【ネタバレ注意】2023年最後に、今年印象に残った本5冊晒す
2023年も終わるということで、今年読んだ本の感想。
今年は後半になってから本を読む機会が増えたのもあり、厳選したのも秋以降に読んだ本が多い傾向。来年からの皆さまの読書の参考になればこれ幸い。
ゴリゴリにネタバレしてますのでご注意ください。
雨穴『変な家』『変な家2〜11の間取り図〜』
2024年に映画化も決定している、話題の「不動産ミステリー」。昨年からオモコロというwebメディアにハマっているのもあり、そこで読んだ記事が書籍化された本だ。
元の記事を読んだのは昨年の秋ごろで、そのときの怖さといったらなかった。20歳を超えて何年も経っているいい大人(わい)が、ひとりで夜のトイレに行けなくなったレベル。後引く怖さというか……
ネット記事媒体特有のリアル感もあり、しばらくこれが「もしかしたら本当に存在するのでは……」と考えて、背筋がひやっとした。今もたまに怖くなる。
正直、本で読むとネット記事に漂っていた「リアル」の雰囲気は薄まった。だが本になったことで、きちんとした「作品」として昇華された印象だ。
何より、面白い。
怖いのに読みやすい。
『変な家』と『変な家2』、どちらも1日足らずで読み終えてしまった。ここまで早く読み切った本は後にも先にもない。会話形式で物語が進んでいため、普段小説に慣れていない人でも読みやすい。図説が多く載っているのも、ストーリー理解に大いに役立つ。だが気をゆるめてささ~っと読んでいくといつのまにか恐怖の世界に片足を突っ込んでいた……って感じだ。ひ〜怖い怖い。ひとりでおトイレいけない。
シリーズタイトルの「変な家」、この「家」の部分が何を表すのか。入り口は間取り、物理的に存在する「家そのもの」を意味する。しかしすべてが明らかになったときに分かるのは、タイトルの「家」とは家族、家系(本家や分家など)、狭い共同体、そこに根付く歴史そのものを表しているということ。(余談だが、一つの物語を読み終わった後にタイトルに帰結するのが、文学部出身者の癖。ソースは俺。)
いわゆる家制度は現代では廃れているように思われる。だがこうしている今も「家」に縛られていたり、それに気づかず生活し、子どもの頃の違和感を抱えたまま過ごしている宮江柚希(『変な家』の登場人物)のような人が、この国にはたくさんいるのかもしれない……。だとすると、「私も変な『家』を知っている」と情報が多数集まったことで作られた(というテイの)続編『変な家2』が出版されたのも、広い視点で考えると恐怖かもしれない。
続編の『変な家2』の中に印象的なセリフがあったので二つ紹介する。
筆者と共に事件の謎を解き明かしていく設計士・栗原が、虐待で亡くなった少年の日記を読んだあとのセリフがある。
この一言が、この本を読んでいたときの自分の気持ちを代弁してくれたようで、正直ホッとした。もしこのセリフがなく、淡々と推理シーンが描写されていたら少々乱暴だと感じていただろう。こういった人間味が感じられるセリフに、読者として救われる場面がたくさんあった。
もう一つは、筆者が変な間取りの家に泊まったことがある早坂詩織という女性に取材をするシーン。彼女は会社を経営し、都心の高層ビルにオフィスを構え年商数億円を稼いでいる。しかし学生時代は、いわゆるお嬢様学校でお金持ちの同級生たちから見下されていた、苦い過去の持ち主だった。そんな自分と仲良くしてくれたお金持ちの女の子「ミツコちゃん」の家に泊まったとき、間取りをもとにした事故……もとい事件が起きてしまう。そして彼女はずっと、そのときのことが心残りになっている。
「ミツコちゃん」の不可解な行動や、泊まった家での違和感、痛ましい事件をしこりのように心に抱えながら、成長して社長になり、ブランドのスーツを着こなし純金のライターを手に取る早坂。彼女はこう言った。
ああ、これは……良いセリフだなあと直感した。月並みだけど、日々物欲をあおるSNS広告など思い出して、本当の幸せとは……的なことを考えてしまった。
「お金で買えるものって、どうしてこんなにくだらないんだろう。」
お金を理由に周りから蔑まれ、多感な時期に大切なものを失い、つらい経験をした。その記憶を埋め合わせるかのようにがむしゃらに努力し、大人になってあらゆるものを手に入れた後の、成長した早坂だから言えるセリフだと思った。
『変な家』シリーズは筆者と栗原の想像から広がる推理、最後に繋がっていく多くの謎、種明かしの面白さが主に話題になっているが、個人的には登場人物の苦悩、敬意、愛情、遺恨などの人間性が垣間見えるセリフの数々も魅力だと思う。このシリーズが一番描きたいのはミステリーの妙ではなく、家に縛られ続けた多くの「人間の怖さ」であるのは間違いない。
益田ミリ『ツユクサナツコの一生』
はっきり言おう。
「益田ミリ、こんなの書くんや……」
この一言に尽きる。
高校生の頃から本を集めている作家のひとり、益田ミリの2023年6月に出た新刊。
読んだあと、ぽつりと「そんなつもりで読んでなかった……」とつぶやいてしまった。
そもそも益田ミリ作品は、いつも登場人物の誰かが”し”について考えていたなあと思い出した。「老いていくこと」「生きるとは」などの問いにその作品の中で都度答えを出し続けていたが、一つ大きな結論がこの『ツユクサナツコの一生』の中にあるとしたら、「いつか突然会えなくなる」ということだろうか。
全てがもうネタバレになってしまうのだが、作品の中で「生きる」を表現することが、ナツコの突然の“し“を描くことでより鮮明になってしまった。私たちが実はいつも抱えている(かもしれない)「老いる」「幸せとは」「人生」など、不意に重くのしかかる思考。これらを淡々とした絵柄や間で読みやすく表現しているのが、益田ミリ作品の最大の魅力だ。だがこの『ツユクサナツコの一生』は、主人公の”し”を真っ向から描き切り、「生きる」などの問いを心の深い部分に突き刺してきた。益田ミリにこんな表現をされ、しばらく立ち直れなかった。半日引きずった。でも同時に、私はそれでも益田ミリ作品が大好きなんだなあ、と気づくこともできた。
今年もたくさん当作家の作品を読んだが、『ツユクサナツコの一生』は益田ミリという作家がより好きになった、とても印象深い本となった。
伊藤俊介(オズワルド)『一旦書かせて頂きます』
お笑い芸人・オズワルドのツッコミ担当、伊藤俊介さんのエッセイ。これ、めっちゃ面白かったです。エッセイ書くならみんなこんなふうに書きたいよな!!な!!!!!!(押しつけ)
あとさ、全然予想だにしていなかったんだけど、これ読んで泣いた。
妹の天才女優・伊藤沙莉から褒められた自身の「声」。友達。芸人仲間。元相方。2021年のM-1。どうしようもない父の葬式のエピソード。
ベースは伊藤さんならではの切り口で、日常に起こる様々な事象が面白く書かれているエッセイなのだが、10本に1本くらいの割合で「これは……」と目頭が熱くなる話がある。たぶん、泣かそうと思って書かれたものではない。「いつもみたいに語ってたらなんかいい話っぽい感じになっちゃたね~、あれ?お前泣いてんの?なんで?????」みたいな。結果としてこっちが勝手に泣かされている、そういう文章だ(勝手に泣かされているってなんだよ)。
それと、芸人ならでは(ならでは?)の面白い日常も描かれている。
一般人からしたら、なんで現実がそんなに面白いことになるのか不思議で不思議でたまらない。劇場のこけら落とし公演に大遅刻した伊藤さんが、相方の畠中さんとともに罪滅ぼしのため収容された「囚人カフェ」のエピソードなんか、えぐいくらい面白い。いやなんだよ囚人カフェって。∞(むげんだい)前支配人の「カフェやな」はもうその部分を読んだだけで笑える。134ページです。
お笑い芸人ってすごい職業だな。つらいこと、大変なこと、クソが!!!!!って思うこと、悔しいこと、しにたくなること……もちろんいろいろあるんだろうが、伊藤さんのエッセイを読むと、やっぱり周りに常に「おもろい」について考えている人、もはや存在が「おもろい」人がたくさんいる「お笑い」という世界は特殊な空気で満ち満ちているように思う。
……ここまで書いて、特殊なお笑いの世界がここまで面白おかしく、世界の一種のユートピアのように見えてしまうのは伊藤さんの視点、何より伊藤さんの言葉で切り取られているからに他ならないと気付いた。誰が経験しても面白い世界なんだったら、みんなお笑い芸人になるだろ。そうじゃないから、やっぱりお笑いの世界はきっついんだろうな。
いやお笑いに限らず、どの世界もやっぱりきついよ。一生懸命生きてたらね。苦しいしつらいし、はらわた煮えくりかえることばっかりで溢れているよ。世の中は。でも伊藤さんのような世界の切り取り方ができれば、楽しく見えてくる物事も増えるかもしれない。
エッセイで誰かの人生をのぞき見すれば、自分の視点をほんの少しだけ変えられる(かもしれない)。エッセイを読む醍醐味はこれだなあと、改めて思える一冊だった。
品田遊『止まりだしたら走らない』
仮面ライター兼漫画原作者、Twitter界のベテランインフルエンサー「ダ・ヴィンチ・恐山」こと品田遊の小説デビュー作。
途中まで、新渡戸先輩の性別を完全にミスリードしていた。
え、そんなことある?????
正直高尾山着いたあたりから「え?え?そういう展開?????」と胸の心拍数爆上げしてた〜〜〜〜笑ってくれ。
でも!わざと性別分かりにくく書いてるのでは!?品田遊先生!!!「カズ」というあだ名、「二重(にじゅう)にちなんでて」……とか、ヒントはところどころ出てた気はする。でもさ「野球部で投手をやってて」と書いてあったらさぁ〜さすがに男子だと思うじゃない……やられた……全部罠だ。ワナだ!!!品田遊め!!好き!!好きだよ!!!!!
そして、この小説のエモいえぐさは私の心に効いた。とはいえ、「エモ」でまとめるのがきっしょ!!ってなるぐらい、情景の切り取り方が丁寧な作品だった。目の前の景色、内側の心、そのすべてが。
まだ前半の前半を読んでいる段階で、今年一番の読書体験になる予感がした。そして無事、今年一、二を争う読書体験となった。ここ2年間くらい、小説に対して苦手意識を持っていたが、こういう物語ならもっと読みたいなと思えた。
この物語の終盤でふと、小さな恋?と言い切れないような何かがいつの間にか走り出してら〜〜〜!!!と思ったら、もう胸がバクバクしてだめだった。この成分は私に効く(2回目)。別に私はもう恋とかしなくていいんだが、それでも誰かが描く人と人との繊細な、芯の部分の交わりを見ると、心がキューーーーーーーーーーーーーーーーっとなった。
読み終わってからは胸が苦しかった。苦しいというか、心の奥深くの「まだ自分の中にあったんか」的な部分がぎゅうぎゅうつねられているような感覚だ。これを書いたのが成人した人だなんて信じられなかった。
自分自身がこの小説を俯瞰して読めないことは、すごく苦しい。でも嫌な苦しさではない。むしろこうあってくれ自分。こういう小説を読んで2日は引きずる心を持ち続けていたい。無理なんかな、どうかな。
この小説に詰め込まれている様々な要素が、胸のまだ固くなりきれていない部分をいちいち刺激してくる感覚だった。その要素には「ダ・ヴィンチ恐山先生の書く文章が好きだから」というのも入っているんだろう。
これを!!!あの人が!!!
書いた!!!!!!!!!!
読んだあと、本に着いていた帯を取り、カバーの絵を眺める。
これが今あの人の目元を……と思うと、うん、素敵だな。デビュー作をずっと大切にしているようで、そういうのって素敵だな。
*
以上が、今年読んで印象深かった本(厳選バージョン)です。
今年ももうすぐ終わるね。でも年が終わるからといって、あんまり過度な期待とか、特別な思いとかは持たないようにしようと個人的には思っている。1月1日だろうと今日は昨日の続きでしかなく、何かがリセットされるわけでもない。昨日からの夢、やりたいこと、やり残したこと、すべて引き継いで明日も過ごしていく気がしている。そうでなければ、やりたいことなんて永遠にやれない気がするし、何も積み上げていけない気がする。
それでも2023年最後の日にこうやってnoteをあげられたことは、良いことにカウントしておこう。
良いお年を!!!!!!!!
日々の思うことを綴ります。エッセイ大好き&多めです!