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「独身税」の導入で自分の中の子育て世帯へのリスペクトが無くなってしまいそうで怖い

2026年からとうとう日本で「独身税」が導入されると最近話題になっている。

その実態は何かというと、少子化対策として、子育て世代支援のための財源にするために、これまでの「医療保険料」に織り込む形で「子ども・子育て支援金」を徴収するというものだ。

これがなぜ「独身税」という言われ方をされているのかと言うと、「強制的に徴収される=税金と同じ」ということと「使途が子育て世代への支援に限定される=独身者は徴収されるだけで恩恵を受けられない=実質独身者を対象とした課税である」という2点が関係していると思われる。

「医療保険」には、「国民健康保険」「共済組合保険」などその人の年齢・状況に応じて様々あるが、日本は「国民皆保険制度」を制定しており、それにより国民全員が何らかの保険に加入することを義務付けている。そのためその「医療保険料」に織り込む形で「子ども・子育て支援金」を徴収するというのは、実質的に強制徴収=税金であるというロジックは決して飛躍しているものではないだろう。

そして「子ども・子育て支援金」を財源として行われる事業の一覧を見てみると

児童手当の抜本的な拡充
妊婦のための支援給付(出産・子育て応援交付金)

乳児等のための支援給付(こども誰でも通園制度)
出生後休業支援給付(育休給付率の手取り10割相当の実現)
育児時短就業給付(育児期の時短勤務の支援)
国民年金第1号被保険者の育児期間に係る保険料の免除措置

子ども家庭庁HP:「子ども・子育て支援金制度について」より一部抜粋

となっており、全ての項目に置いて「独身・子ナシ世帯」には全く関わりの無い事業に財源が充てられることが分かる。

以上のことから「独身税が始まる」というのは決して誇張された表現ではないことは確認できると思う。むしろ「子ども・子育て支援金」が「医療保険料」の中から一部充てられるようになるという政府のやり方こそ、実質「独身税」おためごかして徴収している物のように感じてしまうのは僕だけだろうか。

ちなみに「子ども・子育て支援金」は「国民健康保険」の場合であれば一人につき250円が月額で徴収されるということで、そこまで負担は大きくないように見える。しかし施工後2年間にわたって増額していき、2027年には月額300円、2028年には400円にまでなる。最終的な負担額を年額にすれば4800円であり、一生独身で60年間近く徴収され続けるのであれば負担は28万円ほどにまで膨れ上がる。(これはあくまで国民健康保険の場合。より高額な医療保険制度に加入している人は、最大で月額800円まで膨れ上がることも)

「一生独身ならば、罰として28万円支払え」

これが政府からのメッセージであるように感じるのは、果たして僕だけだろうか?

「子育て世代」へのリスペクトは「独身税」によって失われる


――あ、じゃあもう僕は子育て世帯に遠慮する必要なんかないんだ。


「独身税」導入に関するニュースを聞いた時の僕の心境としては正直こうだった。

というのも、これまで自分の中にはこの少子化が続く日本社会で生活する中で、自分は少子化解決に向けて何ら貢献できないということに対する後ろめたさや、申し訳ないという気持ちが若干とはいえあったのだ。

僕自身、別に独身になりたくてなっている訳ではない。生まれてから今日まで一回も恋人を得ること敵わず、人並みに仕事をこなすことさえ能わず、「一般的に真っ当とされる人生さえできないなら、せめて自分が楽に生きられる生活を選ぼう」として小屋暮らしを選び、そうして30歳を超えた今でも「ごく自然に、仕方なく」独身なのである。

もちろん、もしかしたら、相手を全く選ぶことなくしゃにむに結婚相談所なりマッチングアプリなりで結婚相手を見つけて、どれだけメンタルがやられようと仕事にしがみついて、そんな生き方をすれば今頃子持ち世帯となっていた可能性もあったのかもしれない。

でもそんなのは絶対嫌だった。だから僕は今も独身で、そしてもしかしたら、それは自分の我がままだったのかもしれない。

だからこそ、「独身ですみません」「日本は少子化で大変なのに我がままに生きてしまって、何の貢献もできずすみません」という気持ちがあったのである。これまでは。

家族連れに対してはいつだって「日本のためにありがとう、僕の分まで頑張ってくれ」と思っていたし、ファミレスで子供がうるさかったり邪魔だったりしても「でも彼らは将来日本を支え、延いては僕自身も支えてくれる存在だから」と自分を納得させている部分があったのである。これまでは。

しかし、これからは違う。その前提は「独身税」の導入によりひっくり返ってしまった。

2026年からは、子育て世帯は「日本を支え、独身世帯も間接的に支え得る存在」ではなく「日本と共に、独身世帯から搾取する存在」となるのだ。

そう僕は考えるようになってしまった。

「搾取する」というのはもしかしたら言い過ぎかもしれない。だが少なくとも「自分は独身で少子化に貢献できないから、せめて子育て世代には優しくしなきゃ」という意識は、「独身税」の登場によってかなり薄まってしまったのは間違いない。

――だって、僕だって少子化に貢献してるし。「独身税」払ってるんだから。

――子どもがうるさくて邪魔だったら、僕にだって文句を言う権利はあるよね? だって「独身税」払ってるんだから。

そのように思ってしまうのは、果たして僕だけだろうか?

とてもそうは思えない。

「独身税」は、ますます「子持ち様」と「おひとり様」の分断を深める

日本政府は、これまで旧岸田政権のもと「異次元の少子化対策」として様々な子育て世帯優遇の政策をとってきた。

少子化対策自体は確かに必要なことなのだろう。将来的な年金問題やら働き手の減少問題やら、子供の数が減ることによる社会的障害は大きい。このままでは日本と言う国家の維持すら危ぶまれることに鑑みれば、人々に結婚を促し、子育て世帯への支援を厚くするというのは政策の方向性としては至極まっとうなようにも思える。

しかしその裏で、「子育て世帯」と「独身世帯」との間の分断は、間違いなく急進的な少子化対策の副産物として広まってきている。

「子持ち様」は、職場において「子どもの体調不良」等の理由で欠席する子持ち世帯分の穴を必死で埋める独身世帯の苦悩から生まれた言葉だ。

「産休クッキー」の炎上、「スープストック」の無料離乳食への賛否、騒音苦情に由来する児童公園の廃止、等々……その軋轢は社会の様々な場面で今表面化してきている。

かつての社会ではこのような決まり文句があった。

「だれもが子育てを経験するんだから」
「こういうのは順番だから」
「お互い様だから」

しかし、2023年の調査において生涯未婚率が男性で28.25%、女性で17.85%であることが判明している現代社会では、もはやこれらは万人に通用する言葉では無くなった。

にもかかわらず子育て世帯を優遇すべきと言った社会的認識だけを変わらずに蔓延らせてしまった結果が、今日までに至る「子持ち様」と「おひとり様」の分断であると言えるだろう。

しかもそれは、「独身税」が導入される以前の状態で既にここまでの状況なのである。

ただでさえ両者の溝が深まってきているこの状況で、更に「独身税」などという特大級の爆弾を放り込んでしまったら一体どうなってしまうというのか。

これまで

「でも子持ち世帯を支えることで自分も少子化解消に貢献しなくては」

という思いで、やっとのことで「子持ち様」の分の負担まで引き受けていた「おひとり様」は、「独身税」を徴収されてなお「子持ち世帯のために」「日本のために」頑張ることが果たしてできるのだろうか?

僕は甚だ疑問である。


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