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石積み聞き書き 其の四

高開さん:私は石が好きだ。石で精神を成長させてきた。コンクリートブロックは二次製品なので綺麗ではない。コンクリートブロックは寸分の狂いもなく広い面積を積めるが、狂いがなく積めるというだけで何の価値もない。そして十年経てば表面が苔がついて黒くなる。しかし石は十年や十五年経っても苔はつかない。この辺りでは大学生と一緒に石積みを積み始めてから十五年ほどになるが、どこも綺麗だ。石は綺麗だ。コンクリートは綺麗だとか強いだとかは絶対に思わない。

高開さん:グリ石については、肌飼いにする石は丸いと使えない。大きいグリ石を奥の方に入れる。細かい石は上から荷重がかかれば積み石が沈むので積み石の際に入れればそんなに狂わない。そこが大きいグリ石と小さいグリ石の違いだ。普通のグリ石は直径5cmから15cmで、それ以上大きいグリ石は大グリと言って名前が違う。

高開さん:積む石の配置だ大事だ。四つ目という悪い積み方もある。これは四つ目に近い積み方になっている。4つの石で1つの石を囲んでいる。ここに四つ目ができているのは、積み切りを隣につくっているからだ。一度で積んだ石積みの区切りをつくるために、積み切りはつくらざるを得ない。積み切りをつくらないとせっかく積み直したところが崩れてしまう可能性がある。そうすると四つ目もできる。これは四つ目だ。これが純粋な四つ目だ。このあたりには四つ目がたくさんできている。これは褒められる積み方ではない。積み切りをした場合はある程度石が重ね餅のような積み方になるのは仕方がない。石積みに感心のある人が見に来たら積み切りについて説明する。

高開さん:積んだ当時はとにかく急いで石を積んだので、格好悪い積み方がところどころにある。崩れないのが不思議なくらいだ。この辺りでは石を積んだ日にちも違う。私は180箇所くらい積み直した。よくやったなと思う。この下の高い石積みは一人で積み直した。石を崩して道を塞いで人が通れないのでできるだけ道を通る人に迷惑をかけないように急いで積み直した。狭い道に崩した石を並べるとどれが大きいか小さいか分からないので石の大きさを考えないで早く積むことを優先させた。

高開さん:台風のように大雨が降ったときはいつも傘を差して近くを一周歩く。そうすると「腹する」と言って高い石垣の真ん中が膨れて、今後数年のうちに石垣が崩れる兆候がでているところがある。何年間のうちに積み直さないといけないが、何年崩れないかを考えないといけない。今少しでも膨れていれば近い将来崩れる可能性が高いが、小さな石が転がり出るくらいならまだ3年から5年は大丈夫ということが分かる。そのように見ているので今度はどこを修復しないといけないかを考える。自分だけで修復して3日も5日もかかるなら体力がないのでできない。

高開さん:石は物を言わないので、問題は自分の気持ちだ。私はこの辺りで180箇所くらい石積みを修復しているが、修復するのに大変なところも容易いところも色々あった。最近では簡単にできた。下の方は大きな石を使った。後で思い返すと簡単にできたと思うが、修復しているときは苦労した。そういうところが何箇所もある。修復に1周間かかった家の裏の石積みの修復は苦労した。石を崩したらすぐに積み直さないといけない。積むまでに時間をかけると寝ているときに崩れて作業量が2倍になるかもしれないので。だから崩れないように土を留めておいて次の日の朝に片方から石を崩して土を掘る作業を繰り返した。それをいかに手間がいらないようにして早く仕上げるかが問題だ。結局1周間くらいで修復できた。そのときの年齢は忘れたが、その短い期間で、テミに山盛りの土を入れて上に持ち上げていた。その力がどこにあったかと思う。そういう風に苦労はしているが、それを屁とも思っていない。後から思い返すと簡単にできているように思う。
金子:そのときはそれだけ集中しているからなんですかね。
高開さん:やっぱり集中だな。集中してないとできない。何が何でもやるぞという精神力がないとできない。中途半端で放っておくわけにはいかないのでやり遂げないといけない。

金子:昔、高開さんが仕事をされていたときに高開さんがやるなら仕事を任せてもよいということもできる時代があったんですよね。今だと腕のよい職人に任せることが難しい時代になっている。その職人に任せるのではなくて、構造計算ができるコンクリートで図面通りにやらないといけない。そうすると職人のプライドも技術の発揮のしどころもない。図面通りに工程通りに工事をする。今は人を信用しておらず、工事をする人も決まったやり方でしかできないので全体的にどういうことをしているのか把握ができない。どっちの材料を使えばよいかということを考えられないよう土木の工事の仕方になっている。他の色々なことも細分化して自分で考える範囲が狭くなってきて人に任せないようになっている。

高開さん:現在の土木業界は選手層が薄い。ということは青年の労働者がほとんどいない。私が若かったころは青年の労働者はたくさんいた。その中で伸びる人はとても伸びた。我々は成長しなかったが、周囲の人は伸びる人はどんどん伸びた。現在では伸びる伸びない以前に人の数が少ない。石積みにしても土木業界で働く人が10人いれば1人か2人は石積みをしようかという人が出てくるが、この頃はなぜ石積みをやるのかと知っている人が多く、若い人がそもそもいない。今から15年くらい前に小学生の生徒が石積みを習いに来た。それを見て感心したのは、石積みが好きな生徒はご飯の時間になっても帰ってこない。事故を起こしているのではないかと先生に聞くと、ご飯も食べずに一生懸命石を積んでいた。そういう若い人もいる。子どもだからといって石積みをさせないのもどうかと思ったのかその生徒達は2回積みに来た。先生は喜びながら手を叩いて生徒を激励した。そういう子どももいる。そういう子どもが成人していれば君くらいの技術を持っていたかもしれない。しかし石積みは将来絶対に流行ると思う。自然の材料を使っているからだ。加工した材料には限度がある上にたくさんの人が関わらないと使えない。石ならば近くにあるものを使うことができる。その上耐久性があるならそれを使うのが普通ではないか。我々はそう思う。金子君や真田先生は色々なところで活躍しているように、石積みが流行ることは絶対に言える。他の地域で活躍していなければ石積みは流行らなくて、石積みをして欲しいという誘いもないと言われないかと心配していた。だから金子くんに真田先生は石積みをやっているかとたまに聞く。そうしたら千葉県や上勝町でやったり忙しいと聞いて良いことだと思う。

高開さん:将来絶対に石積みは流行る。可能性は十分にある。世間にも人生にも波がある。谷間をのたうち回って生活し、頂上では手を叩いて踊るくらいの生活になったと思えばまた谷に落ちる。そういう山と谷を乗り越えて一人前の人生を送る。世間もそうだと私は思う。人間は楽して死ねない。やはりいつかは大変な目に合う。それをどこでするかが問題だ。歳をとって大変な目に合うと損するので若いときに苦労しておかないといけない。若いときの苦労は買ってでも経験しろという昔の言葉がある。石も我々が若いときに流行ったのでそろそろ流行るのではないかと思う。10年後か20年後かに世間が石に注目すると思う。石積みは絶対に将来性があると私は思う。コンクリートも将来性はあるが、それは一般的な技術だ。女の人でも子どもでもコンクリートを知っている。石の話をしたら感心してくれる。用途によって石とか岩とか名称も価値も違ってくる。石も人も同じように色々あるが、姿形が変われば見た目はそれほど変わらないが、心は人によって大分違う。表面だけで判断してあの人は面倒くさい人だとか批評する人もいるが、そんなものだ。石も積んでみたら柔らかかったということもあるし、固かったと後で分かる石もある。世の中は石みたいなものだと私は思う。それを上手に操るのが我々職人だ。人間でも優秀な人はトランプさんのように人を操って世界を操る。それが成功するかしないかは分からないが。つまり人それぞれに操り方がある。石も上手に操らなければ失敗する。人間と同じだと思う。やっぱり知恵が足りない。昔から失敗は成功の元と言う。人が努力する限り人は過つと言う言葉がある。努力しなければ過ちは一つもない。一生懸命ものをつくったり何かをしたりする気があるから失敗もする。それが成功の元になる。人間は最初から山の木みたいにできていない。小学校、中学校を経て大学まで行って勉強をして一人前になる。山の杉は最初からまっすぐでできあがっている。それが自然と人間の違いだ。だから人間は山の木を見る必要があると言う。悪いことをする子どもは横枝が出ることと同じだ。それを折らないように色々な人が上手に伸ばして針葉樹に仕上げれば成功の元だ。山の木のように伸ばせという言葉があるが、その方法が勉強だ。難しいが、このように色々な例えがある。

高開さん:君が言うのと同じことで、姿形が全部違う。同じような形は無い。コンクリート構造物なら同じ形になる。石は色々な形があるので作業の面白みがある。どの石をどう使って尖っている部分をどう置いたらよいか頭で考える必要もある。そして見た目も必要だ。積んだ石が良かったか悪かったかという見た目。上手く積めたという自己満足ができる。上手く積めなければ玄翁で石を割ってしまう人もいる。

金子:石を積むときに別のところで教えてもらった人はコンクリートブロックのように、表面の接地の仕方を重要視する方だった。奥行きよりも表面の形がよくなるように教わった。

高開さん:その人は表面にこだわっている。私達は「穴も平米のうち」と言って穴ができても構わない。表面はきれいなのも良いが、一番は耐久性があることが大切だ。3年、5年、100年間崩れないかが問題だ。奥行きが短いほうを表面に積むと50年や30年も絶対に耐えられない。奥行きを長くしたら絶対に耐久性は高まる。そうすればよい。そうすると材料をたくさん使っていることになり、耐久性がある石積みができる。前に見たビデオでも奥行きが短くなるように積んでいた。裏には土を入れて足で踏み固めていた。やたら強く踏むと積み石が前に出るので手で抑えていた。

高開さん:石が足りないところは上に草を植えてもよい。まずは崩れないようにしなければならない。きれいな見た目で崩れるなら積まないほうがましだ。積んだ以上は何10年も、最低30年は絶対に崩れないようにしないといけないと言っている。そうしたら褒めてくれる人もたくさんいる。昔の人が積んだ石積みは崩れないと言ってくれる。そうすると1年に3回か4回積み直さないといけない。それでは名もあがらないし、腕もあがらない。そしてお金も入らない。この辺りを石積み技術の勉強の場所にしているのは石の形が積みやすいからだ。石が小さくてもそれなりの奥行きの長さがある。片手に3つくらい載せられる小さな石でも丸くなくて、長い。それを置くことは石は小さいが積み方を勉強できるということだ。そして裏にグリ石を入れているので耐久性はある。表に見えている石は飾りであって、裏にグリ石がたくさん入っているので風雨に耐えられるものができる。

高開さん:私がこの周辺で石を積み直すときはほとんど一人でやっている。他のところでやれば男女問わず一生懸命手伝ってくれる人がいるから交流につながる。人との交流があると輪が生まれる。そこで土地の文化を吸収してくれたらよい。今でもどこがどのような材料だったか頭に入れている。しかしそれが3つか四つしか覚えていないので話をしても面白くない。さっき金子くんに言ったように、石はコンクリートブロックと違う。コンクリートブロックは二次製品と言って人工的につくったものだ。石は自然のものを何十個か何百個かそのまま使って一つのものをつくる。その一つのものをつくるのに自分が計画してつくる。道の下の擁壁であれば上の土地の状況を考えてどのくらいの勾配にすればよいか自分の頭で判断する。計算はできない。見た目で判断して耐久性がある形を決めて積み始める。

高開さん:積み始めるまでの準備が大切だ。まず、積む前に古い石積みを取り壊さないといけない。取り壊すときには小さい石を積むところの遠くに置き、大きい石は近くに置く。なぜかというと大きい石が近くにある方が労力が省くことができる。石積みは時間をかけると誰でも積むことができる。しかし、綺麗に早く積むことが技術だ。そして、雨が降ったときにも崩れないような丈夫な石積みを積むことが名人芸だ。我々はお金をもらって積むところはたくさん無いが、お金をもらって積んだときは台風や雨で崩れるような積み方は絶対にしていない。今まで積んだところで崩れたところはない。

高開さん:性根を入れて積んである。現場によっては長い時間がかかったと驚かれるところもある。しかしそれは条件が悪かったり、手違いがあったりするからだ。また、大きい石を運ぶ人が二人か三人しかおらず、それが女の人だったら作業が遅くなる。規模が大きな現場なら五人から七人くらい人員が必要だ。そしてグリ石を準備するなど段取りができれば仕事は早くなるが、少ない人数で全ての作業をすると能率が悪い。

高開さん:作業が終わった後で、雇った人が少ないにも関わらず長い時間がかかったなと言われることがある。しかし我々は一生懸命作業している。石を積む人は積み石を置いたらグリ石を小まめに詰めないといけない。積み石を二つも三つも置いてからグリ石を詰めることは良くない。そうすると手を詰めやすくなる。一度積んだ石を小さいグリ石を積み石の腹の部分に詰めて動かないようにして次の積み石を持っていけばずれることがなく、積み直す必要がない。四つも五つも積み石を置いてからテミでグリ石を入れると十分でないため、石積みの表面に凹凸ができる。上手な人が積むとグリ石が十分に入っているので表面から石を叩いても動かない。一つ積み石を置いたらその度グリ石を詰めるのは絶対忘れないようにしないといけない。石を積むのは楽しみだ。大勢で積むと楽しみは少ないが、一人で積むと自分の頭で描いたような積み方ができるので楽しい。大勢で積むと他の人が積んだところが気に入らないところができるが仕方ない。そうすると出来栄えが七十点になる。一人で積むと常に九十点採ることができる。しかし自分が積んでも大勢が積んでも九十点採れる積み方をするのがよいと思う。中々難しいが。

高開さん:石は面白い。そして積んだ後で自分の作業を批評する。ここは良かったとかここは失敗したとか、ここを良くしたら良かったとか。自分の仕事を批評する。そうすることが後で成功につながる。悪いところを指摘できなければ成功につながらない。悪いところを見つけてどう改良すればよいかという反省ができる。面白いやろう?何回積んでも場所も違うし材料も違うし人も違う。

高開さん:そういうのも全て勉強だ。生活の勉強だ。どのように山の水が流れるか流れないか、水を流すパイプに空気が入るか、パイプの太さを13mmに変えるときにどうするかなど。自分で材料を買って作るので難しい。色々なことを勉強しなければここでは生活できない。百姓だけでは足りない。石だけでも足りない。飲む水から始まり、食べるものから温室ハウスの建て方まで色々勉強しないといけない。

高開さん:薄い石を水平に置くと、上から荷重がかかったときに石が割れる。薄い石を水平に石を置くと真ん中が割れる。だから、斜めに石を置くと荷重がかかっても表面の隙間がなくなるだけで、崩れない。そして石が固ければなおよい。

高開さん:私に力がまだあったらここにある石を全部ここに集めたい。この大きな石を。死ぬ気でやらないとできない仕事はもうしなくてもよい。重機でやってもらわないとできないので、いつしてもらえるか分からない。ここが10mくらいある。この石を私は積みたかった。50平方メートルくらいしかないので。しかし役所の担当者はよく分かっていないのでここにある石はコンクリートより柔らかくて弱いので荷重に耐えられないと言った。私は馬鹿げたことを言うなと言った。この石なら20トンの荷重がかかっても大丈夫だ。この石は10トンか15トンの荷重がかかれば前に転倒する。この擁壁は勾配が3分なので転倒しない。この擁壁の勾配は4分だ。道路の下の擁壁の勾配は5分だ。一部に勾配が3分のものもあるが、擁壁の勾配は5分になっているので大丈夫だ。

高開さん:積んでも良いという許可を地主からもらっているので、いつでも修復することができる。そしてブロックにすると役所の人に言ってある。ブロックなら足元を1分か2分手前に出せと言った。そして上の部分が30〜40cm内側にカーブしているが、施工しやすくなるので修復するときは直線にしろと言った。昨夜話していたのはこの10段成りのこのブロックだ。道の縦断勾配に合わせて積んである。私が災害復旧の事業で請け負って手がけた。この周辺ではブロックの工事をほとんど私が手がけた。今はブロックを水平に積むのはできないと言われる。

高開さん:グリ石は絶対に作っておかないとだめだ。石が足りなくても余ってもだ。あるだけのグリ石を集めておけば次に石積みを修復するときに使える。足りなければ修復することができない。グリ石は、「1グリ、2石」と言うくらい、1番必要なものだ。真田先生は知っていると思うがよく言っておかないといけないと思っている。積み方の冊子に描いてある図のようにしっかりグリ石を入れないと荷重がかかり、石積みは崩れる。積み石の真ん中の部分が尖っている倍は、その部分を割るときれいに積める上に、グリ石を十分に入れることができる。急いでいたのかもしれないが、その考え方が少し足りない。我々はそんなことはしない。土砂を取り除き、尖っているところは割る。積み石の奥に70〜80cmもグリ石を入れる必要はない。奥の方は土砂を入れてもよい。グリ石は積み石の下に入れたらよい。そして積み石を奥が下がるように傾けて置く。そうすると丈夫な石積みができる。

高開さん:上の平地の面積は変わらない。少し考えが足りなかった。それも勉強不足だ。長年石積みをしているとそういうことが全て分かる。グリ石が余った場合、別の場所に置いて土砂を入れて填圧した後にグリ石をいれるなどのやりくりができれば一番良い。

2017年8月17日 高開さんの家にて
話し手:高開文雄氏
聞き手:金子玲大

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