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[読書ログ]タイトルに「きつね」が入っている童話(最終回)

そりゃあ、人間だから、やる気の出ない日もある。
朝起きて、あ、今日やる気でないなという日が月に数日ある。
そして、それが今朝だった。

モチベーションを常に一定に保ち続けるのは難しい。
自分みたいな何者でもない人間は、ガソリンが自分の中にしかないんだから、ガソリンが切れたら切れてしまう。


そういう時は、いつもノリノリのアゲアゲの自分用のプレイリストがあるので、それをシャッフルで流し続けている。
それでもだめなときは本読むか、ゲームするか、罪悪感を抱えながら寝る。

今日は、PC開けて読書ログくらいはやろうと思う。


きつねものがたり


作・絵:ヨセフ・ラダ
訳:内田莉莎子
※本note記事のあらすじ、感想にはネタバレがあります。


あらすじ


チェコのおはなし。
森番がひろってきた子ぎつねは、毎日子どもたちからお話の本を読んでもらっているうちに、人間の言葉や読み書きなどを覚えてしまう。
そうして、お話の中の、かしこいきつねのようになりたいと思うようになり、森番の小屋を脱け出し人間をだまして知恵を見せつけようとする。
最初は失敗ばかりだが、ある日、肉屋からハムをくすねることに成功する。あるとき、肉屋の財布を拾うと、財布に100万円入っていた。これを交渉材料に、財布を返すからハムをもらうことを約束する。
そうして有名になったきつねくんは、ある日王様から森番にならないかと持ち掛けられ、森番になるというお話。


感想

初版1966年とかなり古い。
表紙絵もシンプル、タイトルもシンプル。
さっぱりした白地の表紙に、あまり期待せずに読んだが、これが面白かった。

読み聞かせは5、6歳以上、自分で読むなら小学校低学年から、とある。
イラストこそ少なく、シンプルだが、話は面白いので、自分で読めるようになってからのほうが楽しいと思う。

さて、ここからは書き手を目指す自分の変わった視点での感想。

きつねの描写と、海外のきつねへの印象やイメージがぎゅっと詰まって描かれている。今後、童話でのきつねを知りたい人には、この本をおすすめしたい。

きつねの呼称は「きつねくん」となっている。

きつねは、人間といっしょにくらすのは、もうやめようと決心していました。だい一、森のほうが自由です。だい二に、一人まえのきつねなら、じぶんで食べていくのが、ほんとうです。
きつねは、じぶんはもう、一人まえになったと思ったのです。
ですから、わたしたちもこれからは、敬意をはらって、「きつねくん」とよぶことにしましょう。

本文より引用

きつねの読み手側のイメージや、典型的な話の中でのきつねを表す文言もある。

みなさんもよく知っているでしょうけど、犬は人間のことばをよくききわけて、ほめられるとよろこぶし、悪いことをしてしかられると、はずかしがりますね。
それから、きつねというけものが、犬のしんせきで、せいしつがにていることも知ってますね。

話にでてくるきつねのようにうまくくらす、と口でいうのは、かんたんなことです。ところが、いざやってみようとして、きつねくんはぎょっとしました。

もうむかし話のきつねなんか、ほっておこう。あんなのは、森ばんのぼうやみたいな子どもに、ちょうどいいんだ。ぼくのような学問のあるきつねには、ばかばかしくって。うそだらけのやくただずさ。はらのたしにもなりゃしない。

むかし話なんかうそっぱちで、きつねは、木の皮や葉っぱをかじってくらしてるとでも、このぼくにしょうめいさせる気かい。

本文より引用

森にいたきつねを捕まえて育てたら、知恵をつけて、読み書きも、ステッキも使える利口なきつねになった、きつねに自我と意識、欲望などの感情の流れが見えるようになり、感情から出る行動でスムーズに物語が流れていく。

1章ずつ10ページくらいなので、章ごとに読み聞かせするには良いボリュームかもしれないが、低学年には割とページ数が多いように感じる。
あとは、冒頭はまだ「きつねくん」になっていない、野生のきつねを森番の親子が見つけて育てる説明シーンなので、今の時代の子どもが、そこでスルッと入っていけるかは少し気になった。

とにもかくにも、「きつねものがたり」とてもよかった。
読むなら、ある程度、絵本を読んで”きつね”を知っている状態のほうが楽しめると思う。


あとは、少し心理学的になるが、就学前の子どもは、母子一体の状態(自分と母(あるいは自分以外の他者)が未分化の状態であるところから、徐々に、自分と他者は違うものであることを認識していく。

外の世界のあらゆるものを理解していくために物語が必要なので、自分が知らない世界を見せたり、冒険をするような物語は子どもの成長には必要な物語の要素だと思う。

ちょっと脱線するけれど、科学で説明すると理解できないから、物語として把握させる。分からないもの、恐ろしいものではない、ということを空想のイメージから物語で触れさせていく、そういう役目もこの時期の子どもには必要だと思う。

時々、科学に則っていない物語に対して拒絶反応を示す大人がいる。
太陽が出ていない間は何をしているのか?という話で、実は太陽は、ごはんを食べたり、遊んだり、眠ったりしている、というような物語は、教育上良くないのではと、懐疑的になって、本を批判しているのだ。
あちこちのレビューサイトで時々見かけるそれらに、少し残念な気持ちにもなる。

宇宙人や、”わけのわからないもの”への恐怖や不安を減らす役目としても機能しているから、科学に触れる前の就学前の子どもには、そういった物語もまた必要なのだと言いたい。

擬人化も、ナンセンスも、言葉遊びも、様々な物語に触れて、子どものイメージを活性化させることが大事なのではないかな、と思う。

話が脱線した。
”きつね”を知るには、いい児童書だったし、きつねくんの失敗しても折れない心や、自尊心を感じられる物言いもよかった。
 
何より、きつねくんの利口さを讃える大人がいること、ずるがしこさだけにフォーカスをあてて、きつねを責めたり、捕まえたりしないところもよかった。


次くらいから、スタンダードな良本(ある程度、出版から時間が経って、評価が確定している本のこと)と呼ばれている絵本・童話を読んでいこうと思う。



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