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002_20231011_産業革命はなぜ「革命」的だったのか??

002_20231011_産業革命はなぜ「革命」的だったのか??


社会経済史
10月11日

講義の流れ

19世紀末のイギリスとドイツにおける工業化の高度化を比較する。その後にビーレフェルトという都市における工業化、工業化の高度化の過程を観察していく。

今日は産業革命(工業化)がなぜ「革命」的だったのかを見ていく。

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•最近、読み始めている本。

産業革命はなぜ「革命」的なのか?

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産業革命はなぜ「革命」的なのか?

→産業革命によって近世期までの経済から極めて大きく転換したことが理由として挙げられる。

→どのような転換か?

ジャレド・ダイアモンドの研究からそれを考えてみましょう。彼の『銃・病原菌・鉄 上下』は非常に有名な本です。

以下で引用する内容は、『銃・病原菌・鉄』からのものではなく、『文明崩壊』からのものです。僕はこちらの方が面白かったです。

産業革命以前の経済の拡大とは?

事例としてのイースター島

→太平洋に浮かぶ孤島

参考文献:ダイアモンド『文明崩壊上』。

太平洋の孤島
イースター島

出所:Googlemap

現在のイースター島。出所:Googlemap

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イースター島の面積は163平方km

宮古島は200平方km

約900体の石像が設置され、中には270トンのものもある。

ヨーロッパ人の観察者の言葉(1722年)
「初めてその石像を見たとき、われわれは驚異に目をみはった。乗り物の材料となる頑丈な木材も強靭な縄も持たない島民たちが、高さおよそ10メートル、それに見合った体積の石像を、どうやって立てることができたのか、まったく理解できなかったからだ。」

ヨーロッパ人の見た18世紀のイースター島

不毛な島、人口は2千~3千人しかいなかった。ニワトリ以外の家畜もいない。

誰がどうやってモアイ像を立てたのか?

まさか・・・・

イースター島に入植したポリネシア人たちはその風土に適合的な作物を持っていなかった。ココナッツはイースター島ではうまく育たなかった。

魚類全般にも乏しい。

降雨量が乏しい。  

最盛期の人口は6千人から3万人と見積もられる。ダイアモンドは高い推計を支持している。16世紀ごろから土壌浸食によって農業生産が減少し始めたようである。

現在の宮古島市の人口は約5万人。

イースター島の文明はなぜ崩壊したのか?

→近世期の経済の拡大には生態環境的制約が存在していた。拡大する人口は農業生産のさらなる拡張を必要とさせ、その農業生産は基本的には耕地の拡張を意味した。耕地の拡張は森林の縮小を招いた。イースター島の場合は森林の縮小が土壌浸食を起こし、農業生産が放棄され、文明が崩壊した。

→外部から食料を調達できなかったか?南米からの輸入は無かったのか?

産業革命によって近世期までの経済から極めて大きく転換したことが理由として挙げられる。

産業革命はエネルギー革命であった。近世まで人類は人力/畜力/風力から輸送用/工業用エネルギーを獲得していたが、それを化石燃料(石炭、石油)から得られるように転換したことで膨大なエネルギーを人類は手に入れた。

以上のスライドで、産業革命の重要性について説明してきました。

では、なぜ産業革命というエネルギー革命がイギリスにおいて最初に起こったのでしょうか?
→中国、中東、インド、日本、イースター島でなぜそれが起らなかったか?(これは別の講義)

19世紀に大陸ヨーロッパ(特にドイツ)、アメリカが工業化を開始し、19世紀末から日本、20世紀後半になると韓国、台湾、シンガポールなどが急速な経済成長を開始します。工業化の波は地球上の広範な地域を覆っていったのです。

今日の課題:産業革命はなぜ「革命」的だったのか?イースター島を事例に400字程度で説明せよ。Webclass上の提出箱に解答を提出してください。
ChatGPT

産業革命が「革命」的だった理由は、エネルギーの変革と経済の拡大に関連しています。この点をイースター島を事例に挙げて説明します。

イースター島は過去に自給自足の社会で、耕地拡大のための森林伐採が続いた結果、環境に制約を受けました。島内の資源が限られており、外部からの食料調達も難しかったため、人口増加に対応するための農業生産が限られていました。

産業革命が「革命」的だったのは、イギリスやドイツ、アメリカなどで化石燃料を活用し、膨大なエネルギーを手に入れたことです。これにより、生産性が大幅に向上し、新しい産業が興りました。一方、イースター島のような地域では外部からのエネルギー源が制約され、持続的な経済成長が難しい状況でした。

産業革命はエネルギーの効率的な利用と経済の拡大を通じて、近世期までの経済からの大きな転換をもたらしました。これによって、イギリスや他の国々は急速な経済成長を実現し、産業化の波が世界中に広まりました。

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産業革命が「革命」的だった理由は、エネルギーの変革と経済の拡大に関連しています。イースター島を事例に挙げると、島の限られた資源と外部からの食料調達の難しさが、人口増加に制約をかけました。

一方、産業革命の国々では、化石燃料を活用し、大量のエネルギーを手に入れました。これにより、生産性が向上し、新しい産業が興りました。その結果、イギリスや他の国々は急速な経済成長を実現し、産業化の波が世界中に広まりました。


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