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[読書ログ]「カレンダーはにちようび」寺村輝夫

「カレンダーはにちようび」
作:寺村輝夫
絵:和歌山静子

※ネタバレあり

寺村さんの絵本を気に入って、王様シリーズを読んでみた。
こどものようなチャーミングな王様が勉強したくない、月曜日になってほしくないと思うと、毎日が日曜日になってしまうが、世界もへんてこであべこべな世界(言うことが反対になっている世界)に迷い込んでしまうおはなし。

子どもも大人も日曜日が好きなんだなあ。着想はずっと日曜日ならいいのに、という発想か。絵本ナビの感想にもあったが、逆さまなことをきちんと理解して読んでいるかどうかと不安になるお年頃は年少、年中さんくらい。読むなら言葉の意味が理解できる年長さんがベストとのこと。

現代文学と違って、児童文学は年齢別にお話のレベル(難易度)を変える必要があるので、読者層(ターゲット層)が明確だ。それはわたしには吉報なのかもしれないと思った。

絵本の内容としては、「さっきからのおかしなことは、みんなはんたいのことでした。さかさまのことでした。」とある。このおかしな話がずっと続いて、王様は振り回されていく。
 
「にわとりはたまごなんかうみません。たまごをうむのはカメレオンだけです。」
「おつかいにいくというのは、あそぶことですよ。」
「バナナを食べるのはチーターぐらいだ。チーターにたのもう。」
「たべるということは、つまり、べんきょうをすることなんだよ。」

大人もあたまが混乱していくような設定だ。
バナナの好きなチーター。これはバナナと肉が”はんたい”になっている。
ライオンがバナナを卵のように温めて孵す。これは肉食動物と”はんたい”になっている。
この”はんたい”のおかしさを自分で理解できてこそ、面白いと感じるのだろう。

寺村さんの語り口は読者をやさしく誘ってくれる。すぐそばに子どもがいて、実際に語り掛けているような文章が組み込まれているのも特徴だと思う。
「ああ、こわい。しまうまがにんげんをたべるなんて。けれども、ここはさかさまのくにですからね。」
食べられてしまう、という内容をやさしく安心させているのはさすがだなと思った。自分にはこの感覚、表現はなかった。

個人的にいちばんよかったのは、ラストシーン。

カレンダーをみて、王さまはなんと言うか。
「ああ、こんなにおそろしいにちようびならもういらない!」と言うのか、それとも、
「なんてすてきなげつようびだろう。さあ、べんきょうだ、べんきょうだ。」と言うのか。
 
にちようびはいらない、の”はんたい”として、それとも以降の文章を対比として置いているところや、読み手に向けて「べんきょうだ、べんきょうだ!」と言わせようと仕向けているユーモアがよかった。
 
さかさま、はんたいというよくあるモチーフでも、使い方次第。
そんなことに気づかされた一冊だった。

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