[読書ログ]「サリーのこけももつみ」
作・絵: ロバート・マックロスキー
訳: 石井 桃子
出版社: 岩波書店
あらすじ
ある日、サリーはお母さんといっしょにこけもも山に、こけももを摘みに行きました。
一方、山の反対側では、小熊とお母さん熊が冬眠に備えてやはりいっしょにこけももを食べに来ていました。
ずっと歩きとおしでちょっぴりくたびれてしまったサリーは座りこみ、こけももを摘んで食べ始めます。それは小熊も同じこと。
走ってくたびれた小熊は座りこんで、こけももを食べ始めました。
そうこうするうちに、サリーと小熊はお母さんからはぐれてしまい、こけももの茂みの中でお互いのお母さんを取り違えてしまいます。(絵本ナビより)
感想
読んでいてすぐに展開が分かるが、予想した通りの展開でも面白い作品。
スタンダードにはスタンダードの良さがある、という絵本。
くまも人間も子どもを取り違えてしまうシーンがいい味を出している。
くまの母親がくまの子どもとサリーを間違えていたことに気づくシーン。
対して、サリーの母親がサリーとくまの子どもを間違えていたことに気づくシーン。
絵柄が、濃紺一色で劇画タッチの絵柄がお話に合っている。
ただ、表紙絵がなぜ黄色なのか、わからなかった。
赤い実の可愛らしい色合いにもできたと思うし、そのほうが話にキュートな印象になると思うのだが……
ポップさのほうが重視したかったのだろうか。
そして、コケモモという名前が、日本ではなじみがないが、ブルーベリーのことだ、と書かれた記述が絵本ナビにあった。
違和感があったので、コケモモを調べてみると、以下の記述がある。
同じスノキ属だが、同一だとは書いていない。
しかし、英語版は『BLUEBERRIES FOR SAL』というタイトルで、まさしくブルーベリーのことだと分かる。
では、なぜブルーベリーと訳さずに、コケモモと訳したのか。
これは分からないが(どこかに文献があるかもしれないが)、1948年初版なので、当時の日本ではブルーベリーは馴染みがなかったのでは、という推測が正しそうだ。
ファンタジーを読みたいとき、感情に波風立たない面白い話を読みたいときは、海外作家の本を読んでいたことが多かった。
今いる場所とは、まったく別の世界に連れていってくれる感じがして、それがとても心地よかったのだ。
これもまた海外作家らしいお話。
特定の音がして、自分の子どもだとそれですぐにわかる母親の描写に、自分のこともわかってもらえているという安心感を読み手に感じさせてくれる。
読み聞かせされている子どもと母親の間で、
「もしわたしがはぐれても、わたしのこともちゃんと見つけてくれる?」
「あたりまえよ、あなたのことを愛しているもの」
というような会話が聞こえてきそうな、そんな素敵な絵本だった。
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