見出し画像

[読書ログ]「サマークエスト」

北山千尋/作 
しらこ/絵

あらすじ

小学6年生のヒロキの父親は、10年前、海で溺れて死んだ。母親もまわりのおとなもそのときの様子を口にしようとせず、ヒロキは小さい頃から父のことを知るきっかけをつかめずにいた。
しかし、ふとしたことから父親が死んだ日に使われた「写ルンです」を見つけ、親友の新(あらた)とともに写真を現像し、その海を突きとめる。
ヒロキは、中学受験を前に家庭の不和に悩む新の助けを借りずに、たったひとりで父が死んだ海を見にいくことを決意する。
なぜ父親はこの海へ入っていったのか。過失か、それとも―? 
心のなかのわだかまりに決着をつけるために、ヒロキがいどんだひと夏のサマー クエスト。
  
(あらすじの引用元はこちら

絵本ナビHPより引用


感想 ※ネタバレあり注意

正直、最高だった。
フレーベル館の児童書、良いなあ。自分に合ってるなあと思う。
文体とか、リズムとか、物語の方向性、テーマ性とか。
表紙絵も、目次の海の絵もすばらしい。
自分も、こういう表紙で本が出せたら最高だなと思う。

話は、きれいにまとまってきて、過不足がない。
それぞれのキャラクターもわかりやすく、シンプルだけど、濃い内容。
文章が淡々としていて、作者と物語が適度な距離感を保っているように感じられて、良い意味で気持ちが揺さぶられないところに好感が持てた。

主人公を通して、作者の心のわだかまりを作者自身が乗り越えていこうとする動きが見え隠れそうそうなものだけど、それがない。(それが良い、悪いではなくて、自分ならそう書いてしまいそうだなという意味で)

物語に実直に向き合っている感じが、この物語全体に広がる”丁寧さ”が賞を取る要素なのだろうなと感じた。


ここからは、さらなる自分メモとして詳細に残しておく。
この先を読んでいただける方は、壮大なネタバレがあるのと、とにかく長いのでご注意ください。
 

章立ては全部で9つ。
1章は「サバの小骨」というキャッチーなタイトル。
主人公のヒロキの立ち位置や周辺の人物を描く世界観の説明パート。
小骨が喉に刺さっているような違和感をタイトルでうまく表しているし、主人公も問題点も提示しているので、どういう物語なのか、すぐに理解できて安心して読み進められる。
ヒロキというカタカナ表記は、父親を失う背景から、リアルな漢字の名前を避けた書き方なのかな、と感じた。作者の意図がありそうな表記。

第2章は「トンカツの理由」。
これもキャッチ―なタイトル。
トンカツというアイテムを使いながら、ヒロキの家庭環境の説明を書く。
父親とのつながりや、父親への意識も描く。友人である新のお姉さんの登場で、新の問題点も浮き彫りにしていく。

第3章「願いごと」。
おじさんとのやり取りのなかで、父親はどういう人だったか気になっていくエピソードが入っている。おじさんの家から持ち出した使い捨てカメラがその後の展開の道具として機能していく。
おじさんに怒鳴られるエピソードによって、父親のことを知りたい欲求が高まる大事なシーン。これがあることで、続きがどうなるのだろうと思わせる。

第4章「予想外の男」。
米を炊く、という何気ない日常のやるべきことを、忘れたり、思い出したりする描写を書くことで、主人公の心情を表現していると感じる。

ふと、米を炊かなきゃ、と思いたった。
窓を閉めて、水しぶきで脚がぬれているのをしめったバスタオルでふき、台所へ向かった。いつものようにカップ一杯の米をすくいあげて、あ、とつぶやいた。
今日は米、炊かなくていいんだった。
~中略~
すくいあげた米をもどし、カップを米のなかにきゅうとうめ、米びつのふたを閉めた。

本文より引用

中略のあたりで回想が入るのだが、その後、すくいあげていた米を戻す描写まで書いている。
ここは省いてしまいがちな描写だが、回想の前後で、人物の動きを統一することで、回想のあいだ、ぼんやり静止していたことも示せる。何気ないようで丁寧な書き方だと思う。

あとは内容に関係ないが、物語のなかでの天気や気温の描写を読むと、その空気をイメージする。
イメージしているけれど、たとえば読んでいる自分がエアコンの効いた涼しい図書館で読んでいると、そこに物語とのギャップが生まれる。
このギャップが、物語の世界に没入していた自分に自我をもたらして、現実世界を意識するのだけれど、この感覚がわたしはとても好きなのだ。

あたりからしめった土のにおいが立ちのぼっている。雨のおかげかむし暑さが消え、風がさわやかだ。

本文より引用

夏のこういった空気は想像しやすい。わずか二文で水気のある土の匂いと太陽の光、涼しい風が思い浮かぶ。
細かいけれど、文章のうまさを感じる。

この章では、センター長代理の男との出会いと、母親との関係性、新に使い捨てカメラの現像を頼むシーンが描かれている。その後の展開に欠かせない重要なシーン。

第5章「いつもとちがう土曜日」。
学校に泊まるイベントを描く。このイベントがあるおかげで物語にわくわく感や、ポジティブな風を吹かせているような気がする。
ヒロキや他の生徒の感情の描き方もいい。

女子たちが、五人いっしょのテントじゃだめですか、とおばちゃんに聞いている。ふたりと三人に分けられてしまったのが不満らしい。

体育館の天井に、ひそひそ声が反響する。ざわめきが大きくなると、おばちゃんが「しーっ」と注意する。注意しても効果ないんだから、おばちゃんたちもさっさと寝ろよ。

「そう言っておばちゃんは、奥の女子トイレに入っていく。
寝るわけないじゃん。
心のなかでつぶやいて、田部と中井がいるテントにはもどらず、鉄格子がこわれた窓のほうへ進む。

新に現像を頼んでいた写真を受け取る。
写真の父親は真剣な顔で肉を焼いている。ここで、真剣なときの横顔をおじさんが「お前もそんな顔するんだな」と言った伏線につながっているのがわかる。

そうして、ヒロキと新はそれぞれ、一人で日帰りの秘密の旅に出る。
ここで、一緒に行くのではなく、それぞれがそれぞれの課題に向き合う構図なのが良い。
主人公だけじゃない、新の人生や成長についてもスポットをあてているように感じられる。

「登場させた人物は最後まで責任を持て」と、いつか児童文学作家の方に言われたことがある。納得。


第6章「旅の終わり」。
センター長代理男、綿引さんの手助けによって、ヒロキは写真に写っていた父親と家族が最後にいた公園とBBQ場までたどり着く。
一人ではたどり着けなかった、というところがポイント。

小六という年齢もあるので、遠くまで自力で行く、という難しさを描き、できることと、できないことの線引きを描いている。
途中まで頑張った描写をしばらく書くことで、救世主的な役割を果たし、綿引さんとの心の距離がぐっと縮まるエピソードとして機能しているのも良い。

第7章「ほんとうの海」。
真相にたどり着く大事な章。
公園から少し歩いて、実際の海にたどり着く。
その場で、感じる。
自分から海に入っていくような場所ではないこと。
なにかの拍子に落っこちてしまうような場所ではないこと。
そこで、ヒロキは理解する。

だが、ここですべてが判明するわけでも、受け入れられるわけではない。

「こんなとこ、来るんじゃなかった」
「……そう」
「おれの父ちゃんはお調子者で、貝を採ってくるなんて言っときながらドジって、それで、おぼれて死んだはずだったんだ」
~中略~
「……来るんじゃなかった」
来るべきじゃなかった。たぶん、それは最初からわかってた。
だけど、来てしまった。
「もう帰ろう」
言われなくてもわかってる。もう、じゅうぶんだ。
もう一度、海を見る。頭から消してしまいたいのに、目に焼き付けておこうとするみたいに。
ヒロキくん、と綿引さんがたべらいがちにおれを呼ぶ。
帰るよ。おれは帰らなきゃいけないんだ。

その後、綿引さんの実家の民宿でごはんを食べる。
穏やかで安心するようなシーン。
ここの緩急が良い。

一人旅によって、真相にたどり着き、ハッピーエンドとなりそうだが、そうはならない。真相は想像していたけれど、なかなか受け止めきれない。
そういったリアルさがこの物語の良いところだと思う。

重要なのは、一人旅をしたことではなく、それをすることで何を得たのか、何を感じたのか。
そこがテーマだから、きっとこのような書き方になったのだろう。
気持ちよい「転」にならないところが、この物語の良さだと思う。
その代わりに、民宿でのシーンが、読み手にも、ヒロキ自身にも、こころの整理の点でワンクッション置く役割を果たしている。


第8章「旅の終わり」、第9章「はじまりの夏」。
ヒロキが家族と、父親と向き合い、真正面からぶつかっていくことを選択する章であり、新のほうのその後の展開も簡単に描かれた、まとめの章。

ここは自分のログとして、本文から一部引用する。
物語の最重要シーンなので、最高のネタバレです。
もしここまでお読みになられた方は、ご注意ください。


でもおれはもう保育園のガキじゃない。やらなきゃいけないことがある。最後までやりとおさなきゃいけない。
「すごく楽しくて調子に乗りすぎたんだよね。だって、ほら、」
写真を母ちゃんに渡す。みんなが写っている写真。綿引さんが、見せてあげなきゃいけないって言った写真。
「こんなに笑ってるんだから」
言い終えてふうっと息を吐く。
思いだして。楽しかったときのことを。お願いだから。
「どうして……」
母ちゃんの声がかすかに聞こえたけれど、言葉が続かない。おれは、母ちゃんがなにか言ってくれるのをじっと待った。裁判で判決を待つ被告人みたいに。
ようやく、母ちゃんが話しはじめた。声をふるわせて。
「わたしのせいよ。あの日だって、いねむりなんかして」
ちがうんだ。おれは母ちゃんに、あやまってほしいんじゃない。
「ごめんね、ヒロキ。お父さんの話をちゃんとしてあげられなかったのは、こわかったから。わたしのせいだと打ちあけるのが」
そうじゃない。そんなことを言ってほしいんじゃない。どうすればいい?
おれは、「父ちゃんは貝を採りに行って死んだ」って話を、信じたいだけなんだ。もう一度。母ちゃんにも、おじさんにも信じてもらいたいんだ。
~中略~
「もう、終わりにしたいんだ。父ちゃんの話を避けるの」

会話と感情の地の文だけで構成されており、緊迫感や必死な様子、物語の、ヒロキの心の中に深く入り込んでいるような胸に迫る書き方が良い。

こういう感情は、実は自分も体験したことがある。
向き合いたくなくて、話を避けようとする人、自分を責め続ける言葉ばかり思いだしては話をする人。
「もうやめて」「もういいんだ」じゃなくて、「そうじゃない」というのがヒロキの捉え方で、それがとっても良い表現だな、と思う。


夏という季節のなかで、成長していくヒロキ。
正直、「サマークエスト」というタイトルは、もうひとひねり出来そうだなと感じた。「クエスト」感や、「クエスト」的な表現は本文中にはないので、物語とタイトルが馴染まないように感じられた。

とはいえ、これはまさしく「王道の児童文学」だと思った。
ひとつの出来事の背景を知るには、どう行動すればいいか考える。
なんとか自分の力で行動して、時に助けを得ながら、実情を知る。
自分の意見を言い、相手にぶつかっていく。そういった手順を経て、成長していくのが心地よい。

まさしく、「知性と感性」によって、少年のこころの成長を描いたすばらしい作品だった。

他の方のレビューで、感情面の描写が物足りない、と書かれている方がいたが、自分はこのくらいのボリュームがバランス的にちょうどよかった。

自分が小学生だったら、もっと情感マシマシの文章を好むと思うけれど、それはやっぱり人を選ぶ。
これはまさしく「王道の児童文学」。
たくさんの子どもたちがこれを読んで、何かを考え、何かを感じ、自分のわだかまりに一歩踏み出せるきっかけになるような物語だと思う。
これがデビュー作とは恐ろしい。
良い本だった。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?