するのが風である。この風を導き手としながら、風の詩学は体系的調和から生成的調和への変遷を追究するものであるが、本論は 20 世紀からの潮流を検証する意味で 21 世紀の詩作における螺旋の表象を考察する
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2016年には歌手としては初めてノーベル文学賞を受賞している
2016年10月13日(木)午後8時すぎ、アメリカのシンガーソングライター、ボブ・ディラン(75)がノーベル文学賞を受賞した。 ミュージシャンとしては初となる快挙で、スウェーデンのストックホルムにある選考委員会はその理由を「アメリカ伝統音楽にのせて 新しい詩の表現を創造した」
ボブ・ディランがノーベル賞文学賞受賞! <br> ブルース・スプリングスティーンが感動の祝辞「ボブ・ディランは俺の国の父だ・・・」 | ボブ・ディラン | ソニーミュージックオフィシャルサイト (sonymusic.co.jp)

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第4の境界というタイトルは「なになに?」と思う方が多いかもしれません。簡単に言うと:

1)地動説
2)進化論
3)フロイト

この3つが、著者のいう歴史上の第1から第3の境界に関わるものです。すなわち:

1)は、人間はずーっと自分たちの世界=地球は特別で、他の星々とは違う、世界の中心だと思っていた(天動説)。ところが、僕らもプラネテス、すなわち彷徨う星の上にいるだけだとわかっちゃった。

2)は、人間はずーっと自分たちは神様が作った中でも特別な、神がみずからに似せてコネコネ作った創造物だと思っていた。ところが、自分たちも猿から進化したことが分かっちゃった。

3)は、人間はずーっと自分たちは自分自身の精神の支配者だと思っていた。ところが、人間の心は、まさしく人間に御すことのできない何ものかを含み持つことが本質だと分かっちゃった。

いい加減ですが、こんな感じ。つまり原文ではdiscontinuityとなっている「境界」とは、この「僕らは違うもん!特別だもん!」という非連続の感覚を指し、さらにこの「違うもん」はすべて幻想、謬見、fallacyであることが明かされた、というわけです。

と同時に(ここ大事)、このfallacyの発見によって、僕らがもう「以前の僕らではいられなくなっちゃった」という、そういう意味での「断絶」というかステージ移行も、実はこのdiscontinuityによって筆者は意味していたりするわけです。

この辺の原書のニュアンスは、吉岡氏はもう少し解説で書くことができたんじゃないでしょうか。比較的大事な箇所で誤訳がやや散見される点と併せて、僕がちょっと残念に思った点です。

じゃあ、話を戻して、本のタイトル「第4の境界」(の幻想)ってなんなのよ、と。

《人間は、人間が作り出した機械とは別の存在である。》

これです。これは「幻想」である・・・のではないか、と。

こうして錬金術のデミウルゴス的想像力から、レオナルド、17−8世紀の動物機械論、現代のアンドロイドや人工知能へと話はひろがってゆく。僕らって・・・もしかして、もしかして機械なのかしら??

本書の構成については、マズリッシュ先生ももうちょっとなんとかして欲しかった面もありますが、このテーマだけで十分刺激的。たとえば工学系の大学院生なんかが読んだら、急に哲学にも興味を持っちゃったりするかもしれませんね。

第四の境界―人間‐機械(マン‐マシン)進化論 | ブルース マズリッシュ, Mazlish,Bruce, 洋, 吉岡 |本 | 通販 | Amazon

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