見出し画像

最高のエンターテイナー

コロナの影響でフランスで外出規制が始まって、7週間ほどになった。美術館、レストラン、コンサート、メトロに乗るといった類の日常の楽しみや当たり前だった習慣が突然なくなって、自分の事業にも大いに影響が出ているけれど、何より喪失感が大きいのは、うちの前の広場で週2回開催されるマルシェがなくなったこと!マルシェのおじさんやお姉さんたちは今頃どうしているんだろう?という心配心が毎日のように募る・・。そんなに?!と思われるかも知れないけど、実際そんな感じです。

画像1

今の家に住むようになり約2年半、家の真ん前にある広場には朝7時くらいからマルシェが立つ。徒歩10秒なので、重いものを買って歩かなくて済むし、取れたての地域の野菜は新鮮といった機能的な理由はあるけど、それよりも、店の人たちに会いに行くのが最大の目的になっている。毎週少なくとも1回、多いときは2回、纏めて野菜や果物、魚、肉、卵など生鮮食材をそれぞれ同じ店で買っているので、それぞれの店主とはヘタな友達よりも会っている回数になる。出張や旅行で長く留守をした後、久々に戻ると心配されるまでになった(引っ越したと思ったよ!とか日本に帰ったと思った!とか言われる)。特に、果物屋のおじさんと週に1回だけ来るレバノン料理の総菜屋のユセフはそれぞれアルジェリア出身で、もっとも仲良くしている。私がアルジェリアのカビルの村の人々と仕事をしているというと、最初むちゃくちゃびっくりしていたけど、喜んで歓迎してくれたし、今度現地に行った時はここに私の親戚がいるから尋ねてご馳走を食べなさいと言ってくれたり、突如親しみが倍増した。それ以来、2人ともものすごくオマケをしてくれるので、私も旅行に行った時はちょっとしたお土産を持って行ったりと、すっかり友達のような関係になった。レバノンのお総菜を販売しているユセフは、自慢のフムスやタブレ、各種オリーブなどを毎回たらふく試食させてくれる。ほとんど全種類買っているので試食せずとも味を知っているんだけど・・試食で朝食を済ませられてしまうレベルで勧めてくれる。ユセフはトークが面白いので、それで固定客が多い。彼を見ていると、自分が就職したてで客商売をしていた頃に、お客様には商品だけでなく、何よりも最高のエンターテイメントを提供しなさいと教育されていたことを思い出す。ユセフは素晴らしいエンターテイナーだなぁとしみじみ思う。

もう10年ほども前、私もカウンターの中でエンターテイナーをしていた時代がある。某飲食チェーンに新卒で入社し、副店長として最初に本配属されたのは、日本でもっとも治安が悪いと言われるエリアで、生活保護受給日にピークがやって来る店舗だった。日本で唯一、平成に入っても路上で車がひっくり返って燃やされる暴動が起きるんすよ、というのをバイトの人たちはわが町自慢として語っていたし、パチプロで補填としてバイトをしている人、家計を背負っている高校生などなかなか濃い従業員に支えられながら店を切り盛りしていた。当時はGoogleマップがなかったので、お持ち帰りのクレームがあった時にはゼンリンの地図に鉛筆で印をして、店の自転車でお客様の自宅まで走って謝罪をした。女相手に怒っても仕方ないと指がないお客様が店長を呼んで土下座をさせたり、ここには書けないようなリスキーな出来事が割と毎日起こっていた。親戚の蒲鉾屋さんで、繁忙期の年末には中学生の頃から手伝いをしていた私は、物を箱に詰めたりのパッキング作業の手が早いので、カウンターで素早く商品を詰める姿をお客様に何度か褒めていただいたことがある。その頃、私はまだ若くて素直だったこともあり、本社で教育を受けた通りに、エンターテイナーとして、素早く美しくパッキングするとか、お客様を笑顔でお出迎えするとか、来店した時よりも楽しい気持ちで帰っていただくとか、そういうサービス提供を体現することに全力を尽くしていた。とはいえ、心折れる場面も多々あった。だけど、毎日コーヒーを飲みに来る常連さんの女性に、或る日「この店にはねえちゃんの笑顔がないとあかんなぁ」と言われたことがあった。その一言で、当時抱えていた疲労とかストレスが吹き飛んで、明日からまた頑張ろうと思えた。

今、世界中で、飲食店に限らず、多くのサービス業が困難な状況を迎えている。私は、ユセフたちが再び戻って来るのを待ちながら、今度はお客の側として、当時自分が励ましてもらったように、お店の人を労ったり、感謝を伝えられる人になりたいと思う。

画像2



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?