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昨日と今日のこと

何から書いたらいいのか。

昨日の朝、起きて声をかけたが、もう茶太郎は動かなくなっていた。

旦那いわく、早朝に様子を見たときは、顔を上げていつも通りだったとのこと。
ほんの1時間くらいの間に逝ってしまったようだ。

前日の散歩で苦しそうになり、一旦持ち直して夜には穏やかな寝顔を眺めていたのだが……発作からの低酸素症、いわゆる急死だった。

我が家にやってきた直後、実は最初の診察で「残念ですが、この子は長くはないと思います」と言われていた。
保護されたときから、茶太郎の身体は限界を迎えていた。

余命をはっきりと言われたわけではなかったが、半年後か1年後か、精一杯の治療はしつつも、その時に向けて少しずつ覚悟していくつもりだった。

でも、早すぎる。あまりに早いお別れで、どうすればいいかわからず。
茫然自失というのはこういう状態なのか、と思った。


今、昨日のことをいろいろと思い返しているのだが、正直あまり思い出せない。

たしか、動かなくなった茶太郎を2時間くらいかけてひたすらシャンプー(洗い流さないやつ)とブラッシングをした。

仕事や打ち合わせでは気持ちが切り替わり、意外に平気だったように思う。でも自宅に戻ると、旦那が庭から摘んでくれたと思われる花が供えられているのを見て、ダメだった。普段、花なんて摘むような人じゃないのに、どんな想いで庭の花を探していたのだろうか。そう考えるといたたまれなかった。

子どもたちは、朝起きていきなり悲しい出来事に直面したにも関わらず、気丈に登校した。1日辛かったと思う。
学校から戻った後も、もう動かない茶太郎の身体を撫でながら、声をかけ続けている姿を見るのはしのびなかった。

夜は旦那と飲みながら、茶太郎が来てからのことを振り返った。
茶太郎の側で夜を明かそうと思っていたが、飲みすぎてあっけなく撃沈。メイクも落とさず、茶太郎の横でいつの間にか寝てしまったが、夢に茶太郎は出てこなかった。

今日はあっという間に火葬が終わり、家の片付けも淡々と済ませた。
動物病院の先生にも挨拶に行ったが、泣かずにお礼をいうことができた。

自分でも驚くほど順調に心の整理をつけているように思うが、実際のところどうだろうか。まだよくわからない。

我が家にやってきて、たった20日。本当に短かった。
「最後、うちに来て茶太郎は穏やかに過ごせたと思うよ」
「きっと天国でも喜んでいるはずだよ」
家族を励ます精一杯の言葉を探すのだが、そんな言葉は自己満足だと、心のどこかで思っている自分もいる。

茶太郎が幸せだったかどうかはわからない。私たちのことを家族だと思ってくれていたかどうかもわからない。
でも、短い20日間、私たちは幸せだったし、茶太郎のことを家族だと思っていた。
今はもう、それだけでいいと思う。


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