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お笑いも愛だから

今年のM-1グランプリも無事トレンドをかっさらい、1週間は余韻を引きずる予感。これぞ日本の師走。普段お笑いを熱く語らない人たちもしばらくは語ると思う。そんな年の瀬が好きだ。

ずっと思っていたんだが、最近はお笑い芸人も見た目が重視されてきているよね?
かっこよさや美人、とかよりは垢ぬけているかどうかが。
とくにテレビに出演している男性の芸人さんの眉毛を見るとよく分かる。「化粧なんかしねえよ、ネタで勝負だわ」みたいな態度でいる人も、眉毛だけは整えている人が本当に多い。それだけで印象変わるし実際垢ぬける。清潔感が出る。

お笑い芸人見た目も重要説を唱えているのは、何より私が見た目から入る人間だから。
芸人に見た目を求めるな?ネタしか見てない?面白さしか求めてない?
な~に綺麗ごとぬかしとんじゃ!!ただ「面白い人」より「見た目も好みでべしゃりも面白い人」の方が好きになっちゃうに決まってんだろ!!

空気階段・水川かたまりさん、モグライダー・芝大輔さん、ニッポンの社長・辻さん、東京ホテイソン・ショーゴさん・・・

今グーグルで調べてみてくださいよ。絶対サジェストに「イケメン」「かっこいい」「彼女」って出てくるから。それだけ調べてる人が多いってことで、まあ私もそのうちの一人なんすけど。

はいそこの人、「これだから女性のお笑いワーキャーファンはよお~」って思いましたか?何なら言いましたよね?
「M-1で見ただけの芸人かっこいい~って言ってお笑い分かった気になる女寒気する」って?はあ~そうですねまあ一理あるかもです。
ただ貴方「かたまりマジイケメン」「芝さん渋くて素敵すぎる、かっこいい」ってつぶやくその熱量で芸人さんをトレンド入りさせ、お笑い界を少しでも盛り上げているワーキャーファン(ネタも見ていること前提)と同じだけの熱量、もしくは愛で芸人さんを推したことあります?なくてそうやって文句つけることでしかお笑い語れないんならこっちの世界に入ってこないでくれ。てかここは私のnoteなんで。

すみません、先日ちょっと目に入った攻撃的なツイートを思い出して私も攻撃的になっていました。いったん落ち着こう。


閑話休題。

今お笑いで売れるためには個々人の見た目以上に、コンビまたはトリオなどで揃ったときの雰囲気はかなり大事だと思っている。

ふたり揃った宣材写真を見ただけで落ち着くとか。隣に並んでいるとやっぱりしっくりくるとか。スーツで並んで、センターマイクの前に立つ姿が一番馴染むよね、とか。

揃ったときに「なんとなく」の雰囲気が好印象かどうか。
コンビ内格差、と以前はよく聞いたが、最近はコンビ、トリオ揃ってのお仕事の場が多く設けられているように感じる。
私は「この人、相方はあんまり見ないよな……仲大丈夫なんだろうか……」とおせっかいに心配してしまう質なので、芸人が相方と揃ってメディアに取り上げられている方が好きだ。

今年M-1決勝に出場していた漫才師で、個人的に揃ったときの雰囲気が特に好きだな~と思うのはオズワルド、男性ブランコ、ロングコートダディ。

雰囲気とぼかした言い方をしたが、解像度を上げるとそれは「コンビ愛の形」が好きかどうかだと思う。(便宜上コンビということにする)
この人たちはお互いを信頼しあっているか?ふたりがやりたいネタを試行錯誤して、ふたりで磨き上げてきたか?両人が楽しそうに漫才をしているか?私はそこが気になる。

伊藤さんの「はっ倒すぞタコ」には畠中さんへの信頼があふれているし、浦井さんの「何が一番ダメってね、事故が起きてから何にもしてないんですよ」には平井さんの未来を憂う気持ちがこもりすぎていたし、堂前さんの「一緒ニ走ルッテ言ッタヨネ~」の笑顔にはネタ中いろんな人にマラソンで抜かされて悔しい思いをしていた兎さんを救うだけのカタルシスがあった。

相方を「俺の隣にいて一番おもろいやつ」と信頼しているか、相方として愛しているか。それがネタからどのように感じ取れるのか。
ここ数年、お笑いに向けられている視線はまさに「そこに愛はあるんか?」の精神そのものだ。

その点で言うと、優勝したウエストランドのネタで一番好きだったのは、河本さんが「違います」「そんなことない」と言う瞬間だった。河本さんの受けの一言がないと、本当に井口さんの悪口漫才になってしまう。あの熱弁を隣で動かず聴き続けるのってかなり勇気がいるんじゃないだろうか。河本さんの「違います」には井口さんへの信頼を感じた。だから受け入れられたんだと思う。

余談だが、個人的にネタ中「この二人実は仲悪そうだよな……」と感じると、一瞬で興ざめしてしまう。最近長年テレビに出ているコンビの芸人に対してそう感じてしまった瞬間があり、そこからネタに集中できなくなった。

「この二人全然楽しそうじゃないな。漫才中体が明らかに相方に向いてないし、会話のテンションがじゃっかんちぐはぐで、それを話術で誤魔化してる感否めない……。無理してネタするくらいならその一枠を後輩に譲ればいいのに」とモヤモヤした。
私の勘違いかもしれませんが。

もちろんネタが面白けりゃコンビの仲の良さなんかどうでもいい!と言う人もいると思う。芸人はネタ、ネタ、ネタ。寝ても覚めてもネタ。その考えも分かるし実際ネタは一番大事だ。ナイツの塙さんも著書で言っていた。

テレビの視聴者は漫才を観ることに対価らしい対価を払っていないので、どうしても辛辣になるのです。テレビでオンエアされるネタは劇場に比べると格段に質が高い。おもしろさが凝縮されています。

M-1の舞台は、その一年間、いかにネタと真剣に向き合ってきたかが試される舞台です。
アンタッチャブルも、サンドウィッチマンも、パンクブーブーも無駄話は一切せず、本筋だけでお客さんを爆発させていたじゃないですか。あれこそ芸人の姿です。

『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』
ナイツ 塙宣之

作りこまれたネタは、信頼しあっているコンビやトリオが演じることで花開くと思う。
相方への信頼を感じられない、強い語気の掛け合い。もはや掛け合っているのかすら微妙なやりとり。そんなの下手したらただの罵りあい、セリフを順番に言っているだけに見えてしまうじゃあないか。それって芸なんですかね……?
少なくとも私は笑えない。

まず相方と楽しんでネタを披露してほしい。たとえ喧嘩のような熱量で言い合っているように見えても、態度や言い方に相方への信頼が垣間見えるならこっちも落ち着いてネタに集中できるし、面白いねと腹を抱えてゲヒャゲヒャ笑うだろう。

相方とのかけ合いでにじみ出るものすべてが、漫才中コンビだけの唯一の世界観を作り出す。漫才はただ面白いことを言えばいいのではなく、M-1なら4分間のうちにコンビ特有の世界を作れるかどうか。自分たちが漫才で作り出した世界に、お客さんを誘えるかどうかだ。
漫才も歌やダンス、演技と同じで自己表現の一種だから。

今年のM-1でもっぱら話題なのは「人を傷つける笑いはありかなしか論争」となった。
個人的には「人を傷つけずに笑いをとれるならそれに越したことはない」派だが、今の時代に求められる「人を傷つけない笑い」論争はかなり根深い。なんなら社会全体の問題だと思っている。一朝一夕には答えが出ないだろう。

今はただ目の前で漫才している芸人さんのネタ、そこに見える相方への愛を感じて思いっきり腹を抱えて笑いたい。


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【オズワルド】

【男性ブランコ】

【ロングコートダディ】


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