ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史・外伝〜まえがき
2020年12月30日に発刊された俺の著書「ISHIY A私観ジャパニーズ・ハードコア30年史」だが、おかげさまで多くの人に買っていただき、現在では4版5000部ほど世に出ていることとなり、非常に嬉しい限りである。
個人的には最低1万部は出て欲しいし、そのぐらいの内容ではないかと思っていたが、そんなに世の中は甘くないというか、俺の文才や力量がそれほどではなかったということだろう。
しかしまだ販売は続いているので、まだ入手していなくて興味のある方は、以下のサイトからご購入いただけると、俺のサイン本になると思うので、ぜひよろしくお願いします。
出版元blueprint特設サイト
https://blueprint.co.jp/lp/ishiya-japanese-hardcore/
このサイト内での、BRAHMAN / OAUのTOSHI-LOWとの対談時に、掲載されていない話の中で「この本のスピンオフ企画として、個人にスポットを当てたものもつくれるのではないか?」という話が出ていた。
数多くのバンドや人物が登場する本であるが、中でも個人的にMASAMIさんについては、様々な取材を行い書きたいと常々思っていた。
その想いが形になったものが、2016年に発売された雑誌「別冊ペキンパー JAPANESE HARD CORE伝説 片手のパンクスMASAMI」である。
現在は入手困難となっているので、内容に興味のある方は俺の取材記事のみについてはnote記事で雑誌の掲載時のものに加筆修正を加えて販売しているので、読むことができる。
雑誌「別冊PECKINPAH」ジャパコア✖︎マサミhttps://note.com/ishiya148/m/md239268980b6/hashtag/1500250
しかしこれ以上にもっと深く掘り下げ、俺の知らなかったことも知りたい上に、全て書けるのであれば現在の日本パンクシーンにとっても、昭和の日本のハードコアシーンの伝記としても、かなり重要な位置を占めるものが書けるのではないかと思っている。
この雑誌が出るより前だったと思うが、俺にドキュメンタリー映画の撮影の話が来た。その撮影は今でもまだ続いていて、いつ作品になるのかは監督次第なのだが、その映画の話がきたときに
「俺の映画なんて恥ずかしいし、撮っても面白くないから、MASAMIさんを中心とした80年代の日本のハードコアの話にしないか?それならば協力する」
ということで撮影が始まった。
最初のうちは、そういったテーマで撮影が進んでいたのだが、年数が経つ間に監督とも打ち解けてきて、自分のバンドであるFORWARDの海外ツアーにもスタッフとしてついてきてもらったり、MVを作ってくれたりするようになって行った。
2020年から世界で猛威を振るうコロナウィルスで、ライブ活動が制限された俺たちのために、配信ライブ映像制作もやってくれなどかなり親密になっているので、その映画完成時にはいったいどんな映画になっているかがわからなくなっている。
しかし全ては監督の想いで出来上がる作品であるし、信頼をおける人物のつくる日本のハードコア・パンクの映画になることは確実なので、完成を楽しみにしていて欲しい。
そんな話も現状で続いている上に、「ISHIY A私観ジャパニーズ・ハードコア30年史」の発売以降、様々なところで「それ以前の昭和の日本のハードコアについて知りたい」という意見がかなり多く聞かれた。
そこでやはり、日本ハードコア初期の話はかなりの需要があることを痛感したので、現在構想として個人的にMASAMIさんを中心としてどういう作品にするかを考えている段階である。元々「ISHIY A私観ジャパニーズ・ハードコア30年史」を書こうと思ったきっかけも、MASAMIさんについて伝えたいという思いも大きかったし、雑誌「別冊ペキンパー JAPANESE HARD CORE伝説 片手のパンクスMASAMI」では書ききれないことの方が多いと思っていたのも大きい。
そして他にも、2020年9月ごろ他界してしまったLIP CREAMのNAOKIさんについても書きたいことがたくさんある。
NAOKIさんについても、THE COMES時代からGASTUNK時代は、まだ話したこともなく知らないことがほとんどだ。
日本のハードコアに多大な影響を与えたギタリストとしても、その人間性の素晴らしさも、どうしても残して置きたい人物であることは間違いない。
参考記事 NAOKIさんが日本のハードコアパンクシーンの中で教えてくれた、愛のある世界の素晴らしさ ISHIYAが綴る追悼文
https://realsound.jp/2021/02/post-700520.html
MASAMIさんとNAOKIさんについて書くことで、どうしても触れることのできない話についても確実に理解ができるものになると思うのだがどうだろうか?
同じ時代を生きた人間であるし、2人と友人である先輩たちも多いと思う。俺の知らないMASAMIさんや、当時のリアルな話を書ける人物として俺を信頼してくれるのであれば、取材などにも伺いたいと思っている。
当時の状況やMASAMIさん、東京の初期ハードコアシーンを知っていて話してもいい、その時代のことを後世に残しても良いという人がいれば、ぜひ連絡などをしていただけるか、紹介してもらえると嬉しいので、よろしくお願いします。
そして目星のついている先輩方や友人が何人もいますので、そのうち俺から取材のオファーが行くと思います。その際には協力していただけるとありがたいので、よろしくお願いします。
ということで、次作の構想は練られてはいるものの、このコラムでも「ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史」で書ききれなかったものを書いて行きたいと思う。
まずは昭和に来日して大事件となってしまったDISORDERから書いて行こう。
なぜ「ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史」に書かなかったのかがわからないほどの話なので、当時のジャパニーズ・ハードコアシーンに興味のある方であれば、この話のみだけでも購入する価値はあるのではないかと思う。
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