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豆腐屋で豆腐を買う、モジュラーシンセで音楽を作る

先日、近所にある豆腐屋に行った。

そいえばあそこに豆腐屋があったけな、と路地を覗き込んだらまだお店が残っていた。実に15年以上ぶり。
店に入った。用事のある方はピンポンを押してくださいスタイル。ピンポンを押すと店の奥にいた犬がこっちにやってきて吠えた。少し待ってもお店の人が来ず、ずっと犬が自分に対して敵意むき出して吠え続ける。ちょっと辛くなってきたので、帰ろうかな、いやしかし、久しぶりに来たんだし、豆腐も美味しそうと待っていると、レジ袋を持ったおばちゃんがテクテクとやって来た。

「ごめんなさいねー、買い出しに行ってたの」とおばちゃん。
おばちゃんに豆腐と厚揚げと油揚げを注文した。おばちゃんは「待たしちゃったからね」と油揚げを一枚おまけしてくれた。

なんともない出来事だけど、ただお得したとかではなく、ここ最近感じてない独特の嬉しさがあった。
そもそも、豆腐屋に豆腐を買いに行くという行為を全然して来なかったのは、一度で色々な買い物ができるスーパーに便利さを感じていたから。
でも豆腐屋にわざわざ行き、待たされて、犬に吠えられて、こんなに嬉しくなるのはちょっと面白いと思った。

話は変わるけど、最近モジュラーシンセという音楽機材を購入した。たくさんのツマミがあり、ケーブルを繋いで音を出す品物だ。

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自分は音楽制作が趣味なのだが、音楽機材をほとんど購入したことがなく、ずっとパソコンで作り続けきた。
音楽ソフトは一つで色々できてすごく便利だった。ドレミファソラシドをわからなくても、それなりの曲ができたし、基本パソコンのみで完結できるので小スペース。部屋もあまり散らからない。そもそもコスパが良い。

モジュラーシンセを使ってみて、鳴らしたい音に近づけるのがすごく面倒。ツマミを調整し、ケーブルをここか?いや違うかとブツブツ言いながら繋ぐ。とても時間がかかるし、保存という概念がない。少し前にいい感じだった音にも戻れないし、ケーブルを全部抜いちゃえば最初からやり直し。部屋がケーブルで散らかるし、そもそも高級品。
しかし、そのデメリットをとってまでもその音を出す作業がとても魅力的だ。たまに事故的な想像もつかない音も鳴り出して、それもうおーと興奮する。しかし一向に曲は完成しない。わかったことはこの機材は曲を作る過程を楽しむ機材なんだと(出音がソフトと違うとかあるかもだが、あまり気にしていない)。不便なのに楽しく、不便なのに価格が高い。

というように不便なものが魅力的に、そしてリッチな「こと」や「もの」に思えてしまうことが多い。

また話が変わるけど、「NAVERまとめ」がサービス終了するらしい。このサービスを知った時、情報過多でスピードが早いインターネットの情報を誰かがホイっとまとめて、少し読めば理解できる(理解できた気がする)感じだったので便利に感じてそれなりに見ていた気がする。
結局、その「誰か」がまとめた情報の信憑性やインターネットにおける倫理性のアップデートにより、終わったしまうようだが、便利よりも信憑性や倫理の方が優先されたってのは、ここでも便利の価値が少しだけ下がったのではないかなと感じた。

と考えると、まだ便利だけな「もの」や「こと」が多い気がする。
誰のために、どんな気持ちの時に、どんなタイミングで…考えれば提供できるものはあるはず。

正直、便利は最高のもたしか。実際にもっと便利になって欲しいものもある。また資本と資源と時間は有限なので、全て豆腐屋で豆腐を買うことやモジューラーシンセにはできない。

個々が何を便利にするか?何を不便にするか?を選択すれば良いと思うし、レコードをAmazonで買うようなハイブリットでも良い。
この感覚は自分を豊かにしてくれそうと確信してたりしています。

話は最初に戻るけど、豆腐屋で買った豆腐は夜にビールと一緒に美味しくいただきました。

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