『プライベートが暇』を極める。
今日は仕事が休みの日。
ちょっと前までは、昼過ぎまで寝て、家事などやることやってたらもう夜になって1日が終わっていたけど、最近は昼に寝すぎると夜が寝られなくなるし、そもそも昼過ぎまで寝られなくなったから、休みの日に空白の時間(暇な時間)が訪れることが多くなった。
動画見たり、ゲームしたり、家事したりしてもまだ時間が余る。だから、最近はプライベートが暇だなと感じることが多い。
友達の中には、自分の好きなことを仕事にしたいと言って努力をしていたり、筋トレとか体作りに励んだり、趣味に打ち込んでいる人も多いけど、私は、1つ前のnoteにも書いたように、夢はないし、体作りとか疲れることはしたくないし、趣味もそんなにない(旅行やサウナ等の趣味はあっても、あまりお金を使いたくないので、贅沢はしすぎないようにしている)。
ということで、最近はプライベートが暇である。ちなみに、「プライベートが」暇、と言っているのは、仕事に行けばそれなりに忙しいからだ。
こういう話をすると、いろんな人に新しい趣味を見つけたらいいと勧められて、いろんな趣味を提案されてきたし、自分でも調べたけど、正直どれも興味が沸かない。たぶんしばらく魅力的な新しい趣味は見つからないだろうという確信が強くある。笑
プライベートが暇だと、初めは、tiktokなどの短い動画を何時間も見てしまう現象が起こる。やはり、tiktokは強敵で、何時間も人を釘付けにする要素を持ち合わせているんだなと感じる。
でも、私のように「プライベートが暇」を極めると、tiktokすらも飽きてしまう。私は、好きな芸能人も多いし、割と幅広くいろんな動画を見れるタイプだが、それでも飽きた。笑
最近は「デジタルデトックス」という言葉が流行っているように、こういう動画の見過ぎは良くないという思いもどこかにあるのも相まって、動画ばかり見てもいられなくなる。
「プライベートが暇」を極め、tiktokにも飽きると、ぼーっといろいろなことを考えるというターンがやってくる(自分の経験をもとにした自分調べ笑)。
「デジタルデトックス」という言葉を聞く時に、スマホなどから膨大な情報を得る時間が増えている現代人は、脳を整理する時間(膨大な情報から離れる時間)が必要だという話を聞くことが多いが、その話がこれまた頭のどこかにあるのも相まって、ぼーっとする時間も必要だと思えてくるのだ。
そして、今である。そう、脳を整理する時間を経た人間は、アウトプットしたくなって、こうやってnoteを書くようになる。「プライベートが暇」を極めた人間の行き着く先は、自分の思いを書き綴ることなのかもしれない。
紫式部とかの時代から、「日記」のようなものがあるのも納得である。仕事や、外の世界からのインプットを整理して、アウトプットするというのは人間の生まれながらにして持っている機能なのだ。
だとしたら、現代人は、日記を書く人が少なすぎるし(全員書いていていいレベルだと思う)、自分の話を友達や家族にする人も少なすぎる。
もっと、なんにもない場所で、心を許すもの同士、自分の話をしあうか、自分の話を書き綴るか、そういう時間や場所があってもいい。でもそういう仕組みがないのは、そのこと自体に生産性はないからなのだろう。
「プライベートが暇」を極め、アウトプットまでし終わった人間は、次は何をするのか、、その実験結果は、このnoteをアップした後に分かる。。