深郷歌
白石瓜生の数年ぶりの帰郷は、水深20メートルの湖の中だった。
陽光は遠く、深く暗い湖中の中。ダイバースーツに内蔵された水中ライトが、懐かしい実家を照らした。窓が開いていたので、彼は二階から入り込んだ。かつての己の部屋であった。
散乱した室内を想像していたが、予想に反し、ほぼ記憶のままの光景がそこにあった。ベッドがあり、机があり、本棚がある。それらを目の当たりにし、白石はようやく自分が帰ってこれたのだと実感した。
大学生三年の夏であった。大地震と土砂崩れ。度重なる地殻変動が、一つの村を湖に沈めた。都市の大学に通っていた白石は、食堂のテレビからその惨状を見ていた。救助されたのは僅か数名で、その中に彼の家族はいなかった。
あれから八年、白石は潜水士になっていた。少しでも家族の情報に繋がりたいという思いが遂に報われた。廃村の出身者として調査隊に迎えられたのだ。そうして、今彼はここにいる。
白石は階段上をゆっくりと泳ぎながら、一階ダイニングに降りた。ライトが真っ先に照らしたのは食卓であった。
すぐ近くにはキッチンがあり、冷蔵庫があり、壁にカレンダーがある。そして、微かに響く母親の鼻歌……はじめ、彼はそれを幻聴と疑ったが、聞きなれないメロディに変わったことで、現実の音だと認識した。音のする方向へと、白石は慎重に歩を進めていく。
八年の間に、何度も大規模な捜査が行われた。だが、人が生きた痕跡はあっても、ここには人が死んだ痕跡は存在しなかった。代わりに、調査員たちは奇怪な体験をした。水中に歌が響き、人影のようなものが見えたのだという。やがて、誰かが言った。
――沈んだ村人たちは皆、人魚になったんだ。
目の前に大穴が開いている。両親の寝室だった部屋の中心に広がる、あまりにも大きな穴。光も届かない果てのない底穴の中から、歌は絶えず聞こえていた。白石は意を決し、穴に飛び込んだ。
【続く】
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