夫婦別姓の議論の前に、そもそもの話を。
選択的夫婦別姓の議論がなかなか進まない。
夫婦別姓とか同姓とか、その前に、
「代々続く農家の跡継ぎ長男の嫁」という立場にある私が感じていることを書こうと思う。
私の夫は、普通の会社員だ。
同じ会社で出会って、社内結婚して、しばらくの間神奈川県で暮らしていた。
お互いの地元を離れて、神奈川での夫婦二人暮らし。
ゆえに「家」とか、「跡継ぎ」とか、そんなことまったく気にすることもなく、夫婦の暮らしを満喫していた。
しかし、結婚後しばらくして、夫の実家で法事があり、
夫の地元に帰省することになった。
昔からの地主さんが住み、ご近所付き合いもそれなりに濃い土地。
神奈川に住む私は、当然ながら、ご近所の方々のことはわからない。
そんなアウェイ感たっぷりの中で、見知らぬご近所さんたちが私を見る目は、
「長男さんのお嫁さんはどんな人なのかしら」
「どんな働きをするのかしら」
という、見定める目だった。
法事では、女はとにかく働く。
お茶やお茶菓子を出し、食べ終われば片付け、食器洗い、
そしてまたお茶出し、
まったく座る暇などない。
かたや男たちは、最前列に座り、お経を聞く。
私の夫は次期家長の立場だったので、
義父の横に座り、家長としての振る舞いを学んでいた。
この一件で、
「この家における私の立場」を瞬時に理解した。
私は「この家の嫁」であって、「夫の妻」ではない。
自分の実家の法事のやり方すら知らないのに、
夫の実家の法事のやり方は「嫁として覚えろ」と叩き込まれる。
粗相があれば、「あのお嫁さんは・・・」という目で見られる。
(幸い大きな粗相はしたことがないので、よかったが)
結婚して6年経った頃、息子が生まれた。
「跡継ぎが生まれてよかったね」とあちこちから言われた。
男子を産んでこそ嫁の価値がある・・・
まだまだそういう価値観が根強かった。
私は二人姉妹で、妹も結婚しているので、
私の実家には両親二人で住んでいる。
もし両親のどちらかに何かがあったら、私と妹で面倒を見ないといけないのだが、
そういう話はほとんど話題に上らない。
悲しいかな、両親も私たちをあてにしていない。
「女の子しか生まれなかった時点で、それは覚悟してるのよ」
と母は言った。
しかし、夫の実家は違う。
至極ナチュラルに「嫁が夫の親を介護する」となっているのだ。
「この家の人間だから、当然」
・・・「この家」。
私は、夫と結婚したのであって、この家の人間になったわけではない。
そもそも結婚した時点で、新たな戸籍ができているのだ。
けど現実は、
結婚して夫の姓にした時点で、
「夫の家の人間になる」
イコール、もともとの実家とは縁が切れる、
くらいの状況になってしまうのである。
都会ではそういう感覚は少ないと思うが、
昔からの家がたくさんある田舎では、まだまだこういう価値観が根強い。
この家の姓を名乗るのだから、この家のやり方に従って当然、
そういう価値観の中で、苦しむ女性はとても多いんじゃないだろうか。
義実家と夫 vs 自分、という構図になり、離婚を選択する女性もいる。
同姓でも別姓でも、好きな方を選べばいい。
それが選択的夫婦別姓の趣旨だ。
だがその前に、
当の昔になくなったはずの「家制度」がいまだにはびこっている状況を、
一度考え直した方がいいのではないか。
結局、その価値観がまだまだ根強いから、
「別姓にすると家族の絆が・・・」という人が出てくるのだ。
今の夫婦同姓の制度は、
妻である女性が「夫の従属」になってしまう状況を作り出している。
神奈川から今の土地(夫の地元)に引っ越すことになったとき、
神奈川の友人に、
「今どき『跡継ぎ』なんて概念あるの?!びっくり!」
と驚かれた。
私もそう思う。
けど、それが当たり前の土地が、まだまだこの日本にはたくさんあるのだ。
夫が跡を継ぐために、地元に帰る。
それにつきあうために、妻は、自分の地元を離れて、見知らぬ土地で生きていく。
孤独、孤育て、よそもの扱い。
時は令和なのだが、
現実は昭和・・・戦前なのかもしれない。
ありがたいことに、私は夫の実家で大切にしてもらっている。
それがせめてもの救い。
だけど本当は、自分の地元で暮らしたかった。
それが一生の心残り。
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