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日本財団の研究 3 統一教会、誰が個人崇拝と軍事のキメラへと変質させたのか

政治と宗教の癒着の根源に迫る「日本財団の研究」、第三回です。

前回記事はこちら。

今回の記事では、統一教会の軍事部門、あるいは準軍事組織としての統一教会という、あまり語られることのない側面について深掘りしていきます。

統一教会の軍需産業

前回のおさらい 統一教会とKCIA、軍需産業への進出

元々、文鮮明の周辺の信仰集団は、極貧の共同生活を行っていました。
それが、1954年の統一教会設立前後にようやく、共同での生活費を賄えるようになりました。元写真屋の劉孝敏が発案したブロマイド販売があたったためです。

ところが翌年、梨花女子大学事件で文鮮明が逮捕され、無罪釈放されました。その時に、韓国軍と取引があったというのが定説です。実際、事件諜報部の人間が4人入信し、統一教会では幹部になる一方、朴正熙のクーデター以後にできたKCIA(大韓民国中央情報部)ではキーポジションを得るのでした。米下院のフレイザー報告書によれば、KCIAあるいは韓国政府と統一教会は、極めて緊密な互恵関係にあるとされています。

ともあれ、梨花女子大学事件以後、韓国国内での布教活動は困難になったものの、財政状況は劇的に改善します。元写真屋の劉孝敏が、空気散弾銃の開発と大量生産に成功したからです。そうして強大な財政基盤を確立しました。これが、後に統一産業として、本格的な軍需産業のキッカケになったのです。

韓国政府と統一教会軍需部門の関係

問題は、これらの武器を、誰がどのような目的で購入したのかです。なぜなら購入者は、統一教会の財政を支える事実上の経済的支援者だからです。逆に言えば、統一教会は、購入者の使用目的を、武器提供によって間接的に実現させたことになります。この互恵関係の相手こそが、統一教会の変質を理解するために重要なのです。

統一産業(韓国)と韓国軍との関係については、フレイザー報告書で詳述されています。

防衛需要分野では、文と韓国政府の関係は密接であったが、その具体的な内容は秘密にされていた。国務省の報告書 によると、 統一工業は韓国政府から 防需請負業者として指定され、 1976 年半ばの時点でバルカン砲(対空兵器)、韓国の小学生が軍事訓練に使用する空気銃、 そして韓国陸軍の歩兵基本武器である M 16 ライフルと組み合わせて使用する M 79 グレネードランチャーも製造していた。 

ブースカちゃん訳 フレイザー報告書 p.67

また、韓国軍の標準ライフルであるM-16を、統一産業が生産していたことも明らかになっています。これは、同報告書で大きな紙幅を割くほど、国際的に重要な問題でした。なぜなら、コルト社と韓国政府の共同生産契約では、M-16は韓国政府が独占的に生産することになっていたからです。これは、M-16が米軍の標準装備でもあり、軍事機密が外部に漏洩することを意味しているからだと思われます。

そうした訳で、朴普熙(KCIAのメンバー)ら統一教会関係者は、M-16の生産を行っていることを否認しつづけていました。しかしその一方で、統一産業がコルト社と交渉を行い、武器輸出管理法に違反しながら、そして米政府方針に逆らって、東南アジアへのM-16などの武器輸出を行っていた、あるいは行おうとしていたのです。

このように、統一教会の軍需産業部門は、韓国軍さらには韓国政府との緊密な関係の元で育成されたのでした。実際、フレイザー報告書は、1960年代末から1970年代初めにかけて、韓国の防衛産業が強化された時期に、統一産業が韓国政府から補助金を受けたという関係者の証言を紹介しています(ブースカちゃん訳 フレイザー報告書 p.69)。

こうした緊密な関係は、文鮮明自身の証言からも裏付けられます。

国防部でバルカン砲を開発するのにも私が功臣の役割を果たしました。一九八一年に開発する予定のものを、私が一九七五年に二台つくり、大統領の前で試射させたのです。
それ一つで一億八千万ウォンです。五億を目安に二台つくって試射させたのです。国防部では「一九八一年に開発する」と言っていたのですが、六年前の一九七五年にそのようなことをしていたのですから、私は狂った人でしょう。私が共産党を知っているので、そのようなことをするのです。
また、あの戦車砲の試射。戦車の大砲を射とうとすれば直射距離を試験しなければなりません。それらをすべて私たちが開発したのです。韓国政府の朴大統領が軍需産業のことを夢にでも考えたでしょうか。全部私たちが開発したのです。

『真の御父母様の生涯路程⑥』 p.100

このように、朴正熙大統領の軍事政権は、統一産業を育成することを通じて、反共の橋頭堡として統一教会を財政的に支援してきたのです。逆に統一教会は、自身の軍需部門を通じて、韓国の軍備増強に多大な貢献をしてきた。このような互恵関係が見えてきます。

国会質疑から見る、日本への空気銃輸入販売の危険な実態

統一教会の軍需部門を支援してきたのは、韓国政府だけではありません。

実は、統一教会の武器輸入の実態については、1970年代の日本共産党が国会で追及してきた問題でした。

昭和48年(1973年)4月5日の内閣委員会では、次のような議論があります。

1968年に幸世物産が鋭和B3という空気散弾銃を2500丁輸入したが、後に所持・輸入ともに禁止された。その後、幸世物産が統一産業と名前を変えて、単発銃化した鋭和3Bが1973年までに15700丁輸入された。
通常の空気銃と同等というカタログスペックを盲信した政府は輸入許可を与えていたのだが、実際には3倍の殺傷能力がある危険なものだった。
そして、輸入された15700丁のうち、実に7704丁しか所持許可が出ていない。つまり、残りの8000丁の行方がわからない

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