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エレゲイア・サイクル ~回顧

 開いた窓から入り込む風は香水木の香りがした。背丈ほどに成長し、白い小さな花を咲かせる香水木を庭に植えたのは祖母だった。祖母は私が生まれて少しした頃に亡くなったが、祖父は使用人たちに祖母が生きていた頃と何一つ変わらないよう、庭を保つように命じた。祖父は町で指折りの名士だった。彼は傑物と見なされていた。代々、軍人を輩出した一族で最も優秀と称賛された祖父の意見を無視できる者はおらず、その頃には我が家以上に富裕になっていた名士たちも祖父の機嫌を損なうようなことは避けていた。
 一度目の大戦で飛行機に乗った祖父は英雄と呼ばれていた。その当時、飛行機に乗ることができた者がほとんど残らなかったために祖父の価値が必要以上に高められていたように思う。二度目の大戦が終わりかけていた頃、我が家の、正確には祖父の威光にも陰りが差しはじめた。数年前に眼病を患うようになってから人目を避けるようになったからだ。老いた使用人によると、若い頃の祖父の瞳は燃えるように赤く、眼光にさらされると緊張し、動けなくなるほどだったと言った。私が記憶している祖父の目は白く濁っており、安物のガラス玉のようだったが。
 幼い私には祖父が父の代わりだった。父も祖父と同じように軍人で、遠く離れた太平洋のどこかにいると聞かされた。母は病弱で、いつもベッドにいた。私が病弱になることを危惧した祖父は母と会うことを控えるよう命じた。私が健康なことが祖父を満足させ、彼の持論が正しいことを証明していることは、幼いながら複雑だった。とはいえ、祖父は薄情な人ではなかった。ただ、革命から逃れて海を渡った貴族の子孫という誇りが情に勝っていたのだ。

 昼下がり、祖父に呼ばれた私は庭に向かった。祖父は使用人が庭を手入れする時、必ず立ち会っていた。私の姿を見るなり、祖父は目を細め、筋張った指を振った。祖父が座る椅子の近くまで歩くと、彼は私の肩に手を置いた。香水木の匂い、煙草の匂い、髪に塗る油、微かに漂う朽木のような匂いが嗅ぎ取れた。
「お前の父が死んだ。私の息子が死んだ」という祖父の言葉を受け入れることはできなかった。独り言のように聞こえたからだ。これが祖父なりの防衛手段だったことに気付くには、私は幼すぎた。
「誇りに思う」
 祖父の臓腑の奥で消化されているにも関わらず、せり上がって再び咀嚼された言葉。彼は私を見た。切り倒され、掘り起こされた木の根のような鷲鼻。白と焦げ茶色が混ざった口髭が揺れていた。祖父は言い淀んだ。最初に思い浮かんだ言葉が適切ではないと判断したのだろう。
「私たちは様々な戦いに身を投じた。その中には帰って来なかった者がいるし、私のように生きながらえる者もいた。お前もそうなるだろう」
 それから、祖父は屋敷を指差し「ここがお前である限り」と言った。

 私が大学で法律を学んでいる時に祖父は亡くなった。母はそれより以前に亡くなった。私は遺産整理のために休学し、故郷に戻った。かつては白く、厳めしい屋敷は傷んでいた。使用人のほとんどが解雇されていた。最早、財産と呼べるようなものはほとんどなかったが、財産を整理し、それらすべてを処分した。私のしたことはかなり乱暴だった。公然と非難する者もいた。それでも、私はさっさと大学に戻りたかった。過去から延々と続く現実を断ち切り、忘れたかった。半年後に復学することができたが、心は萎んでいた。適切な時期に水をやり、土の交換をしなければ植物が育たないように、心も育たない。私の成績は酷いものだった。誰が見ても失望するものだった。卒業後に親戚を頼り、軽蔑が含まれた視線に耐えながらどうにか掴んだ仕事は入隊審査だった。

 私は若者の多くをヴェトナムに送った。彼らが愛国心のために入隊した者ばかりではないことを知っている。そして、彼らの何人が帰って来たかを知らない。

 夏に窓を開けると香水木の匂いを感じる。しかし、窓の外を確認したりはしない。私が捨てたものは今も昔も、片時も私を放したことがないのだから。




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