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[読書ログ]「谷間に光る緑の風」


『10分で読める物語』の冒頭に収録。

『谷間に光る緑の風』花岡大学
ネットで検索してもあまりヒットしない作品。
花岡大学は、奈良は吉野の寺に生まれ、仏教の僧侶であり、児童文学作家とのこと。仏教童話を多く執筆している。 

主人公はタロウ。だが、話の冒頭はミノルからはじまる。

ミノルは、みんなを家来にして、いばっていた。力が強いからではない。村いちばんの金持ちのぼんぼんで、いつも何か、くれるからだ。
そんなことで、いばらせておいてよいのか。
今も、みんなはあめ玉をもらって、へらへらとよろこんでいた。
タロウは、
「そんなもん、いらんわい。」
と、ことわった。

「谷間に光る緑の風」

タロウは冒頭で怒りをあらわにする。タロウにとっての”問題”が降りかかっている状態を示している。これを解決する、話かと思えばそうではない。

本題は、その後に出てくるいとこのサヨだけは味方でいてくれるはず、という信じる気持ちが裏切られたことによる寂しさが真の問題で、それを解決するのがラストとなる。
このあたりは人間をうまく描き切れていると感じる。

また、2つ目のシーンは、以下のようにはじまる。

細長い谷間の空は、真っ赤に夕焼けしていた。
その光で、村全体がみかん色にそまっていた。
タロウは、小つぶの歯で、口びるをかみしめながら、細い道をオートバイのように走った。
土橋をわたった。
くぬぎ林をつきぬけた。
みぞをとびこえた。
スピードをゆるめないで走りつづけた。
走りながら、心の中で、あめ玉をもらって、犬のようにしっぽをふっているみんなに、
「はずかしくないのか。」
と、どなりつけ、
「おれはどんなことがあっても、ミノルの家来にはならんぞ。」
と、しぶとく言いつづけていた。

ここで5Wの説明が入る。

夕暮れ時、細長い谷間、タロウが走っている。
短文を続けることで文章にスピード感を出している。
なぜそんなに走っているかというと、怒りと悔しさだ。
涙が出ているわけではないが、「口びるをかみしめながら」の文で気持ちはくみ取れる。

タロウはどうして家来にならないと思うのか。
その後の文章で、さらりとタロウの家庭環境の描写がある。

とくにタロウは、おっ母の死んだばんも、そんなばんだったので、星月夜がいちばん好きなはずだった。だが、むっとして返事もなかった。

タロウは母親を亡くしている。だからサヨにもやさしく、強く生きていかなければならないという想いがあるのかもしれない。

物語の転が分かりやすく書かれている。
タロウとサヨがバスを待つシーンだ。

それまでは、タロウはサヨが自分と同じような気持ちではない、ミノルの母親にはちみつをもらってしまって、家来になってしまっていると感じていたが、ミノルに囃し立てられてサヨはミノルのことを大嫌いという。それを聞いて、タロウはサヨが家来ではないことに気づく。

この描写があるあとで、タロウはいつものタロウに戻る。
サヨは驚くことも怪訝そうにすることもなく、うれしそうにそれを受け入れる。

そうして、ラストの情景が目に浮かぶような描き方がすばらしい。
タロウの下心のない素直な気遣いと、二人の笑顔に仲の良さを感じる。
これが、いとことの関係性でないと、ちょっと雰囲気が変わってくる。

いつものタロウにもどっていた。
サヨはうれしそうにうなずきながら、いたずらっぽく言った。
「ちょっと、なめさせてあげようか。」
タロウは、まどからふきこんでくる風になびくサヨのかみの毛に、そっと手をふれながら、
「あほ。」
と、にらみかえした。
それから二人は、くっくっと笑った。
バスはゆれた。
とびあがった。
体がぶつかった。
それがおかしくって、二人はまた笑った。


最高。
なにこれ、最高。

うまい描写、文章に触れると泣きそうになるけど、これは絶品。

タロウは口もきかなかったのに、サヨの髪にそっと触れる。外からみえる描写としても心の距離が縮まったように見える描写。

次の最初の二人の笑いは、それぞれの笑いの種類が少しずつ違う。
タロウはサヨが仲間であり、味方であるという信頼感からほっとしているが、サヨは口をきかなかったタロウがもとに戻ったことに安堵している。
この対称性も面白い。

揺れるバスのスピード感。
箸が転がっただけで笑うような歳に、触れ合った可笑しさに笑い合う子どもらしい純粋さ。

良い物語だった。

花岡大学の他の本も買ってみようと思う。

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