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高郷で豆腐を作ること、天職だと思ってる。

とうふ屋おはら店主 小原直樹さん

「どうして豆腐屋をすることになったのですか?」と小原さんに聞いてみた。
 「こっちに来て、何をするかは決めてなかったんだけど、東京では人が作ったものを扱って仕事(広告代理店)をしてきたから、自分でものを作ってみたかった。ストレスのある生活で身体も悪くしてたし、食に関わることで。経験もない俺ができるものを考えたら、パン屋、うどん屋、豆腐屋と」
 意外な答えだった。豆腐にとびっきりのこだわりがあったのだろうと思っていたからだ。豆腐作りの始まりは「豆腐作りキット」。一般の人で豆腐が作ることができるセットになったものだ。
 「結構作れるんだよね」
 小原さんの話を聞いていると、自分の強い意志というよりは、節目節目にどこからか降り落ちてきたものを捕まえる、という感覚がある。そして、それを掴むと、小原さんが発動する。その後豆腐作り研究に一冬を過ごし、豆腐屋になったという。掴んだものにこだわり、豆腐品評会では毎年賞を獲得する常連になった。

 話は遡る。
 東京でのサラリーマン生活に疲れ、都市から離れることを決意したが、その後の計画はなかった。地方と呼ばれる各地を回り、住むべき場所を探した。農業の研修も受けた。何が自分に合うものなのか、探し求めていた。
 性懲りもなく、同じような質問をしてみた。
 「どうして、こちらに定住を決めたのですか?」
 「山都にいい古民家があるからと、自動車で喜多方に来たんだけど、慶徳峠から見えた袋原の景色がすごくて『あー、ここに住むんだ』と思った」
 やはり、小原さんのもとには、天から何かが降ってくる。その後、現店舗に引越しをする際にも、その店舗で豆腐屋をやるなら貸す、となったという。大家の母親が豆腐屋だったということだ。

 「震災のあと、高郷を離れてね。それまでに十年かけて、福島県産の有機栽培の大豆100%で豆腐を作ろうとしていたんだけど、原発事故でそれができなくなって、頭にきて豆腐作りを止めた」
 後にも先にも豆腐作りを止めることを考えたのは、その時だけだという。しかし、1年後に高郷に戻ってきた。そして豆腐作りを再開した。喜多方で掴んだ何かは、現在も手の中にあるようだ。
 「天職だな」
 終始厳しい表情の小原さんだったが、少し表情が緩んでいた。


店舗情報

喜多方市高郷町に位置する「とうふ屋おはら」。全国豆腐品評会でも評価されており、市内だけでなく県外にもファンがいます。会津にいらした折には寄ってみてはいかがですか。


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